恋する人魚は死にたがり 後編
皇子の国はとても貧しかった。だが、国民思いのオプファーは国の再建を懸けて、不老不死の妙薬である人魚の肉を売ることを思い付いたのだ。伝承によると人魚は死なない。どんなに切り刻んでも、一定の期間休めば元に戻るそうだ。つまり、人魚とは金の湧き出る泉だ。ラオプティーアは希望の光、そのものだった。
止まったように感じた時間を動かし始めたのは、オプファーの乾いた笑みだった。
「…なんてな。冗談だよ」
「冗談には聞こえなかったわ」
「それでも、冗談なんだよ」
「僕にプティが恋をしてくれれば、人間になってここから出られるんだろう?」
オプファーはラオプティーアの左手を握り、そっと薬指にキスを落とした。
「君が僕に恋をしてくれるのを待ってるよ」
キスをしたまま、彼女を見つめた。
ラオプティーアは彼の手を払い、鋭く睨み付けた。
「私はあなたに恋なんかしないわ」
そのまま湖に飛び降り、湖の中央まで泳いでいった。
「プティ!」
「...」
「また会いに来るから、自殺なんかするんじゃないぞ」
そう言って、黒馬に乗り帰路に着いた。
*
あの日から、オプファーは1年も姿を見せなかった。
オプファーから「人魚の血肉が欲しい」と言われたあの日、この男も今までの人間と変わらなかったのかと絶望した。この森には1000年の間、多くの人間が訪れた。皆、不老不死の妙薬である人魚を捕らえるためにやってきたのだ。
ラオプティーアは何度も捕まりかけた。生きたまま血肉を取られ、死ねずに生き地獄を味わう事もあった。だから、今までの人間は食い殺してきた。
最初は皇子を殺さなかったことを後悔した。しかし、懸念していた人魚を捕らえるための兵はやって来なかった。
今夜は月がぽっかりと浮かんでいる。月に照らされたラオプティーアの髪が、銀色にキラキラと輝く。しかし、それとは裏原に心の中はぐちゃぐちゃだった。
…恋に落ちてしまったのだ。太陽の様な彼に。
ラオプティーアの瞳からは、ダイヤモンドのような大粒の涙が溢れた。
死ぬには、彼を殺すしかないのに。
人魚を殺すたったひとつの方法とは、恋に破れること。
つまり、恋に落ちた人間を殺すことで永遠にその恋を失う事が出きる。死ぬことが出きるのだ。
ああ、なんで殺せなかったんだろう。殺すタイミングはいくらでもあったのに。…幸せを感じてしまったのだ。彼の声に、指先に、唇に。手放すなんて、出来なかった。
ああ、でも、なんて馬鹿なことをしてしまったの。…あんなに暖かなものを知ってしまっては、孤独の輪郭が色濃く映し出されてしまう。
寂しさなんて、とうの昔に忘れたと思っていたのに。苦しい。
*
パキ、と枝が割れ、人魚の孤独に終止符を打つ音がした。
ラオプティーアが振り向くと、黒馬に乗った懐かしい顔が見えた。
「久しいな、プティ」
「オプファー…」
「…会いたかった」
「私もよ…」
オプファーがラオプティーアを湖から引き上げ、強く抱き締めた。懐かしい、暖かさを感じた。
「プティ、実は…「もう、迷わない」」
オプファーが話そうとしたその刹那、がぶり、と歯を立てた人魚が首筋の肉を食いちぎった。
「…っ!」
「やっと…、やっと死ねる」
瞳に涙をじわりと貯めながら、ラオプティーアはもう一度オプファーに襲いかかった。がぶり、と再度噛みついたが、彼は抵抗するどころか彼女を強く抱き締めた。
「え…」
「僕が死ねば、君は死ぬことが出きるのかい?」
微笑んではいるが、オプファーの顔色は血の気が引き真っ青だ。
「…っ、そうよ!」
「理由を聞いてもいいか?」
人魚を抱きしめ続けるオプファーに、脱力した様に彼女はもたれかかった。
「…人魚は人間に恋をして、その恋が叶えば人間になる。でも、恋が叶わなければ石となって死んでしまうの」
今までの人魚たちは、みんな石になって死んでしまった。
「人は、人魚を不老不死の道具としかみてないから愛してなんかくれないの」
だから、あなたを殺してこの孤独から解放されたいの。ラオプティーアは唇をかすかに振るわせながら答えた。
「なるほど、じゃあ次は僕の話を聞いてくれるかい?」
「え…?」
オプファーはラオプティーアの返答を待たずに話を始めた。
*
「まずは1年も待たせてごめん」
これでも急いで頑張ったんだ、と首をスカーフで押さえながら笑った。
オプファーはこの1年、とても忙しかった。何故なら、国の再建をしていたからだ。この国を建て直すには、もう人魚の血肉を不老不死の妙薬として売り出すくらいしか方法がなかった。
この国だけで再建するには、だ。
この国だけで再建することは不可能と思い 、隣国に助けを求めた。隣国はすぐ隣に位置しているのにとても豊かだった。交渉を重ね属国とはなるが、国民の税率など、隣国の民と同様になるように話をつけてきたのだ。
「僕が守りたかったのは、国ではなく国民だ。それに気づいたんだ」
「…」
正直、君を妻にしたら時々血を分けてもらいたいと最初は思った。でも、それじゃあ、根本的な解決にはならないからね、と申し訳なさそうにラオプティーアに謝罪した。
「だからもう、人魚の血肉はいらない。…それに、プティ、君も僕が守るべき国民だろう?」
にか、といつもの太陽の様な笑顔を見せる。
「でも、出来ればこれからは妻として君を守りたいんだ」
「!」
「君が死にたいなら、喜んで共に死のう」
オプファーは腰に巻いている鞄からラオプティーアのナイフ取り出し、彼女の手に握らせた。
「…だけれど、少しでもこのナイフではなく僕が君の希望の光になれるのなら、共に生きてくれないか。…人間として」
「…はい」
不老不死の妙薬ではなく、ラオプティーア自身を彼は見てくれていたのだ。彼女は泣いていた。冷たかったその涙は、いつの間にか暖かなものになっていた。
「愛してる」
瞼をゆっくりと閉じ、ふたりは唇を重ねた。
次に瞼を開いたときには人魚の指からは水掻きが消え、人魚の象徴である尾は、しなやかな脚となった。
「ああ、死ぬかと思った!」
「ごめんなさい。…でも、早く治療しないと死ぬかも。出血多量で」
あんなに可愛らしく泣いていたラオプティーアは、もういつもの無表情に戻っていた。そんな彼女を愛おしそうにオプファーは見つめる。無防備に肌を晒す彼女の肩に、そっと上着を掛けた。
「こんな秘密の恋は初めてだよ」
「秘密?」
「だってそうだろう。ここに人魚がいることがバレたら、君に仇をなそうする者たちを止められない」
やっぱりさ、独立国でいられるならその方がいいと考えるものは多いんだ、とオプファーは言った。
「でも、君に恋をしたからここまで頑張れたんだ。…さて、もう秘密にする必要もなくなったので」
す、とオプファーは手を差し出した。
「約束通り、君の脚で城に来てもらおうか」
「…喜んで」
ラオプティーアはそっと、差し出された手に手を重ねた。僅かに、微笑を浮かべて。
恋する人魚は死にたがり 胡麻しじみ @cheesecake1617
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