恋する人魚は死にたがり

胡麻しじみ

恋する人魚は死にたがり 前編

 その森には、人魚が住んでいた。人魚の肉は不老不死の妙薬という伝説がある。その伝説を信じ、その森に立ち入る者が後をたたない。だが、立ち入ることは出来ても戻ってくる者はいなかった。


 森の中央には、それはそれは美しい湖があり神秘的に光っていた。その湖には伝承通り、1000年も昔から人魚が住んでいた。人魚は死なない。それゆえに、人魚の血肉は不老不死の力があったのだ。


 人魚は美しかった。その容貌は妖艶で儚げだ。まるで月に似た銀色の長い髪を濡らし、寂しげに月を眺めている。湖から出ることができない人魚にとって、唯一孤独を紛らわす方法であった。


 1000年も生きた人魚は死にたかった。だけれど、人魚の不老不死の身体は、どんなに切り刻んでも、心臓を刺しても細胞が修復され、一定の期間を経て元に戻ってしまう。ただ、痛みを感じるだけ。


 それでも、人魚は死ぬことを望み心臓を貫くのだった。


 *


 数年振りに人魚は心臓をナイフで貫いた。


 どのくらい昔か忘れたが、湖にやってきた旅人が残していった錆びつき、刃こぼれまでしているナイフを人魚は希望の光のように大事にしていた。そのナイフで、時折、自分の胸部を貫くのだ。


 久方ぶりにナイフを受け入れた人魚の胸部は、じとり、と熱くなり、ドクドクと大きな拍動が耳に届く様子を懐かしく感じていた。鈍色に輝いていた湖は、深紅に染まる。その光景を見ながら、人魚はゆっくりと岸から地上に横たわり、瞳を閉じた。


 人魚が湖の端で横たわっていると、黄金の髪を持つ一人の青年が馬を走らせ近づいてきた。男性にしては少々長め髪に、蒼い瞳が印象的だ。

 青年は湖を紅く染めながら横たわる人魚に気付き、慌てた様子で下馬し駆け寄った。

「大丈夫か!?」

 驚いた青年が人魚を抱き上げると、みるみる傷が塞がっていった。

「…これは!!」

 青年は切り開かれていたはずの胸部にそっと触れたが、傷一つない真っ白な肌が見えるだけだった。


 完全に傷が修復されると、人魚が意識を取り戻した。

 名残惜しそうにゆっくりと瞼を開けると、いつも通りの湖が広がる。その光景に、いつも通り絶望した。

「…やっぱり、死ねなかったのね」

「いったい何をやってるんだ!」

「…あなたは誰?」

 独りで死んだはずの人魚の目の前に、いないはずの人間がいる。そして、突然罵声を浴びせられ心底不思議に感じた。


「僕はこの国の皇子、オプファーだ。そなたは何者だ」

「私はラオプティーア。…人魚よ」

 これが、ふたりの出逢いだった。


 *


「しかし人魚…。伝承では聞いていたが、本当に存在していたとは…!」

「もう、私しか生きてないのだけどね」

 皇子はラオプティーアのなびく銀髪に見え隠れする、たわわな乳房を見ないように彼のスカーフで覆い隠した。

「…何をしているの?」

「人間の文化では、女性は乳房を隠すものなんだ!」

 ラオプティーアの背でしっかりとスカーフを結び、やっと彼女を直視することに成功した。


「…それより、なぜ血まみれで倒れたいたんだ。死ぬつもりだったのか?」

「ええ、そうよ。…でも、何度やっても死ねないの」

 平然と言い放つ彼女に、オプファーは大きなため息を着いた。こんな死にたがりな奴は見たことがない。

「つまり、何度も死のうとした訳か…。理由を聞いてもいいか?」

「死ねないから、死にたいのよ」

 ラオプティーアは淡々と答えたが、彼には全く理解のできない内容であった。オプファーは困ったような表情を浮かべ、人魚が自身を貫いたであろうナイフを指先で弄ぶ。チカチカと光が反射し、茶褐色に鈍く主張する血痕が生々しい。

「…このナイフは没収だ」

「えっ、私の希望の光が…」

 あからさまにショックを受けるラオプティーアを横目で見ながら、無視をして腰に巻いていた鞄にナイフを収納した。


「しかし、仲間は死んでしまったのだろう?伝承では人魚は不老不死と聞いていたが、真実ではなかったのだな」

「いいえ、それは本当よ」

「だが、君が最後の一人だと言うことは、他の人魚は死んでしまったのだろう?」

「そうなんだけど、不老不死は本当よ」

「…では、人魚の血肉を食らうと不老不死になると言うことも本当なのか?」

「ええ、本当よ。…試してみる?」

 虚な眼をしながら人魚が誘うように笑う。艶かしいその容貌に、虚ろな瞳が神秘的だ。その姿にどきり、と見とれてしまっていると、人魚は尾を翻し湖へ跳ねた。

「冗談よ」

 そう寂しげに微笑むと、人魚は遠くへ泳いでいった。ぽそり、と「不老不死は、そんなに良いものじゃないわ」と言い残して。


 *


「あら、こんにちは」

「プティ!」

 ラオプティーアがいつものように湖から表情なく顔を出すと、そこには黒馬から降りるオプファーがいた。皇子はいつの頃からか「プティ」という愛称で人魚を呼ぶ様になっていた。


オプファーは、出逢ったあの日から毎日の様に彼女に会いに来ていた。皇子と言う仕事はそんなに暇なのだろうか、と疑うほどに。


 オプファーが跪き、湖に浮かぶ人魚に手を差し出した。人魚は彼の手にそっと触れると、ぐいっと地上に引き上げられた。

「きゃ…」

「プティ!」

 ラオプティーアが小さく悲鳴をあげたが、そんなことを気にする様子もなく皇子は人魚を抱き上げ、それはそれは嬉しそうにぐるり、と宙を一周させた。

「きゃあ!」

 今度こそ彼女は大きく悲鳴を上げた。が、そんなことはお構いなしにオプファーは人魚を抱きしめる。

「プティ!君は希望の光だ」

 力強く抱き締められたラオプティーアは息苦しそうに呼吸する。その頬は、ほんのり紅い。

「希望の光?」

「ああ、そうさ!」

 オプファーは、腕の力を緩めそっと岸にラオプティーアを座らせた。彼女は、ゆっくりと尾をなびかせながら彼に寄り添った。

「今日はとてもご機嫌ね。何かいいことでもあったの?」

「実は、王位を引き継げることが決まったんだ」

「まあ!」

ラオプティーアは口元を指先にあて、僅かに眼を丸くさせ驚いてみせる。まさか、そんな実力者だとは夢にも思わなかったからだ。

「お陰でさらに動きやすくなった。…今、この国は財政難だが、きっと僕が豊かにしてみせるよ」

決意を瞳に宿し、太陽のように照らすその笑顔。ラオプティーアには眩しすぎる。



「プティ、結婚しないか?」


 ラオプティーアは見開いてオプファーを見上げる。

「…気は確か?」

「もちろんさ!」

 気は私の方が確かなようね、とラオプティーアは思った。異種族の結婚は生物学的にも倫理的にも難しいし、そもそも出会って間もない。

 もちろん、太陽のように笑う彼に全く惹かれないわけではない。だが、彼女には結婚できない大きな理由がある。


「私はここから動くことができないの」

 人魚は、この湖から出ることができないのだった。

「…どうにもならないのかい?」

 オプファーは驚き、彼女の肩を掴んだ。

「私があなたに恋をすれば、人間の手足が手に入るの。そうすれば、自分の足であなたの城に歩いていくわ」

 ラオプティーアが不敵に笑うと、オプファー少し悲しそうに息を吐いた。

「流石に歩いては、城までたどり着けないよ」

「そうね」

「…」

「…」

 ラオプティーアは、女性にしては極端に口数が少ない。弾まない会話に痺れを切らし、オプファーは早速確信に迫った。


「話の続きなんだけど」

「うん」

「湖から出ると君は干上がってしまうかのか?」

「ええ」

「それなら、湖の水を持ち帰るのはどうだい?」

「短時間なら出来なくはないけど、循環している綺麗な水じゃないと駄目ね」

「そうか…」

「しかも、何度も再生しては干からびて、死ねないし、ただただ苦しいだけだったわ」

「そうか…。試したのか…」

 オプファーはやっぱりな、と深めのため息を着いた。


「…そもそも、なぜ私と結婚しようと思ったの?」

 ラオプティーアが珍しく質問をすると、オプファーは右手で何度も顎を触り、少し考えてから答えた。

「…人魚の血肉がほしいんだ」

 まっすぐラオプティーアを見つめるオプファーの眼は真剣そのものだ。その事実が、ほんの少しの間、時間が止まったように錯覚させるのだった。


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