ルロワ国王の余興

SSS(隠れ里)

ルロワ国王の余興

 悪夢の世界には、最果てがある。その世界の名前は、精霊世界リテリュス。


 リテリュスは、七つの大陸から構成されている。


 一番大きな大陸の名前は、アンフェール。


 アンフェール大陸には、イストワール王国という大国があった。


 彼の国は、多くの領土を掌握している。国王に忠義を捧げる貴族が、王を守っていた。


 領土を持たない貴族もいる。王都メモワールに住むことが、許された者たちのことだ。


 彼らは、領国経営に頭を痛めることはない。領民の反乱に怯えることもない。


 王の余興に付き合うだけの日々だ。ただ、その余興は、時として命に関わることもある。



✢✢✢



「なんとッ!! 枯れたというのか?」


 ロンカスター侯爵は、側近の報告を聞いて立ち尽くした。


 今にも、倒れそうになるのを必死に我慢する。


 側近の持つ籠の中には、枯れ果てた赤薔薇が、今や見る影もなく赤茶色に汚れていた。


 イストワール王国の象徴である赤鷲と同じ色をした赤薔薇。


 それを育てるということは、この上ない栄誉なことだった。


 それが、見るも無惨な姿である。


 ロンカスター侯爵には、これまでに駆け上がった栄光の階段が、崩れ落ちる音が聞こえた。


 この国では、王家の血筋でないものは、公爵にはなれない。侯爵が、彼らの頂上だ。


 イストワール王国始祖王の王弟に連なるベトフォン家ならば、どのような失態も許されるだろう。


 侯爵といえども、成り上がり風情だ。没落など、国王の欠伸一つで決まる。


 しかし、この赤薔薇を見事に咲かせることができたならば……。血筋にも届いたであろう。


 なぜ、このようなことになったのか?


 全ては、イストワール国王ルロワの余興からはじまったのである。


 ロンカスター侯爵とジューク侯爵。非血縁貴族としては、最高峰の二家だ。


 ルロワ国王は、どちらが優れた貴族であるかを決めるための余興を思いついたのだ。


 イストワール国王の御用庭に咲く二つの薔薇がある。赤薔薇と白薔薇だ。


 二つの薔薇の種を両侯爵に渡して、どちらが綺麗に咲かせられるかを競うというものだ。


 赤薔薇を渡されたロンカスター侯爵は、絶対優位であった。


 仮に、二人とも無事に薔薇を咲かせたとする。品評の際、白薔薇が選ばれることはない。


 何故なら、赤鷲を象徴とするイストワール国王が、白薔薇を選ぶはずがないからである。


 赤薔薇が、赤鷲を想起させるように。白薔薇は、白鷲を想起させる。


 白鷲を象徴とするのは、リュンヌ教国である。


 この世界の宗教を司る支配国でありながら、イストワール王国とは、兄弟国だ。


 この国は、リュンヌ教国よりも自国が優先される。だから、赤薔薇さえ咲けば勝ちなのである。


 これは、出来レースであった。


 しかし、その勝利の証となるはずの赤薔薇は、赤茶色の消し炭に成り果てたのだ。


 こんなものを国王に差し出せば、没落は必至。


 ロンカスター侯爵は、迷いなく自身の育てた赤バラの種を植えた。


 この赤バラさえ無事に咲けば、王家と血筋に並ぶことができるかもしれないのだ。


 ロンカスター侯爵は、赤バラを懸命に育てた。


 王の御用庭に咲く赤薔薇に負けない立派な赤バラにすべく、心血を注いだ。



「どうだ、赤バラの調子は……」


 不安な心を何度も新鮮な朝の空気で落ち着かせてから、側近に聞く。


 これが、最近のロンカスター侯爵の日課だ。


「はい。閣下。順調でございます」


 側近の嘘偽りのない明るい返答に安堵するロンカスター侯爵。


 彼は、朝食も取らずに、自身の庭園の中でも特別に作った玉座に植えられた赤バラの様子を見る。


「無事に、咲いておるわ。見てみよ、陛下の赤薔薇と変わらないではないか?」


 側近は、黙って頷いた。


 堂々と肯定は、できない話だ。ロンカスター侯爵も咳払いをして微笑を浮かべる。


 自慢の中庭だった。王都の貴族の力を示すものは、判断しやすいものをあげれば、二つある。


 中庭の素晴らしさと、奴隸の多さだ。ロンカスター侯爵とジューク侯爵に差はない。


 それでも、イストワール国王はロンカスター侯爵に赤薔薇を与えたのだ。


 なんとしても報いたい。


「ところで、ジューク侯爵のところの『白』薔薇はどうだ。枯れてボロ雑巾のようになったか?」


 側近は、ジューク邸の方角を見ながら素っ気ない口調でこう言った。


「見事な、綿雲のような花を咲かしておいでです。しかし、所詮は、……白鷲の糞にございます」


 ロンカスター侯爵は、ここがリュンヌ教国でなくて良かったと、心の底から思った。


 しかし、順調に育てているというのは脅威だ。


 ロンカスター侯爵は、玉座に咲いた簒奪者のような赤バラを見つめる。


 仕方のないことなのだ。


 ロンカスター侯爵は、暖かい日差しに歌い出す中庭をあとにした。



 不幸とは、笑い上戸なのだ。


 奴らは、何度も同じことで笑う。こちらが辟易としていても、笑い続けるのである。


「何ということだ……」


 ロンカスター侯爵の中庭の玉座には簒奪者がいなくなっていた。


 枯れていたのだ。土色の消し炭が頼りなく揺れた。冷たくなった花から、一粒種が落ちた。


「悲劇でございます。閣下……」


 側近は、泣き崩れたようだ。ロンカスター侯爵は、その姿を見て、涙をこらえる。


 顔を伏せて、肩を震わせる側近。品評会まで時間はない。


 ロンカスター侯爵は、赤バラが残した遺児を取り出した。それを密かに懐に入れる。


「我は、もう終わりだ。しばらくは、誰とも話したくはない……」


 側近の目に、光るものは見えなかった。ロンカスター侯爵は、空を見上げる。


 今日は、雲ひとつない晴天である。


 その日から、ロンカスター侯爵は、病に伏したかのように姿を隠した。


 側近ですら、その姿を見ることはなかった。政務は、息子のルージュ男爵が行った。



 イストワール王国歴896年、いよいよ品評会の日になった。


 ジューク侯爵は、勝利を確信しているようだ。


 ジューク邸では、ガーデンパーティーの準備が進められているらしい。


 品評会の壇上には、純白の花嫁のような白薔薇が、置かれていた。


 その隣には、白い気高さを血に染めるような赤薔薇が、存在感を放っていたのだ。


 行方不明になっていたロンカスター侯爵は、この品評会を待っていたかのように現れた。


 ロンカスター侯爵は、勝利を確信する。


 観客の驚く顔を見ながら、してやったりと満足感に目を細めた。


 もうすぐ、ロンカスター侯爵家は、王家に連なることができるのではないか。


 それが無理でも、名誉は約束されている。血筋卑しき我が身は、光栄に浴するのだ。


「ルロワ国王陛下、申し上げます。この赤バラは、赤薔薇にございません」


 ジューク侯爵は、会場の隅まで聞こえる声で、堂々と胸を張って言った。


 品評会場が、騒がしくなる。


 負け惜しみだ。証拠はない。堂々としていればいいのだ。


「ジューク侯爵、証拠はあるのか? 口からでまかせは、良くないな。負けた上に名誉まで傷をつけることになりますぞ?」


 ロンカスター侯爵は、高ぶる心臓の鼓動が聞こえるのではないかと、心配で仕方がない。


 落ち着け、証拠などない。


「こちらへどうぞ」


 ジューク侯爵に呼ばれて、現れたのはロンカスター侯爵の側近である。


「陛下、彼の話を聞いてください。そのうえで、無礼があれば、我が首をお切りください」


 ロンカスター侯爵は、側近に声をかける。彼は、一点を見据えていて、こちらを向こうとはしない。


 怪しいとは感じていた。だからこそ、病気の振りをして、赤バラを密かに育てていたのだ。


「その赤薔薇は、真っ赤な偽物です。本物は枯れました。自らの庭で育てている赤バラを植えたのです。よく調べれば、分かります」


 雲は太陽を隠した。日差しは弱まって、会場は重苦しい雰囲気になる。


 ロンカスター侯爵は、自分の息を呑む音が聞こえた。もう終わりだ。


 両膝を地面についた。


 ルロワ国王の声が聞こえる。なんと言っているのだろう。


 生まれてこの方、聞き逃したことなどない。全て、感謝と尊崇の念を持って筆におこしてきたのだ。


 でも、今は……。もはや、書く気力すら残っていなかった。



✢✢✢



 ロンカスター侯爵の中庭には、高貴な花々がない。全て、酢漿カタバミに植えかえられていた。


 ジューク侯爵からのお恵みだ。王都の中にある廃坑の横に生えていたものらしい。


 ロンカスター侯爵には、拒否することはできなかった。


 爵位だけは、特別の情けで現状のままであるが、奴隷や庭園といった財産は奪われたのだ。


 ジューク侯爵家は、白薔薇を咲かせて勝利した。しかし、その未来に栄光はなかった。


 彼は、子孫に恵まれなかった。また婚姻した女性とは、ことごとく死別。


 いつの間にやら、イストワール国王の歴史から姿を消した。


 ロンカスター侯爵家は、国王より余興のために、下賜された赤薔薇を枯らしてしまったのだが。


 その後の話がある。


 実は、下賜された赤薔薇の種が見つかったのだ。


 ロンカスター侯爵は、最後の望みを託してその種を植える。


 その種から生まれたのは、世にも珍しい青薔薇であった。


 【ルロワ国王の余興】完。

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