9 クランクアップ

 青空の下の砂浜では、夢叶ゆめか森浦もりうら先輩が、映画研究部の部員たちと話している。ラストシーンの夢叶の演技は真にせまり、対する森浦先輩の演技がどうしても薄っぺらく見える所為で、さらなる撮り直しをするのだろう。

「森浦先輩って、どんなことでもそつなくこなすイメージがありましたけど、苦戦しているみたいですね」

「当然よ。役を演じることは、技術と努力と真心まごころが必要で、簡単なことじゃないもの。私が同じことをやれって言われても、一朝一夕いっちょういっせきでは絶対にできないわ」

 ようやくスプーンを握った静乃先輩は、ほんの少しだけ嬉しそうだ。その表情の理由は、苦労や努力にまれた森浦先輩をおがめたからでは決してなくて、森浦先輩が主役を投げ出さずに苦労や努力を引き受けているからに違いない。僕たちの雰囲気がやわらかくなったことを察したのか、マスターと常連客も人心地がついたような顔をしている。修羅場しゅらばくぐり抜けた僕自身も、心地良い充足感に包まれていた。

 やっとありつけた白昼夢カレーは、ジャガイモとニンジンと牛肉がゴロゴロと豪快ごうかいに入っていて、水色を基調きちょうとした純喫茶じゅんきっさはなやかな存在感を主張した。ほかほかのご飯と隣り合う赤い福神漬ふくじんづけも、主役を支えるえんしたの力持ちのように、気持ちがパッと明るくなるあざやかさをえている。宝石みたいに輝く白米に絡んだ中辛のルーは、きっとさまざまなスパイスが複雑に配合されていて、技術と努力と真心まごころ奥深おくぶかさを実感した。夢中で食べていると、「ねえ」と静乃先輩が訊いてきた。

「私の罪を、部活のみんなに告発こくはつしないの?」

「しません。静乃先輩は、魔が差しただけですよ。僕がここに来た動機のように」

「それは、犯罪を容認する理由にはならないわよね」

「何のことですか? 静乃先輩は、文芸部や映画研究部のみんなと過ごすよりも、僕と喫茶店ですずみながら、カレーを食べる時間を選んでくれたんですよね?」

 我ながら白々しらじらしく言ってのけると、静乃先輩は小さく笑った。何かを吹っ切ったような笑みは、今日の青空のようにさわやかだった。

羽柴はしばくんって、やっぱり変態へんたいね」

「その評価、どうすれば変えてもらえるんですか」

 悲嘆ひたんれた僕は、残していた牛肉にルーをたっぷりつけて口に運んだ。熱々の旨味うまみに心の傷をいやされながら、窓の外を眺める。

 ラストシーンの撮影が、今度こそ始まったようだ。森浦もりうら先輩は、夢叶ゆめかから烏龍ウーロン茶を受け取って、唇を近づけようとしている。

「長かったわね」

 静乃先輩が、この喫茶店に来てから二度目の台詞せりふを呟いたときだった。窓の外の異変に気づいた僕は、目をみはった。

 ――文芸部と映画研究部の集団に、誰かがゆっくりと近づいていた。こざっぱりとした白シャツに膝下たけのゆったりとした黒いズボン姿の人物で、左肩に大きな帆布はんぷのバッグをげている。年齢は僕と同じくらいか、少し年上だろうか。潮風しおかぜに揺れる黒髪はオールバックにととのえられていて、すっきりとしたうなじの白さを炎天下えんてんかしげもなくさらしていた。映画俳優のように悠々と砂浜を歩く人物は、思わず息をむほどの美形びけいだった。すらりとした長身も相まって、主役の森浦先輩が一瞬にしてかすんで見える。

「誰ですか、あのイケメン。映画研究部の人じゃないですよね?」

鮎子あゆこ

「えっ」

 静乃先輩の茫然ぼうぜんとした声を受けて、僕も唖然あぜんと叫んだ瞬間だった。

 突如とつじょとして現れた謎のイケメン、もとい、長くて艶々だったという黒髪をバッサリと切った、男装だんそう麗人れいじん――湯浅鮎子ゆあさあゆこ先輩は、夢叶ゆめか森浦もりうら先輩まであと三メートルほどの距離で立ち止まり、バッグを砂浜に落とした。白魚しらうおのような手が素早く取り出していたバッグの中身があらわになり、僕はかみなりに打たれたような衝撃を受ける。

 ――湯浅先輩の手には、バズーカ型の巨大な水鉄砲が抱えられていた。オレンジとグリーンの塗装が太陽光を反射して、ガトリング砲をした銃口でぎらついている。全長は五十センチ以上あり、明らかに子どもの無邪気な水遊び用ではなく、大人による血沸ちわ肉躍にくおど真剣しんけん勝負用だ。バッグに見覚えを感じた僕は、はっとした。あれは、夢叶たち映画研究会が持ってきた水鉄砲だ。

 クランクアップ後にみんなで遊ぶための凶器きょうきをくすねて、誰の共犯きょうはんでもない単独で動くアサシンが――砂浜に片膝かたひざをつき、ビタミンカラーのバズーカを肩に構える。

 その標準ひょうじゅんは、全ての元凶げんきょうである森浦先輩にねらいを定めていた。

 真のラストシーンを引っ提げて舞台に舞い戻ってきた小説家は、青い顔で口をぱくぱくさせている遊び人のチャラ男へ、命乞いのちごいの時間さえもあたえなかった。

 引き金のボタンが強く押し込まれて、反撃はんげき銃弾じゅうだんが発射された。

 胸がすくような水飛沫みずしぶきはじけて、真夏の海辺に七色の虹が生まれた。逃げようとした森浦先輩の横面よこつらを、飛距離ひきょり水圧すいあつもかなり強力な水の平手打ひらてうちで張り飛ばす。りんとした無表情で仇敵きゅうてきをバズーカでった鬼才きさいは、正義の意味も、綺麗事きれいごとも、恨みつらみも、泣き言も、赤の他人の定規じょうぎで測られた世界の枠組わくぐみごと破壊し尽くす勢いで、僕が静乃先輩に心を奪われたあの日のように、この光景を間近で見た者たち全員の心を、間違いなく粉微塵こなみじんに吹き飛ばした。あの水のはしら実弾じつだんなら、誰よりも雄弁ゆうべんで自由に振り下ろされる断罪だんざい鉄槌てっついから、誰も逃れられはしないだろう。

 天誅てんちゅう放水ほうすいを終えた湯浅先輩は、砂浜で目を白黒させて倒れている森浦先輩なんて見向きもせずに、夢見心地で頬を薔薇ばら色に染めた夢叶の手を取り、駆け出した。走り去る美しい女とヒロインの姿を、映画研究部の部員がカメラでとらえ続けている。「カット!」と熱のこもった大声が、青天をすかんと突き抜けた。さらに「クランクアップです!」という声まで追い打ちで聞こえたとき、静乃先輩が我慢できないといった様子でき出したから、僕の意識はようやく炎天下えんてんかの砂浜から、冷房で涼しい純喫茶じゅんきっさに戻ってきた。

「よかったですね。静乃先輩の最後の晩餐ばんさんは、やっぱり当分先ですよ」

「ええ。毒殺よりも、窃盗罪せっとうざいを責めるよりも、こっちのほうがずっといいわ」

 静乃先輩はそう言って、スマホを操作し始めた。「湯浅先輩を呼ぶんですか?」と訊ねると、静乃先輩は「もちろん」と答えて笑った。

「最高の次回作を見せてくれたお礼を、早く伝えたいからね」


<了>

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謎解きはバズーカを撃つ前に 一初ゆずこ @yuzuko

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