第14話 錦糸町の歩道橋で「ヴァカヤロー」と叫ぶ
弁護士さんとの”レズプレイ”を何とかこなして、私は精神的に疲れ切って事務所に戻りました。
いつものようにニコニコと私を迎える藤井代表。この人が良い人なのか、それとも悪魔なのか、私には判断がつかなくなっていました。
「お疲れさまでした。ホント、今日はありがとう。どう、今日一日働いてみて、感想は。お客さん、みんな優しかったでしょ。ウチは完全会員制で、ヘンなお客は排除しているから、まさみさんにとってはとても働きやすい環境だと思うよ」
と、また満面の笑顔で言うのです。
「そ、そうですね」
私にはいろいろ言いたいことがあったような気がする。しかし、藤井代表の笑顔の前では何か気が引けて、言葉にできない。実際、ちょっと個性が強かったけれど、3人のお客さん全員、優しい人だったのは間違いない。私は無難な返事をしておくことにしました。
藤井代表は「うん、うん」とうなずきながら、ポケットから封筒を取り出しました。
「はい、これ今日のお給料。初日だから指名料とか取れなくて、ちょっと少なめだけど、そのうち慣れてくれば、指名料が付いたり、お客さんひとり当たりの単価が上がったりして、もっと稼げるようになるから、頑張ってね。それと、今日はいろいろと大変だったでしょう。タクシー代を渡すから、家までタクシーで帰ってね。何かあると危ないし」と言って5000円をもらいました。
私は当日お金がもらえるとは考えていなかったし、交通費で5000円もらえたのがとてもうれしくて、藤井代表にとても感謝して、事務所を後にしました。
駅までの帰り道、私はひとり考えました。
「今日はたまたまかもしれないけど、風俗って思ってたよりラクな仕事かもしれないな。もし、夫との関係にヒビが入って、ひとりで生きていくことになっても、ちょっと我慢してこの仕事をすれば、最低でも路頭に迷う心配はなさそうだ」
そう思うと、お給料をいくらもらえたのか、知りたくて仕方なくなりました。それで駅の近くの商業ビルのトイレを借りて、お給料を確認することに決めました。
そう決めると、いろんな思いが頭の中を巡ります。
「ひとり相手して、5000円もらえるとして、3人相手をしたから今日は1万5000円くらいかな。それだと1か月のうち、20日働いてやっと30万円か。それじゃあ、子どもたちと一緒に暮らすのは厳しいかもしれないな」そんなことを考えます。
「どうしよう。どうしよう。とにかくお給料の額を早く確認しなくっちゃ」
そう思うと、足がもつれてうまく歩くことができなくなりました。
どうにかトイレに入り、給料袋を逆さにすると「えっ」と私は声を漏らしました。
封筒から6万3000円も出てきたのです。
「こんなにもらっていいのかしら」
私はビックリしてしまいました。そしてさっきの計算をやり直しました。これなら月にたった5日働けば、30万円以上稼げるじゃない。
そう思うと、私の心を覆っていたものがガラガラと崩れる感じがしました。
私は月に30万円夫から受け取るために、朝から晩まで、寝る時間も惜しんで働いてきました。それがちょっとイやな思いを我慢して、誰にも話せない秘密をひとつ抱え込むだけで、簡単にお金が稼げちゃうのを知ったのです。
それを知った今、私を長年縛り付けていた、夫の呪縛から解放された気分になりました。心がとても晴れ晴れとしました。
封筒を大切にカバンに仕舞い、トイレから出た私は、以前の私とは別人でした。
もう私は夫に翻弄される弱弱しい妻ではありません。もう何かあったらひとりで生活できる女なのです。そんな自信が持てて、私はとてもうれしかったのです。
錦糸町の駅前の大きな歩道橋の上から、無数の人たちが右往左往しているのを見下ろすと、それらの人がいつもよりちっぽけな存在に見えました。
あの人たちはいったいいくらお金を稼いでいるのだろう。月30万円、40万円、50万円。大体そんなものだろう。ところが私は、本気を出して働けば100万円、200万円と稼ぐことができるのだ。
そんな思いが私を勇気づける、そして家に帰ったら、夫に浮気現場を撮った画像を見せて、夫を問いただそうと決心したのです。もう私を縛り付けるものはない。浮気に関しては、夫が一方的に悪いのだから、夫に損害賠償請求できるのは私なのだ。
そう思うと、さらに心がスッキリとする。なぜもっと私はこうできなかったのか。今までの自分を思い出すと、ホントに腹が立つ。目の下に広がる景色にもイライラした。なぜ、世間は小さいお金のために、こうも”あくせく”働いているのだろう。
そう考えると、とてもむしゃくしゃしてきました。それで私は錦糸町の歩道橋の上から叫んだんです。
「ヴァカヤロー」って。
もう私は、夫の奴隷じゃない。ひとりの女として生きていけるのです。
男なんてみんなヴァ~~カ!! そんな男に従う女もみんなヴァ~~カ!! 嶋田覚蔵 @pukutarou
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