第5話 結末は夢の中
3月25日、私は約束の小学校の桜の木の下で待っていた。
来るのか心配で、遠藤の家の近くまで迎えに行ったけれど、家の前まではこわくていけなかった。
来てくれると信じたかった。
本当は彼が来られないのは知っていた。
約束の1週間前、母から遠藤柊という小学校の同級生が交通事故で亡くなったと聞いた。同じクラスになったことなかったよね?と世間話のようだった。
不幸中の幸いで顔には傷がなく、眠るようだったらしい。
何が幸いなのか全くわからなかった。
ネットで彼の名前を検索するとネットニュースの記事が出てきた。
何度も何度も確認した。
間違いなかった。そこからあまり記憶がない。
今日は約束の日だから、彼が来るかと思った。私の18歳の誕生日だ。
小5で初めて彼が私に触れた場所、
小6で彼が私の名前を最初で最後に口に出して言った場所、
桜の花びらを捕まえたら、小6の彼が後ろから私を抱き締めた場所。
何度も何度も花びらを捕まえたけれど、彼は私を捕まえには来てくれなかった。
花びらが見えなくなるまでやってみたけれど、彼は一緒に連れていってはくれなかった。
絶対って言ったのに、約束は破られた。
次の日、私は大学進学のために引っ越した。彼と使っていたメッセージアプリのアカウントは、来ないメッセージを待つのが苦しくて消した。
そして、そのまま何年も私は地元に帰らなかった。
32歳の夏のお盆、久々に帰った実家は人数が増えた分、小さく思えた。
小学校の同窓会と帰省時期がたまたま重なったので行ってみた。
懐かしい顔ぶれは、私も含めて皆大人になっていた。
その中にあのみっちゃんもいた。
みっちゃんとは高校が別々だったので、会うのは本当に久しぶりで、はじめは昔話、次に近況と話が弾んだ。
お互いにお酒がすすんで、口と頭の中がやわらかくなったころに、みっちゃんの口から彼の名前が出た。
「そういえば、遠藤くん、ショックだったよね。結婚相手誰だったかって瑠衣は知ってたりする?」
私には、みっちゃんの言っている意味が全くわからなかった。
「遠藤くんって、みっちゃんがかっこいいって言ってた遠藤柊くん?…結婚?」
「うん、彼、若くして本当に残念だったよね。
亡くなってから、高校卒業したら結婚しようとしてた相手がいたってびっくりしたよね」
「えっ?」
そこから先は記憶が曖昧で、どこまでが本当に彼女が言ったことかあまり覚えていない。
彼は有名だったから、地元では結構皆が知っている話らしい。
彼の遺品を家族が整理していたら、鍵付きの引き出しの中に、彼の欄だけ記入済みの婚姻届とアクアマリンの6.5号の指輪が見つかった。アクアマリンには幸せな結婚の意味があるので、彼がプロポーズにしようとしていたと思われた。
母親が彼の友達に聞くと、相手はわからないが、初恋の相手がいて高校卒業後に告白すると言っていたと言う。
彼のスマホでそれっぽい人を探したがおらず、唯一相手が特定できなかったのが「なずな」という登録名の人だった。しかし、メッセージ履歴が消してあり、相手はアカウントを削除した後だった。
噂が広がり、私が結婚相手と名乗る女性が何人も現れたが、誰が本当かはわからなかった。
どうやら、彼の家は裕福だが複雑な家庭で、高校卒業後は彼は家を出て自立しようとしていたらしい。
もしも、初恋の人が見つかっても、彼に好意を抱く人には過激な人もいるので名乗りでない方が身の為なんじゃないかと言われていた。
実家に帰ると、「同窓会楽しかった?」と聞く夫と5歳の息子がいて、私の左薬指には6.5号の結婚指輪がはまっていた。
みっちゃんからは「久しぶりに会えて楽しかった。また帰ってきたら教えてね」と何事もなかったかのようなメッセージがきた。
18歳の3月26日に地元を離れて、遠藤と離れて、
大学生で経験したファーストキスはレモン味ではなかった。
好きと伝えるのはこんなに勇気がいるものだと知ったのは、初彼ができてからだった。
初めて夫と結ばれたとき、一瞬思い出したのはあの日の彼の言葉だった。
夫にプロボーズされたとき、嬉しかったのは間違いない。何度も自分自身に確認してから受諾した。
後ろから抱き締めてくれる夫の体温を、彼のものと違うと感じるのは一体何回目だろう。
お腹の子が男の子だとわかったとき、名前で最初に思い浮かんだのは「柊」だった。もちろん、違う名前をつけた。
春の季節に、女の子が生まれたとき、「桜」とあの木の下を思い出したけど、もちろん、違う名前をつけた。
物心ついた息子がサッカーをやり始めたとき、サッカーが得意だった彼を思い出して、なぜだか後ろめたくなった。
カレーは子供たちが好きなのに、作って食卓に並べる気持ちが悲しくて、手作りのカレーはあまり出したくなかった。
14年目の結婚記念日で「誕生石だよね」といって、夫がアクアマリンのネックレスをくれた。
あれから、楽しいときも、嬉しいときも、心休まるときもあった。あの後も心地よく眠れるようになったのは夫のお陰で、夫と一緒になって本当に良かったと思う。子供たちとこの人と家族になれて良かったと思う。
でもどんなに楽しい1日の後でも、彼が夢に出てくる夜はある。私達の関係には名前も何もなかったのに。聞きたかった言葉をくれる彼に、私はずっと言いたかった言葉を返す。
叫びたいほど寂しい夜ほど、彼は夢に出てきてくれる。
近付きたいと言ったあの日の続きは、数えきれないほどになって、その全ては思い出せないのに、不思議とキスはいつもレモン味だった。
涙が溢れるほど悲しい日には、背中に彼の温もりを感じる。
彼と私の時間を裏付ける物も、温もりを感じた人も、私以外もう誰もいないのに。
毎年3月25日には、自分の誕生の喜びよりも、彼が一緒に連れていってくれなかった悲しさがまさる。彼と一緒に落ちる、あの心地よい眠りはまだ来ない。
約束の日に桜の木の下で彼が言いたかったこと、私に聞きたかったことが何だったのか、
可能性は山程あって、その殆どを夢にみたと思うけれど、
その本当の答えは私は知らない。
あの日の彼が記憶の中で話す。
【1度してしまったら、それは記憶に変わってしまうから、しないままの無限大の可能性の夢でもいいかとも思った…】
そんなこと言うから夢になったじゃない。
【でも、俺は初めては全部一緒にしたいし、するよ。いつか絶対】
なにひとつ出来てないよ。嘘つき。
私のことを何て呼びたかったのかでさえ、教えてもらってない。
あの日から何10年もかかって勇気を出して、彼の家に行ったけれど、表札の名字も外観も何もかも記憶とは変わっていた。
「なずな」の花言葉が
私のすべてを捧げます
だと気づいたのはいつだったかもう覚えていない。私は捧げてもらってもいない。
記憶も夢も、時の流れに交ざって曖昧で、
私の恋を知る人は、あなたと私の他にはいない。
この初恋の結末はあなたと私の夢の中
結末は夢の中 @tonari0407
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★63 エッセイ・ノンフィクション 連載中 152話
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