第5話 そして帰る日
フェリエルがカレーを初めて作ってくれたその日から、彼女の家事スキルはどんどん上がっていった。掃除も片付けもゴミ出しも料理も段々訂正する部分がなくなり、格段に生活のクオリティが上がっていく。
そうして、気が付くとフェリエルが我が家に来てから3ヶ月が過ぎようとしていた。
すっかり家事手伝いが板についた彼女は、リビングで上機嫌な表情を浮かべながら家に置いてあった雑誌を読んでいる。母が取っておいていたものだ。数年前のものなので情報の鮮度は落ちているものの、天使の彼女には関係ないだろう。
ちょうどその頃、雑事を終えた俺はすっかり我が家に馴染んだフェリエルに軽く声をかける。
「あのさ」
「はい?」
「ずっとこの家にいていいから」
それは思わず出た本音だった。実際、彼女がいつまでここにいられるのかは分からない。だからこそ、それを負担に思わないようにしようと出た一言だった。
フェリエルは雑誌から目を離すと、まっすぐに俺の顔を見る。
「大丈夫です! 天界と連絡が取れましたので」
「え? まさか……」
「はい、今までお世話になりました」
そこで彼女は飛び切りの笑顔を見せる。上機嫌だった理由を一瞬で理解した俺は心がフリーズしてしまい、うまく返事を返す事が出来なかった。
「それって……いつ?」
「天の光満つ時に救護天使が助けに来てくださいます」
「それって……いつ?」
俺は同じ言葉を二度繰り返していた。いつもだったら少しは言葉を変えただろう。けれど、頭がうまく動かずにオウム返しみたいな感じになってしまう。
そんなポンコツになった俺を彼女は全く気にも止めず、いつもの天使の笑顔を俺に見せてくれた。
「実は、明後日なんです」
「早っ。突然すぎね?」
「そもそも、連絡がついたのが今日なんですよ。私もいきなり過ぎて気持ちの整理がちょっと出来ていなくて……。あでも、報告しようとは思ってました」
「ま、まぁ、良かったじゃん。おめでとう」
俺はほぼ棒読みでフェリエルを祝福する。俺に彼女を止める権利はない。帰ると言われたら暖かく見送るだけだ。ただ、今まで色々と世話になった恩返し的なものはすべきだろう。
俺の視線は壁にかけられた時計に向いた。そこから簡単な計算が始まる。そんな俺を見たフェリエルは軽く首を傾げた。
「時間が気になるんですか?」
「いやさ、お別れの日にパーティーをしようかなって。今までのお礼もしたいし」
「え? 有難うございます。嬉しいです!」
彼女はその場で立ち上がり、喜びを体で表現する。フェリエルの嬉しそうな顔と仕草を見て、俺は最高のお別れパーティーをしようと心に誓ったのだった。
とは言え、その日は明後日。とても凝った準備は出来ない。それに、自分から口にしたものの、パーティーを主催した経験もない。俺は腕を組んで、どう言うパーティーをしたらいいのか頭を悩ませる。
1人で悩んで答えが出ない時、頼れるのは友人ではなくてネット上の情報だ。俺はすぐにスマホの検索欄に思いつく限りの言葉を並べる。高校生が1人で準備が出来て盛り上げられるパーティー。様々な候補が並ぶ中、その場でとても決めきれなかったため、最終決定を明日に先延ばしにしてこの日は終わった。
翌日は学校の授業中もパーティーをどうするかで頭がいっぱい。多分、先生の話は3割も聞けていないだろう。クラスメイトも今日の俺を不審がったかも知れない。何せ、誰かと話した記憶が今日に限って全然なかったのだから。
「まずケーキは当然必要だろ? 他には……やっぱプレゼントもいるわな。飾り付けは……まぁいいか、準備の時間もないし……」
頭の中で何度もシミュレーションをして最適解を探し出す。そこで出た答えは――たこ焼きパーティ。折角だからピザも用意しよう。大体の構想が固まったところで、放課後に早速材料の買い出し。ひとつひとつ準備が整っていく度にテンションは上がっていった。
「お迎えっていつやってくるの? 朝? 昼? 夜?」
「多分夕方くらいじゃないかと……でも分かりませんね……」
「分かった。じゃあそれまでにパーティをやらないとだな!」
と言う訳で、お迎えがくる当日の朝。俺は仮病で学校をサボった。授業よりフェリエルの方が大事に決まってる。もう会えなくなるかも知れないのだから……。
朝は足りないものを買い揃え、帰宅後に早速準備を始める。部屋の飾りつけは特に出来なかったけど、ケーキは買ってきた。2人しかいないからショートケーキ2つ。ついでにピザも持ち帰ってテーブルに並べる。メインはタコパなので、押し入れからたこ焼き器を引っ張り出した。
準備が整ったところでフェリエルを呼ぶ。彼女は彼女で天界に戻るために部屋で色々と何か儀式的なものをしていたようだ。
「もうそろそろ始めたいんだけど~?」
「あっはい。よろしくお願いします」
一言呼びかけただけでフェリエルは部屋から顔を出した。彼女がリビングに出てきたところでパーティは始まる。ピザやケーキにも笑顔を見せたものの、一番目を輝かせたのはやはりたこ焼き器。
「これ、なんですか? これも調理器具なんですか!」
「これが今回の主役のたこ焼き器だよ。作るから見てて」
俺は不慣れな手付きでたこ焼き器に点火。最初に油を引いて事前に作っておいたタネを次々に投入していく。たこ焼きが出来ていく様子を彼女は黙ってじいっと見つめていた。
片面が焼けたらクルッと回して円形にしていく。ここがたこ焼き制作の醍醐味だ。作るのが久しぶりと言うのもあって成功率はちょっと低く、悪戦苦闘してしまう。
「あはは、やっぱ難しいや」
「いえいえ、とてもすごいです!」
「そ、そう?」
フェリエルに褒められて俺は嬉しくなった。不細工になった丸い塊を皿に並べてソースをかけて青のりを振る。これでたこ焼きは完成だ。マヨネーズはなしバージョン。やっぱり最初のたこ焼きはノーマルがいいかなと思ったんだよね。
「おあがりよ!」
「いただきまっあっつ!」
「焦んなくていいよ! はい水!」
彼女が出来たてたこ焼きをすぐに口に入れたものだから、熱さで大変な事になってしまう。そう言うリアクションを見ると普通に可愛い人間の女の子にしか見えない。でも天使なんだよな。今日でお別れなんだよな。
俺はコップに入った水を手渡しながら、この今の時間が終わらなければいいのにと祈る。多分だけど、パーティーが終わった頃に彼女はもういなくなってしまうのだ。
たこ焼きを何とか食べ終えたフェリエルは、とても満足そうな表情を浮かべる。
「たこ焼き、すっごく美味しいです! 私も作っていいですか?」
「もちろん!」
その後は彼女もたこ焼きを作ったり、ピザを食べたりケーキを食べたり。楽しい時間はあっと言う間に過ぎていった。
俺は頃合いを計って、極自然な流れでフェリエルの前に小綺麗に包装された小箱を差し出した。
「これは?」
「今までのお礼。大したものじゃないけど……」
「あ、有難うございます」
彼女は受け取るとその箱の中身を確認する。力任せにビリビリと破るのではなく、丁寧に丁寧に全く包装の紙を破る事なく包装紙を開放。そのやさしさに俺はほうと感嘆の声を漏らしそうになる。
剥き身になった箱を開けると、中に入っていたのはネックレス。お別れの記念品を何しにしたらいいのか分からずに、結局売り場のおねーさんにお任せして買ったものだ。
「えっと、これ……」
「ここにいた記念に持っていて欲しいと思って。趣味に合わなかった? 迷惑だったら……」
ネックレスを手に取ったフェリエルはただただ困惑の表情を浮かべている。予想と違う反応に、俺もうまく言葉を喋れない。
「ごめんなさい。頂けません。私達天界の者は、この世界のものを身につける事は出来ないんです」
「えっ? そうなんだ……」
彼女はネックレスをまた箱にしまうと、申し訳なさそうに俺に返してきた。事情が事情だけに、これは受け取ると言う選択肢しかない。
天界に戻るのに地上の物を持っていけない――そこから、ひとつの可能性が導き出された。
「まさか、戻ったらここにいた記憶も消えちゃうって事はないよね?」
「それはないはずです。でも……」
「でも?」
フェリエルは会話の途中でうつむき加減に言い淀む。そんな意味深な反応をされたら、何か悪い事が起こるのかもと身構えてしまう。例えば、彼女の方の記憶が消えずに俺の方の記憶が消されるのかも知れない。十分に有り得る話だ。
俺がゴクリとツバを飲み込みながら返事を待っていると、彼女は今にも泣きそうな表情を浮かべる。
「復帰したら、私の事が見えなくなってしまうかも知れません。それはもう、いなくなってしまうのと同じ事です」
「そうなんだ……。良かった」
「え?」
フェリエルの目が点になる。どうやら予想外の返事が返って来て困ってしまったのだろう。俺は誤解を解こうと、すぐに彼女に笑顔を向ける。
「てっきり俺の記憶が消されるのかと思ったからさ」
「そ、それはないです!」
「俺は忘れないから。見えなくなったとしても、ずっと」
「タクトさん……」
俺の告白じみた言葉に、フェリエルも無言になった。しばらく見つめ合っていると、夕日が窓から射し込んでくる。何となくこれが合図のような気がした俺が夕日の射す方向に顔を見けると、そこには大きな羽を背中から生やした天使が佇んでいた。
「もう、よろしいですか?」
「うわあっ!」
何の気配もなくその場に出現していた謎の天使に驚いた俺は、思わず大声を張り上げてしまう。ご近所迷惑になってないといいけど……。
「タクトさん、この方は……」
「分かってる、お迎えが来たんだよな?」
「ええ、その通りです。今までフェリエルを匿っていただき、感謝します」
「は、はい……」
その天使はスーッと壁抜けをして部屋に入り込んできた。身長は2メートルくらいはあるだろうか。彫刻のような丹精な顔立ちでサラサラの金髪。肉体の均整がとれていて、芸術品のよう。まさに天使と言った雰囲気だ。
女性のフェリエルは可愛さの象徴のような天使だけれど、迎えに来た男性の天使はかっこよさを形にしたらこうなると言う感じだった。
迎えが来たのでパーティはおしまい。フェリエルは俺に向かって改めて深く頭を下げた。
「今まで有難うございました」
「こちらこそ有難う」
「え? 私何かしましたっけ?」
俺の返事を聞いた彼女がキョトン顔になる。俺はお礼をする理由を素直に話すかどうかを少し考えてしまい、変な沈黙の時間を作ってしまった。
ただ、結局それ以外の表現を思いつけなかったので、少しどもりながらも胸の奥の思いを吐き出す。
「き、君がいてくれただけで毎日が楽しかったから……」
「きっとまたいい出会いがありますよ」
フェリエルは社交辞令のようなテンプレな慰めの言葉を、笑顔と共に俺に向ける。それが少し淋しい。この時点で、俺と彼女は他人になったのだ。繋がりは切れてしまった。最初からこの日が来るのは分かりきっていたのに。
未練を断ち切れなかった俺は、思わず存在しない希望に縋る。
「もう、会えないのかな?」
「また会いに来ますよ。その時はもう感じられないかも知れませんけど……」
「そこだよ。どうにかならんかなあ……」
俺の無茶振りにフェリエルは困惑の表情を浮かべる。本当なら笑顔で送り出さないといけないのに、俺はまだ自分の気持ちを割り切れないでいた。
再び訪れた沈黙を破ったのは、ここまでずっと黙って待っていた迎えの天使だった。
「もういいですか? さあ、帰りますよ」
「はい」
迎えに来たのは多分上司的な存在の天使なのだろう。彼の一言にフェリエルは素直に従う。もう俺との生活に全く未練がないみたいに。
そんな彼女の変わりっぷりが、俺にはとても淋しく心に響いた。
「ずっといてくれよお! 帰らないで……」
「君も聞き分けなさい。人と天使は一緒には暮らせない」
「タクトさん、今まで有難うございました」
フェリエルは深々と頭を下げると、迎えの天使にと一緒にそのまま天上世界に帰っていく。失った背中の羽はイケメン天使が彼女に触れた途端にすーっと生えてきた。きっとそう言う仕組みなのだろう。
俺は空に登ってく2人の天使を、ただ見送る事しか出来なかった。
「終わっちまったな……」
フェリエルは去り、また平穏な日々が戻ってきた。元に戻っただけのハズなのに、何か物足りない。家もずっと広く感じてしまうし、とても静かになってしまった。話しかける相手がいないと言うだけで、こんなに淋しくなってしまうだなんて……。
あの時の彼女の言葉の通り、もう天使の姿を目にする事はなかった。もしかしたら近くにいるのかも知れないのに、全く感じられない。最初の内は頑張って感じ取ろうとしたものの、無駄だと気付いてからはそれもしなくなった。
フェリエルとの日々は幻のようなもの。そう自分に言い聞かせて――。
退屈な日々が続いて半年ほどが過ぎた頃、俺はふと空を見上げる。それは直感みたいなものだったのだろう。視線の先には、見覚えのある光がゆっくりと降りてきていた。
「まさか、まさかね……」
俺は自分の目を疑いながらも、気が付くとその落下地点に向けて駆け出していたのだった。
(おしまい)
空から落ちてきた物語 天使編 にゃべ♪ @nyabech2016
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