第4話 何か助けさせてください

 フェリエルが空から落ちてきて1ヶ月が経とうとしていた。相変わらず彼女は家事を手伝おうと何かある度に訴えてくる。とは言え、料理は危なっかしくて任せられないし、掃除や片づけもあまり向いてはいないようだ。洗濯も乾燥まで全自動だから手伝うと言うほどの手間じゃないし。

 インスタントのコーヒーとかなら作れるようにはなったけれど、そもそもコーヒーなんてほぼ飲まないから頼む事もなかった。


 俺的に言えば、帰る日が来るまでただいてくれるだけでいいんだけど……。そんな訳で、今日も彼女は俺に向かって同じ言葉を繰り返していた。


「お願いです。私にも何かさせてください。いつも良くしてくれて嬉しいのですが、申し訳ないです。罪悪感がのしかかってきます」

「大袈裟だなあ。そんな気にしなくても……」


 いつものらりくらりかわしていると彼女の気持ちを無視しているみたいで、それも悪い気がしてくる。そこで、俺は顎に手を乗せて何か手伝ってもらえそうなものがないか頭の中でシミュレーションを開始。

 しばらく頭の中でフェリエルに出来そうなものを想像していく内に、簡単でちゃんと役に立てる作業を思いついた。


「じゃあさ、買い物に行ってきてくれないかな? お金の計算とかは出来るよね?」

「お使いですね! まーかしてください!」


 彼女は胸を張って鼻息を荒くする。金銭のやり取りについてはたまに宅配での代引のやりとりで学んでいるので問題ないだろう。寄るお店はスーパー1件だけだから、どこかに寄り忘れるなんてミスもない。

 俺は買い物のリストを紙に書いて、お金と一緒に手渡した。


「じゃあ、お願い出来るかな」

「はい! タクトさんは家で待っていてくださいね!」


 こうして、フェリエルの『初めてのお使い』は始まる。1人での外出すら初めてだから不安がない訳じゃない。でも彼女は出来ると言ったのだ。その言葉を信じると言うのも大事な事だろう。

 地元の治安は悪くない。悪質なアクシデントに遭う事はないはずだ。まぁ彼女は天使だから、ナンパはされるかもだけど。


「見ず知らずの陽キャの軽い言葉に騙されて……いや、この辺りにそんな陽キャはいないはず」


 ちょっとだけ不安になってきた俺は、窓を開けて道を歩く彼女を目で追う。うん、出発時点では何の問題もなさそうだ。


「無事に帰ってきてくれよ……」


 俺は半ば祈りにも近い気持ちでフェリエルを見送る。ただ買い物をするだけなら長くても1時間くらいだろう。何も起こるはずがない。気がつけばやりきった顔で帰ってくるに違いないさ。

 俺は頭の中の邪念を振り払うために、お気に入りのコミックスを手に取った。読んでいる内に帰ってくると、そう自分に言い聞かせて――。


 その頃、彼女はスーパーに向かっていた。特にトラブルに巻き込まれると言う事もなく、周りの景色を楽しみながらリズミカルに歩いていく。この日は気候も良く、青い空に白い雲がのんびりと泳いでいた。


「とっても気持ちのいい天気。心が洗われます」


 家からスーパーまではほぼ一本道。徒歩で10分くらいの距離でそんなに遠くはない。これ以上遠ければ、俺だって徒歩以外の移動手段のない彼女をお使いには頼まなかっただろう。

 と言う訳で、まずはスーパーに到着すると言う第一のミッションは簡単に達成出来る――はずだった。


 スーパーが見えてきたところで、フェリエルは重い荷物を背負ってゆっくりと歩いているおばあちゃんを発見。すぐに彼女のもとに歩み寄った。


「重そうですね。その荷物、持たせてくれませんか?」

「えっ?」

「どこまで行くんですか? 私にお手伝いさせてください」

「悪いねえ……」


 フェリエルの天使の笑顔が伝わったのか、おばあちゃんは荷物を彼女に手渡す。そうして、目的地のおばあちゃんの家まで2人は楽しそうに雑談しながら歩いていった。


「どうも有難うねえ、助かったよ。上がってお茶でも飲んで行きなさい」

「いえ、私お使いの途中なので」

「そうかい、じゃあこれを持ってお行き」


 おばあちゃんはお礼だよとフェリエルにおまんじゅうを差し出した。それをポケットに入れて、彼女は手を振りながらおばあちゃんと別れる。今度はちゃんとスーパーに着いて、メモの通りの買い物を済ませた。

 これでミッションクリアと言う事で、フェリエルは小さくガッツポーズ。


「お使いって、結構楽しいな」


 彼女は買ったものをエコバックに詰めてスーパーを出る。後は家に帰るだけだ。それは簡単なミッションのように思えた。そう、道中で何も起こらなければ。

 行きで困ったおばあちゃんに出会ったように、フェリエルには困った人に出会う能力みたいなものがあるのかも知れない。帰路の途中でもまた、彼女は困った人に出会ってしまう。


「あの子も1人でお使いなのかな?」


 フェリエルの目に留まったのは3歳くらいの男の子。その子は何も持たずに不安そうに道を歩いていた。田舎の道は人通りも少なく、誰も男の子に気をかけない。フェリエルの天使センサーは彼が普通の状況でない事を感じ取る。

 こうなった後の彼女の行動は早い。すぐに男の子の側に駆け寄った。


「ねぇ、どこに行くの?」

「分かんない」

「お父さんやお母さんは?」

「分かんない」


 男の子は迷子だった。究極の困った人だ。フェリエルは彼の手を握って一緒に歩き始める。


「どこから来たか分かるかなぁ?」

「分かんない。僕の家はどこ?」

「お姉さんも分かんない。一緒に探そ」


 彼女は質問をしながら、男の子の心の動きをチェックしていた。会話の中から家の情報を探ろうとしていたのだ。子供の歩く範囲から考えてそんな遠くから歩いてきた訳ではないだろうと思ったフェリエルは、取り敢えず周辺をグルっと廻ってみる。


「見覚えのある景色が見えてきたら教えてね」

「うん」


 彼女は男の子を退屈させないように話を続ける。段々この状況に慣れてきた彼は、少しずつ笑顔を見せるようにもなってきた。やがて3つ目の信号を渡ったところで、2人の視界に交番が見えてくる。


「あ、交番が見えてきた。おまわりさんに挨拶してみよっか」

「うん」


 フェリエルは実物の交番を見るのはこの時が初めてだったものの、存在そのものは読書で学んでいた。彼女は初めて目にしたテーマパーク的な感覚で、躊躇なくその建物に向かって歩いて行く。

 と、ここで同じ交番に向かっていた女性が2人の存在に気付いて駆け出してきた。


「健人!」

「おかーさん!」


 女性は男の子の母親だった。迷子になった我が子を探していたらしい。2人が抱き合っている姿を見て安心したフェリエルは、すぐにその場を去っていく。彼の母親が顔を上げた時には、彼女はもうその場にはいなかった。


「あれ、あの子がいない。一言お礼が言いたかったのに」

「おねーさん、消えちゃった」


 その頃、フェリエルは帰宅ルートに戻ろうと少し速歩きをしていた。近道とかは分からなかったので、まず歩いてきた道を忠実に逆に辿り始める。と、ここで飼い猫らしき白い猫が彼女の目に留まった。


「あなた、もしかして……」


 天使の彼女は動物の言葉が分かる。正確に言うと超感覚で感情を読み取れるのだ。猫の不安な感情が伝わってきたので、すぐに側に行って優しく抱き上げた。


「大丈夫、一緒に探そう」

「……ャーン」



 感情を読み取れるので、この迷い猫の飼い主探しは割とスムーズに進む。ある程度近くまで来たところで、猫はフェリエルの胸から飛び出して勝手に帰っていった。


「ふふ、良かった」


 その後も彼女の近くには仕組まれたみたいに困っている人が続々と現れ、その全てに関わっていく。なので、必然的に帰宅時間は伸びに伸びまくってしまうのだった。


「遅い。いや、ちょっと遅すぎないか?」


 お気に入りの漫画を読み終えた俺が時間を確認すると、フェリエルが家を出て1時間以上過ぎている。嫌な予感がした俺は、彼女を迎えに行こうとすぐに玄関のドアを開けた。

 外に出てすぐに顔を左右に動かすものの、周囲に彼女の姿は見当たらない。不安が大きくなった俺は、すぐにスーパーに向かって駆け出した。


「ちょ、一本道だぞ? どうやったら迷うんだ?」


 急いでスーパーに向かったものの、当然店内にフェリエルの姿はなかった。何人かの店員さんに聞いてみると、1時間前には店を出たらしい。と言う事は、帰りの道中で何かがあったのだろう。


「まさか、本当にナンパされて……?」


 スーパーを出た俺はあてもなく周辺をただ歩き回る。何の手がかりもないのだから、それ以外に出来る事はない。刑事ドラマみたいに近所の人に聞き込みをすれば、何か手がかりが掴めるだろうか……。


「あ、あ、あ……」


 何度か話しかけようとしたものの、知らない人に話しかけるハードルを俺は超えられなかった。もたついている間にも時間は無情にも過ぎていく。途方に暮れた俺は、家から一番近い公園のブランコに腰を落とした。


「何やってんだ、俺」


 俺はブランコを支えるチェーンを両手で掴みながら視線を落とす。信用して送り出したのに、それがこんな最悪の結果を導き出してしまった。

 日が落ちて、空は茜色からゆっくりと彩度を落としていく。孤独さを際立たせるかのように、周囲ではほとんど音がしない。それもあって、俺の心はどんどん無に近付いていった。


 明るさを検知した街灯が道を照らし始める頃、誰かが沈み込む俺に向かって声をかけてきた。


「やっと見つけた! 捜したんですよもー」


 その声はさっきまで俺が聞きたかったもの。そう、フェリエルだ。彼女が俺を探していたと言う事はつまり、どこかで行き違いになってしまっていたらしい。

 いきなり捜し人の方から現れた事で、俺は自分の表情をうまく制御出来なかった。


「捜してたのはこっちの方だよ……。無事で良かった。て言うかずいぶん遅かったじゃんか。何かあったの?」

「あ、そうですよね。えっと、行く途中でおばあちゃんの荷物を持ったり、帰り道で迷子の子と一緒に歩いたり……」


 彼女は次々と人助けエピソードを語る。天使だけあって、困っている人がいたら見過ごせなかったようだ。俺は遅くなるなら連絡してくれと言う言葉をごくんと飲み込む。連絡も何も、連絡出来るツールを渡していなかったからだ。

 そこで、何とか心情を気とられないように無理やり笑顔を作る。


「……そっか。大活躍じゃん」

「待っている間にご飯作ったんですよ。でもまだ帰ってこないから捜してたんです。一緒に食べましょう」

「だ、大丈夫かよ?」

「大丈夫ですよう! 今までにも何度か作って腕も上がってるんですから!」


 料理の腕を訝しむ俺に、彼女は頬を膨らませてみせる。その仕草がおかしくてつい笑ってしまった。フェリエルはそんな俺を見て笑顔で手を差し出してきた。


「さ、帰りましょう」

「そうすっか」


 こうして俺達は家に戻る。ドアを開けた途端に奥の方から漂ってきたのは、とても美味しそうな匂いだった。


「カレーかぁ」

「タクトさんも好きですよね?」

「んー。匂いは合格かな」

「味だって合格ですよ!」


 こうして、俺達は彼女の作ったカレーライスを一緒に食べる。確かにその味は食べ慣れたお馴染みのカレーそのものだ。他人の作った家庭用カレーを久しぶりに食べたのもあって、つい食欲のままに何度もおかわりをしてしまう。

 そんな俺を、フェリエルはずっとニコニコと笑って見つめていたのだった。

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