あの世の沙汰

藤野 悠人

あの世の沙汰

 いやはや、昨今の労働環境の凄まじさたるや、地獄と形容するに相応しい。みんな青白い顔をして、ある人は電車に揺られ、ある人は車を運転し、またある人は自転車やバイク、なんなら徒歩で、それぞれの仕事場へと出勤していく。死んだ魚のような目、なんて言葉があるが、まさに通勤するゾンビの群れでも見ているような気分だ。


 こう語ったのは、極楽で悠々自適な生活を送るお釈迦様その人である。


「あんたは気楽でいいよな」


 あの世の入り口で、死んだ人間の生前の罪を裁く裁判所に勤める閻魔大王は、そうボヤきながらジョッキに残ったビールをグイッと飲み干した。


 ここは、あの世の大衆居酒屋だ。閻魔大王に釈迦如来、地獄の鬼や獄卒に、天界の聖人や天使などなど、あの世の方々御用達のお店である。というか、あの世にも大衆居酒屋なんてものがあることの方が驚きだ。


 ジョッキのビールが空になったので、閻魔大王とお釈迦様は生ビールをふたつ追加注文した。新しく運ばれてきたジョッキには、キンキンに冷えたビールがなみなみと注がれており、表面はしっかりと泡立っている。


「わしは毎日毎日やってくる死んだ人間の裁判で忙しいというのに」


 閻魔大王のボヤキに、お釈迦様はビールをグイッと一口飲み、赤くなった顔を更に赤くしながら反論した。


「失礼だなぁ、閻魔さん。私だってちゃんと仕事はしてるんですよ?」

「へぇ、じゃあ今日は何やってたんだい」


 閻魔大王は、さして興味も無さそうにそう言いながら、焼き鳥に手を伸ばした。居酒屋らしく様々な種類の焼き鳥があるが、彼のお気に入りはオーソドックスな「ネギま」である。


「蓮池の縁に立って、こう、現世の人間社会を観察していたんですよ」


 お釈迦様は、大げさにジョッキを覗き込むようなフリをしながら答えた。閻魔大王は呆れ顔だ。


「つまり、暇潰しだろう?」

「まぁ、そうとも言うかもしれませんねぇ」


 飄々としたお釈迦様に、閻魔大王はがっくりと肩を落とす。まぁ、それも無理はない。


 このお釈迦様も、極楽では一番偉い人として、一昔前は閻魔大王と一緒になってキリキリ働いていた。しかし、時と共に部下が増え、その部下たちが優秀過ぎて自分の仕事がなくなり、気付けば悠々自適な印税暮らしという、どこぞの隠居した作家のような暮らしを送っているのである。あるいは、第一線を退き、役員報酬で生活する経営者か。まぁ、どちらも似たようなものだろう。


 ところで、お釈迦様の印税はどこから来るのかって? そりゃあ、経典とか、お経の台本とか、人間界で写経された紙とかですよ。神様の印税と言うのは、人間の信仰そのものと、昔から相場が決まっているんだから。


―――


 さて、閻魔大王はと言うと、明くる日もいつものように、あの世の裁判所に出勤した。人間社会で言うと、朝8時半といったぐらいの時間である。生真面目な彼の人柄通り、もう何百年も同じ時間に出勤していた。


 閻魔大王は、あの世の裁判所の中では特に高い職である裁判長を務めていた。加えて、地獄の運営管理、罪人に責め苦を与えるための手続き、極楽行きとなった死者の引き渡し手続き、獄卒と呼ばれる、地獄で罪人に責め苦を与える労働者たちの人事などなど、その仕事は多岐に渡っていた。つまり、とても忙しい神様なのである。


「閻魔様、おはようございます」

「うん、おはよう」


 廊下ですれ違う部下たちに挨拶しながら、閻魔大王は自分のデスクに着いた。デスクの上には、彼の多忙さを示すように、たくさんの書類が置かれている。


 先ほど、閻魔大王はとても忙しい神様だと言ったが、そんな彼でさえ、あの世全体の運営管理をしている偉い神様たちにとっては、地獄を任せているだけの部下に過ぎなかった。早い話が中間管理職なのである。


 時計を見つつ、今日の仕事のスケジュールを確認しているときだった。


「閻魔様、閻魔様~!」


 なにやら慌てた様子で、ひとりの赤鬼が走ってきた。あの世の裁判所に努める獄卒のひとりだ。あの世、特に地獄出身の鬼は、そのほとんどがブルーカラーの仕事に就いている。しかし、この赤鬼はデスクワークをする人物と見えて、服装はワイシャツにスラックス、ネクタイもきちんと締めて、顔には四角い眼鏡を掛けていた。


「おぉ、どうしたんだ。朝から騒々しい」

「大変なんでございます。こちらをご覧ください」


 赤鬼が出したのは、広辞苑ほどの厚さがある一冊の帳簿だった。それを見て、閻魔大王は頭を抱えた。


「またか! 今世紀に入ってずっとこの調子だ!」


 赤鬼が持ってきた分厚い帳簿は、死んだ人間のことが書かれている帳簿だった。閻魔大王は、ここに書かれた情報や罪状を元に、死んだ人間の行き先を決定する。だが、赤鬼が持ってきたそれは、ただの死人の帳簿ではない。


 それは、本来ならまだ死ぬはずのない人間の帳簿なのである。


 人間には本来、寿命というものがある。そして、その寿命めいっぱいまで生き、最期には老いて死ぬことを「天寿を全うする」と表現する。中には、病気によって死ぬことが、寿命として定められている人間もいる。


 しかしもちろん、多くの方が想像している通り、人間の死因というのは様々だ。事故に遭ったり、事件に巻き込まれたり、ひどい場合は恨みを買って殺されたり、実に様々な理由で、あの世にやって来る人間は数多い。そう言った人間は、本来の寿命よりも早くあの世に来てしまったことになる。


 しかし、ここ最近は、あの世へとやってくる寿命未満で死んだ人間の数が、爆発的に増えていた。ひとつは、人間たちの人口増加。そしてもうひとつは、いま人間社会で大問題になっている自殺者の増加だった。


 人間、引いては生き物というのは、どんな時であっても、出来るだけ生き延びようとするものだ。それが生き物のさがというものである。しかし、人間というのはどういうわけか、色々な条件が重なった結果、自ら死を選んでしまうことがある。そして、ここ数十年ほどでその数は爆発的に増えており、本来の寿命帳簿にない人間がどんどんとあの世に押し寄せてきているのだ。


 こうなれば地獄も堪ったものではない。三途の川の向こう岸は、もう死人で溢れかえっている。三途の川の渡し守は、船にぎゅうぎゅうに死者を詰め込んで運ぶが、それでも間に合わない。ついには今世紀に入って、4隻も船がダメになってしまった。休み無しの重労働に、船の漕ぎ手たちからも不満が噴出している。しかし、死人の数は増える一方。今やあの世にとって、この死人の対応が急務だったのである。


「やれやれ、これまた随分な人数になってしまったものだ……」


 閻魔大王は目薬を差しながらボヤく。今世紀に入ってから、日々増える書類仕事に追われ、眼精疲労もひどくなる一方だった。今や目薬は、彼にとって手放せない相棒になっていた。


―――


 そんなことが続いていた、ある日のこと。今日もあの世の居酒屋で、閻魔大王とお釈迦様がいつものように一杯やっていた。


「ふむ、なるほど。確かにここ何十年か、さいの河原が騒がしいですねぇ」

「そうなんだよ。三途の川の渡し守の船でも、さばき切れなくてね」


 賽の河原というのは、死んだ人間が最初に辿り着く、大きな河川敷のことだ。目の前には大きな大きな三途の川が流れており、三途の川の向こう岸にはあの世の裁判所、そしてその先こそ、大きな罪を犯した罪人たちに責め苦を与える地獄である。


 しかし現在、その賽の河原は死んだ人間で溢れかえっていた。三途の川の渡し守の船にも、当然ながら乗せられる人数には限界がある。次から次へと乗せていたのでは、あっという間に定員オーバーだ。


 そんな次第で、向こう何年かは待ってくれ、なんて言われてしまった死人がごまんといるという有様であった。


 こうなれば、死人たちは暇で暇で仕方がない。何せ、そこはあの世。テレビも無ければ、ネットなんてあるわけもない。当然、周りはだだっ広い河川敷が広がっているばかりで、コンビニの一軒すらありゃしない。第一、賽の河原にコンビニなんて建てたって、死人はみんな文無しである。三途の川を渡る時に、渡し守に支払う六文銭ならあるが、当然それをコンビニで使うわけにもいくまい。商売する以前の問題なのだ。


 三途の川の渡し守の報告によれば、待ちくたびれた死人たちが賽の河原に落ちている石を集め、程よい岩を台にして、オセロやら、囲碁やら、将棋やらを始めてしまっているらしい。


 余談だが、以下は最近聞いた、三途の川の渡し守からの報告である。


 なんでも、現世のとある雀荘でガス爆発が起き、店に入っていた客が大勢死んだ事故があってから、数日後のことであった。賽の河原のそこかしこで、いつものように死人たちが、大きな岩を囲んでボードゲームに興じていた。いつもは2人で向かい合わせに座っている者が多いのだが、最近は4人で岩を囲むように座っている者が多いそうだ。しかもどこから持ってきたのか、薄い木の板に、何やら数字を書き込みながら遊んでいたらしい。


「おい、いつもと様子が違うな? みんな新しい遊びでも始めたのか?」


 渡し守の言葉に、ひとりの死人が答えた。


「最近、麻雀が流行ってるんですよ」


 どうやら、あの世の河川敷にも流行というものがあるらしい。


 閑話休題。閻魔大王のボヤキは続く。


「今世紀に入ってからずっとこの調子で、死人の帳簿ばかり分厚くなっているんだ。どうにか良いアイデアはないかね」


 閻魔大王の言葉を聞いたお釈迦様は、ふっふっふ、と不敵な笑みを浮かべた。


「閻魔さん、こういう時は逆に考えるんですよ」

「逆?」


 お釈迦様の言葉に、閻魔大王は首を傾げる。


「そう、逆です。今までは死人を船に乗せて、裁判所まで運んでいたわけでしょう? しかし、それでは時間も手間もかかる。逆に考えるんですよ。つまり、死人に裁判所まで来てもらうんです」


 お釈迦様の言葉に、閻魔大王は呆れたような顔をしてため息をついた。


「何を言っているんだい。死人は三途の川を泳げないんだぞ。だから船を出す必要があるんじゃないか。まさか、川の上を歩け、とでも言うのかい」

「誰が川の上を歩けと言ったんですか。西の方で神様やってるイエスさんじゃないんだから」


 お釈迦様はカラカラと笑いながら、また一口酒を飲む。ちなみに、イエスというのは皆さんご存知、イエス・キリストのことである。彼は生前、海の上を歩いたらしい。


 お釈迦様は得意になって続ける。


「地獄で責め苦を受けている罪人の中には、生前に建設業をやっていた者もいるでしょう?」

「うん? あぁ、そうだが」

「三途の川に橋を架けてしまえばいいんですよ」


 閻魔大王は思わずジョッキを取り落しそうになった。三途の川に橋を架ける。そんなこと、今まで考えたこともなかった。目からうろことは、まさにこのことであった。


「実は閻魔さん、もののついでに。蓮池を通して現世を眺めているときに、良いものを見つけちゃったんですよ、私」

「なんだい、それは」


 閻魔大王は思わず身を乗り出した。お釈迦様はもったいぶったように酒を一口あおってからこう言った。


「いまの人間界では、駅の改札を通るときに、『あいしーかーど』なる札を使って、ピッっとやったら一瞬で通れるそうなんですよ。地獄は未だに六文銭などは手渡しでアナログでしょう? 時代は『おーとめーしょん』ですよ」


―――


 お釈迦様からその話を聞いた閻魔大王の対応は早かった。まず、生前に大工や建築の仕事をしていた罪人たちを駆り出して、三途の川からあの世の裁判所までを渡す、巨大な橋の建設が始められた。閻魔大王の命令で、かなり急がされた。死人はすでに死んでいるから、昼夜を問わない突貫工事だったそうだ。現場監督になった罪人が、閻魔大王に確認をした。


「工期はいつまでですか」


 閻魔大王は憮然としてこう言い放った。


「お前たちが出来る最速で造れ。サボったら、地獄で責め苦を受ける期間を延長する」


 この無慈悲極まりない命令に、監督以下、現場の罪人たちはシャカリキになって働いた。以下、某漫画の某地下帝国も真っ青な労働を強いられた、罪人たちの嘆きである。


「こんな無茶苦茶な工事、初めてだ……」

「まさか死んでも現場に出る事になるとは……」

「ダメだ、腹減った、眠い。力が出ねぇ……」

「どっちが地獄の責め苦か分かりゃしねぇよう……」


 更に、生前に機械技術者だった人間を総動員して、超特急で様々な機械化が進められた。その作業の過酷さたるや、人間界でいうところの、納期が迫った時期に行われる、サラリーマンたちの無茶な追い込み――いわゆるデスマーチ――の方が楽という有様であった。ここでも、罪人たちは悲鳴を上げていた。


「あの会社の方がホワイトだった……」

「納期前のオフィスの方が平和だった……」

「エナジードリンク飲みたい……」

「俺、コーヒーがいい……」


 やれやれ、閻魔大王にも困ったもんだ。これが人間界なら、労働基準監督署は黙っていないだろう。並み居るブラック企業経営者も真っ青だ。いや、無限の労働力が手に入るということなら、喉から手が出るほど欲しがるだろうか。


 とはいえ、それからしばらくの間、地獄では責め苦を受ける罪人たちの悲鳴と、死んでなお労働する罪人たちの呻き声とで、以前にも増して賑やかだったそうな。これが本当の地獄の労働である。


―――


 さて、三途の川に立派な橋が架かるのに、大して時間はかからなかった。生前に大工や建設の仕事をしていた罪人たちの汗と涙と努力、そして無茶苦茶な労働の賜物である。橋の近くにはご丁寧に『死んだ人間の方は、この橋をお渡りください。』と札まで立てられている。


 閻魔大王は、思っていたよりもずいぶん立派な橋が完成したことに驚いた。何より、働いていた罪人たちは、不平不満を口にしながらも、毎日しっかりと、かつ丁寧に仕事をこなしていた。理由を聞いてみたところ、


「いや、その……つい習慣で」


との答えだった。どんな場所であれ、自分の満足いく仕事をしっかりとこなしてしまう職人の仕事ぶりは、あの世でも健在だったようだ。


 橋を渡った罪人たちが行き着くのは、これまた立派なあの世の裁判所。入口にはいくつものタッチパネル付きの自動改札機が並んでいる。一枚のお札のようになった六文銭をパネルにタッチすれば、ノーストップで裁判所に入場、という寸法だ。


 するとまぁ、これまで賽の河原にいた大勢の人間たちが一気に押し寄せるもんだから、大変なのはあの世の裁判所だった。これまでのように長ったらしい罪状を読み上げていては、とてもではないが、閻魔大王の仕事が終わらない。


 もちろん、これを見越していたお釈迦様は、閻魔大王に新しいアドバイスを送っていた。それが、『罪状カード』なるものの発行だ。


 あの世の裁判所に入った死人たちは、入り口にある受付で、自分の名前や生年月日などを記入する。するとあら不思議、死人の生前の行いなどが一枚のカードに収まった、『罪状カード』が自動的に発行される仕組みだ。表面にはバーコードがあり、閻魔大王はそれをバーコードリーダーで読み取って、次々と死人たちを裁いていった。


「うん、あんたは針山地獄。うん、次のあんたは血の池地獄。次のあんたは……あぁ、極楽行きだね。あっちの天使の案内に従いなされ」


 とまぁこんな感じで、死人たちの行き先の決定は、流れ作業でどんどん処理されるようになっていった。現世の裁判所でこんなことやれたもんじゃないが、生憎とここはあの世。現世の司法のルールなんざ知ったこっちゃないのである。


 さて、これで一件落着と思われたあの世の改革だが、これでは終わらなかった。


 次に大変になったのが、罪人に責め苦を与える地獄の現場である。お上である閻魔大王が決定した機械化の影響により、今までの比にならない人数の罪人がやってくるようになった。こうなると、獄卒たちも堪らない。毎日毎日、ヒーヒー言いながら罪人たちに責め苦を与えていく。休む暇なんてありゃしない。お上の決定に現場が振り回されるというのは、どこの世界でも同じらしい。


「閻魔様、大変です! 針山地獄の獄卒たちが、労働環境改善を訴える署名を持ってきました!」

「閻魔様、大変です! 焦熱地獄の獄卒が大勢倒れて、労災の許可を出せと!」

「閻魔様、血の池地獄の獄卒たちがストライキを!」


 こんな感じで、地獄の各所からクレームが来るようになった。これには閻魔大王も頭を抱えた。もう何百年もこの環境でやってきて、今更なにを変えよというのだ。


 そこで、再びお釈迦様に相談した。


「ふむ……閻魔さん、こんな話を聞いたことありますか? 現世では、まるで家畜のように会社にこき使われ、身も心もボロボロになりながら、それでも働き続ける『社畜』と呼ばれる人種がいると。そう言った人間たちを、労働力として雇い入れたらどうでしょう」


 これには閻魔大王も手を打って納得し、さっそく人事部に新しい窓口が設置された。名付けて、「死人採用専門窓口」である。死んで地獄へやってきた罪人たちを、労働力として採用するためだ。もちろん、面接などはない。採用理由は、「まだ働けそうだから」のみ。さすがは地獄である。死んだ人間も、死んでまで労働をすることになるとは思うまい。


 しかし、さすがにタダというわけではない。地獄だろうが極楽だろうが、そこで働いている獄卒や天使たちには、きちんと給料が支払われている。たとえ罪人であっても、働いた者には給料を支払う。閻魔大王は、妙なところで真面目だった。


 獄卒としてリクルートされた罪人には、多少の給料と、働いた分だけ地獄での責め苦を免除する権利が与えられた。これには多くの罪人たちも喜んだ。もちろん、獄卒の仕事はほとんどが肉体労働。あの世のブルーカラーの中でも最低賃金クラスの職業である。


 だが、現世でブラック企業に勤め、過労死した罪人たちは、口を揃えてこう言う。


「生きていた頃の会社に比べたら、ここの方がずっとホワイトだ」


 この発言には、さすがの閻魔大王も戦慄したそうな。


―――


 さて、新しい労働力も確保して、これから順調に進むはずだった地獄の運営。だが、そうは問屋が卸さない。


 実は、地獄でこれまで行ってきた罪人への責め苦が、かなりのどんぶり勘定だったことが判明したのだ。ちなみに、気付いたのは死んで新しく雇われた罪人たちである。


 これまで適正な年数の責め苦を受けない者がいた一方で、本来の年数よりも長く責め苦を受けていた者もいたのだ。これでは効率的に罪人への責め苦が行えない上に、公平性に欠ける。そこで、新たに導入されたのが「責め苦カウンター」だった。罪人ひとりひとりに専用のカードを持たせ、各地域に設置されたタッチパネルにタッチさせる。すると、その罪人が受けるべき責め苦の期間が、カウントダウン形式でちゃんと表示されるというものだ。


 獄卒たちも細かい計算が減って、これまで以上に楽ができるようになった。


 しかしながら、ここでも問題が発生した。


 なんと、それぞれの責め苦がきちんと適性に運用されているか、各地域がきちんとそれをこなしているか、それらを閻魔大王に連絡する手段が無いことが判明した。これを受けて、またまた閻魔大王はお釈迦様に相談した。


「あぁ、そういうことなら」


 お釈迦様は得意そうに言った。


「地獄の各地域を取りまとめる現場責任者を作ればいいんじゃないですか。現世の工場などでは、そういった役職を作って、しっかりと現場を回しているらしいですよ。いやぁ、人間たちの仕事熱心ぶりには、目を見張るものがありますねぇ」


 それを聞いて、さっそく地獄の各地域で、現場を取りまとめる現場監督を任命することになった。各現場に聞き込みを行い、それらの意見を参考にして、閻魔大王が直々に人事に関わって決定された。これによって、現世では当たり前となっている、人材評価制度の出来上がりである。もちろん、よく働いた者は給料や手当が上がり、そうでない者は、いつまで経っても最低限の給料しか貰えなくなった。


 すると、またまた新たな問題が浮上してきた。


 なんと、これまではっきりとしていなかった獄卒たちの仕事ぶりが、浮き彫りになったのである。真面目に働く者もいれば、そうでない者もいた。現場監督は、真面目に働かない者への注意勧告などを行ったが、効果の薄い者もいる。


 さらに、新しく配属された新人獄卒への教育にも問題があった。どういった手順で責め苦を与えるのか、罪人が逃げ出そうとした場合は、どのように対処すればいいのか、そう言ったマニュアルがまったくなかったものだから、地獄の各所でいい加減な仕事が横行していたのだ。「罪人に適切な期間の責め苦が与えられない」という問題も、ここに大きな原因があったのである。


 閻魔大王は、自分たちが長年やってきたことはなんだったのかと、地獄の存在意義に大いに悩むことになったそうな。


―――


 さて、人事評価制度も取り入れた地獄だったが、現世にはこんな言葉がある。働かざる者、食うべからず。閻魔大王は思い切って、獄卒たちの大量解雇を実行した。そう、なんと地獄にも、大量リストラの波がやってきたのである。


 効率的な労働、そしてあの世のお財布事情も考えれば、それも止むを得ないのかもしれない。しかし、こんなことが地獄でもまかり通るとは、なんとも世知辛いものである。


 当然、長年地獄で仕事をしてきた獄卒たちは抗議した。


「ここの仕事をクビになって、明日からどうやっておまんま食って行けばいいんだ!」


 しかし、閻魔大王の言葉は無慈悲だった。


「あの世の者が、飯を食わないくらいで死ぬわけないだろう」


 そして、あの世における大量リストラは、ここに実行されたのである。皮肉なことに、元々あの世出身だった獄卒の大半が解雇され、新しく雇われた元・人間の獄卒はほとんどクビにならなかったそうな。


 その後、地獄の各所では仕事をなくした獄卒や鬼たちが溢れた。どうにか再就職をしようにも、今までずっと現場の仕事しか知らなかった者たちだ。なかなか新しい仕事にはありつけなかった。


 更には、再就職を諦めてニートになってしまう者たちまで現れたそうな。そして、彼らに新しい仕事を紹介するハローワークや、新しい仕事の技術を教えるための職業訓練所まで出来たというのだから、丸きり現世と同じである。


 そして、年々進む機械化の波に襲われ、地獄でもニートや福祉制度の不備が社会問題化するのだが、それはまた別のお話。


―――


 さて、凄まじいスピードであらゆる改革が進んだ矢先のことだった。


 ある日、閻魔大王がいつも通り出勤して、裁判に向かう途中、うーんとうなってそのまま倒れてしまった。これには、地獄の獄卒たちも大慌て。すぐに極楽の救急隊に来てもらった。天使たちに担架に乗せられ、閻魔大王は極楽の病院へ緊急搬送された。


 診察したのは薬の神様であり、病気を治す神様でもある薬師如来。丸一日かけて診察と検査をした結果、意外な診断がくだった。


「過労ですね。それに、最近座りっぱなしじゃなかったですか? エコノミークラス症候群の疑いもあります」


 そう言われて、閻魔大王は確かに心当たりがあった。というか、心当たりしかなかった。急速に進む地獄の改革、あれやこれやの手続きと、それに伴う書類仕事。上司である偉い神様への報告。その上、座りっぱなしで流れ作業のように行われる死人たちの裁判。裁判所へやって来る死人はまだまだ多くて、裁いても裁いてもキリが無い。


 当然その間、閻魔大王はほとんど椅子に座りっぱなしで、休憩時間も惜しんで仕事をしていた。具合が悪くならないはずはなかった。


 いやはや、あの世の神様でも過労で倒れたりするんだから、やっぱり生きている人間は、ちゃんと休まないといけないんですなぁ。


―――


 それからしばらくして、閻魔大王は天界の病院から退院した。そして、いつかのようにお釈迦様とふたり、あの世の居酒屋で飲んでいた。


「いやはや閻魔さん、大変でしたね。まぁまずは、退院おめでとうございます」

「ありがとうよ、お釈迦さん」


 閻魔大王はそう言って、ビールの入ったジョッキを傾けた。少しやつれたように見えるのは、気のせいではないだろう。


「まったく、まさかこのわしが過労とはなぁ。こんなことは、この仕事を始めて数百年、初めてのことだったわい」

「閻魔さんが病院に担ぎ込まれたと聞いたときは驚きましたよ。あなた、健康診断はいつだって正常値じゃないですか」


 閻魔大王は疲れたように頷きながら、焼き鳥を頬張った。


「仕事のし過ぎは毒ってことだねぇ。今回のことでよく分かったよ」

「私はもうずいぶん長いこと、現場からは遠ざかってしまいましたねぇ。部下の天使や聖人たちが、みんな優秀なもんですから」

「おまけに、あんた今、印税暮らしだろ? 全く気楽なもんだよ。地獄にゃ聖典なんてないんだから、こっちはキリキリ仕事をしているっていうのに」


 のん気そうなお釈迦様に、閻魔大王は盛大なため息をつく。お釈迦様が忙しくしていたのは、もうずいぶんと昔のことだ。


「いやぁ、ずっと暇なのも辛いものですよ? 私が部下たちになんて呼ばれてるか、知ってます?」

「なんて呼ばれてるんだい」

「釈迦如来ならぬ、釈迦ニートですって」

「失礼極まりないな」


 そんな話を肴に、二人は長いこと飲んで、語り合っていた。その姿はまさに、現代に生きる我々と、全く同じだったそうな。

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