第9話
まずは身体を楽器として使えるように、準備運動をすることになった。
主に上半身のストレッチ、閉じている身体を開き、肩甲骨を入念にほぐすことで、呼吸と声帯振動、共鳴をコントロールできるようになるらしい。
そんな事、全然考えたことなかったな。
「準備ができたら、呼吸のトレーニングをしてみようか」
呼吸...
呼吸って、トレーニング対象のものなの?
「声は声帯を通る空気の流れで出るものだから、呼吸はその発生源、一番大事なものなのよ?」
なるほど。
「吐く息を強く、長く、瞬時にコントロールできるようになれば、キミの歌声は劇的に変化するはず」
と、MAXブレストレーニング、スピードブレストレーニングというものを教えてもらい、ひたすらスーハーしまくると、確かにトレーニングというだけあって結構疲れた。
このトレーニングは普段からやるようにと言われた。
「あの、中西さんはどういう人なんですか?」
普段、中西さんに面と向かって聞くことができなかったので、藤堂さんに聞いてみた。
「え?妙のこと知らないの?」
と驚いたような顔を見せてから、中西さんのことを色々話してくれた。
「彼女は端的に言って天才よ」
歳は今28歳くらい、家がカラオケ店を経営していて、子どもの頃から歌を唄っていたらしい。
そして、特に楽器の経験もないまま、作曲やアレンジをするようになった。
今はパソコン一台あれば大抵のことはできるから不思議ではないのだけど、彼女の作る曲の完成度は世界レベルのクオリティだったそうな。
ただ、時間だけは掛かる人で、一曲に数ヶ月、長いと一年費やすこともあったという。
それでも、どうしても彼女に曲を作って欲しいというオファーが数十件来ていて、一生分の仕事を抱えている状態なのだそうだ。
「そんな中、キミの歌をアレンジしたいだなんて、そんなにスゴい曲なのかしら」
「いえいえ、あれは見よう見まねで作った曲で、そんなスゴい人の目に留まるようなものではないんですが」
「じゃあ、何か別の理由がある、のかな?」
ん?
確かに大したことのない曲をわざわざアレンジしてくれるということは、曲以外に理由があるのかもしれない。
って言っても何も思い当たらないなぁ。
僕を好きになっちゃった説はとっくに消えてるし。
中西さん、いつもめちゃめちゃ敬語だしなあ。
こうしてボイストレーニングの一日目は終わり、次のレッスンの予約をして、家に帰った。
何かに打ち込むなんて久しぶりだ。
中学、高校時代は親父がやっていた影響でバドミントン部に入り、それなりに頑張ったものの、大した成績は残せなかった。
社会人になってからは、仕事が忙しいこともあって、ほぼ何もせずに過ごしてきた(一応バドミントンは続けていたけど)。
前からカラオケは好きだったけど、大人数で行くと、なかなか唄う機会が回って来ないので、いつも不完全燃焼だった。
だから、ヒトカラで思う存分唄うことに、はまった。
ただ、採点で点数を上げることは楽しかったけど、自己満足でしかなく、歌手として唄うなんてことは考えたこともなかった。
でも、今回思いがけずCDを作ることになって、ボイストレーニングも始めて、もしかしたら僕にも何かできるのかもと、自分に期待を持てるようになった。
今まで人生に期待することなどなかったから、これは驚きでもあり、ワクワクする体験だった。
次のレッスンでは、ナチュラルボイストレーニングということで、自分の地声を活かす方法を教わった。
一番出しやすい声でもあり、個性でもある地声をどの音域でも、どの声量でも出せるようにするということで、リラックスして力を入れないことが重要だそうな。
力強い声を出そうとすると、力が入ってしまうが、力を入れると声が濁ってしまうから、あくまで力を抜きつつ腹から声を出す感じで声を厚くするのがコツ。
最初はあまり声が出ない感じだったけど、だんだんコツが分かってきて、力強い声が出せるようになってきた。
これ、気持ちいい!
この声で、盛り上がるところで力強く唄えたら楽しそうだ。
次のレッスンでは、ビブラートを教えてもらった。
実はビブラートは苦手で、やってるつもりなのに採点でもビブラートと判定されないので、ほとんど使わなかった。
「何かにがっかりした時、あーあっていうじゃない?あれがビブラート一回分ね」
なるほど、あーあの間に一回音程が下がってまた上がってる。
「それを繰り返せばOK。最初はゆっくりでいいから、少しずつスピードを上げていってみて」
あーあーあーあ、最初はゆっくりしかできなかったけど、だんだん早くできるようになってきた。
何かプロの歌手のビブラートと違うような気もするけど、これが基本ということなのだろう。
ちょっと難しいけど、できるようになりたいから頑張ろっと。
僕は知らない内にレッスンにかなりはまっていた。
ヒトカラ 清水坂 孝 @hiro_ku1394
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ヒトカラの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます