第4話

   

 午前三時になりました。

 フラワー・シーフの予告状は「日曜深夜」という曖昧な表現なので、一応明け方まで見張りを続ける予定になっています。

 それでも、同じ場所で同じ姿勢を長時間続けるのは辛く、赤羽根あかばね探偵はふと立ち上がって、奥の部屋へと続く扉に歩み寄りました。

 ガラスの小窓がついた分厚い扉です。小窓を通して、先ほどから室内の様子――壁に飾られた絵画『花園』――も見えています。

 だから問題は何もない。そう思ったのですが……。

「……ん?」

 小さな違和感を覚えます。

 彼の表情が変わったのに気づいて、辺周べしゅう警部が声をかけてきました。

「赤羽根くん、どうしたのかね?」

「何かあったのですか、るいと先生?」

 いつの間にか蘭華らんか助手も居眠りから目覚めていたようです。

 小さく苦笑した瞬間、赤羽根探偵は違和感の正体を悟り、大声で叫びました。

「これは絵だ! 室内のリアルタイムの状況ではない!」


 小窓に設置された一枚のガラス。数日前に確かめた時は確かに透明なガラスでしたが、今は違いました。

 誰かがすり替えたのでしょう。「壁に『花園』が飾られている」という様子を描いた、精巧なガラス絵画になっていたのです。

 元々、手前の部屋で見張るプランの前提にあったのは、そこからでも小窓を通して展示室の中が見えることです。

 しかし赤羽根探偵たちが見ていたのは、展示室の様子ではなかった。これではブラインド状態です。確かに誰も入れないはずの部屋ですが、もしも侵入者がいて、中で怪しげな活動をしたとしても、赤羽根探偵たちにはわからなかったのです!

「まさか、そんな馬鹿な……!」

 星野ほしの氏は真っ青になり、鍵で扉を開けて、奥の部屋に飛び込みます。

 でも大丈夫でした。アデラール・アベラールの『花園』は、きちんと所定の位置にありました。

「よかった……。驚かせないでくださいよ、まったく……」


 朝まで待ちましたが、フラワー・シーフは現れませんでした。

「ありがとうございます! おかげで助かりました!」

 怪盗は下準備として小窓のガラスに細工したけれど、赤羽根探偵に見抜かれたため、諦めて逃げ帰った……。星野氏は、そう解釈したようです。

 後日。

 星野氏からの礼状が赤羽根探偵事務所に届き、

「これで事件は一件落着ですね」

 コーヒーを入れながら、蘭華助手も微笑むのですが……。

 赤羽根探偵の中には、一抹の不安が残りました。

 ならば、あのガラス窓の一件は何だったのか、と。


「もしかしたら、私たちが見ていない間に、偽物とすり替えられたかもしれない」

「嫌なこと言わないでください、赤羽根さん」

 星野氏は一応アドバイスに従って、アベラールの絵に詳しい鑑定人を何人も招きましたが、全員が「間違いなく本物」と証言したそうです。

 ただし星野氏には「絵画が傷つくから、絶対に触らせたくない!」というポリシーがあって、アルコールテストなどの科学分析は拒否。

 この点が、赤羽根探偵の心配でした。

 ガラス窓の絵はあれほど精巧だったのだから、腕の良い絵師が犯人の仲間にいるはず。星野氏が科学分析を断るのも計算に入れれば、専門家の目を欺くほど本物そっくりの贋作も描けるのではないか。

 だとしたら、現在あの部屋にある『花園』は、フラワー・シーフがすり替えた偽物かもしれない……。


「るいと先生、どうしました? 今日のコーヒー、まずかったですか?」

 不思議そうに蘭華助手が尋ねてきたので、赤羽根探偵は、作り笑顔を浮かべました。

 考えても答えが出ない問題を考え続けても無駄だから、この件はキッパリ忘れて、もう終わりにするべき。

 そう心に決めて、赤羽根探偵は蘭華助手に返事します。

「いや、大丈夫だ。君も飲みたまえ、森杉くん」




(「花泥棒は絵泥棒」完)

   

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花泥棒は絵泥棒 烏川 ハル @haru_karasugawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ