汝、支配種たる者

湾多珠巳

汝、支配種たる者




「なんてむごい……」

 言葉がそれ以上続かなかった。目の前の残酷な光景に目を覆いたい気分だ。上がってくる報告にはきちんと目を通して、私なりに実情を把握してきたつもりだったが、想像と現実との間に、かくも天地ほどの違いがあるとは。

 私は鉄道会社の保守管理部門で保守課長を務めている。ついさっき緊急の連絡を受け、脱線事故の現場へ向かうべく、救急車代わりの作業車両を走らせているところだ。

 三キロ先の事故現場はかなりの惨状らしい。だがそのずっと手前で、私は思いがけず、数十体にも及ぼうかという痛ましい鉄道事故の犠牲者たちと対面することになった。

 野生動物の轢死体である。樹々の中を真っ直ぐに伸びる単線の線路、その両側のあちこちに、列車に跳ね飛ばされて朽ちるがままになっている遺体が、累々と横たわっているのだ。

 こういうアクシデントが連日起きていることは聞き及んでいた。早々に手を打たなければ、とも思ってきた。しかし……目の前の動物たちに対し、いったいどんな申し開きができるというのか。

「なんでこんなに何十体も……」

「まあ森のど真ん中を突っ切って開通させた路線だからなあ」

 同僚のレオが、顔をしかめて応じた。吹きさらしのデッキにいると、新旧の腐敗臭を全身でかぶり続けることになって確かにつらいのだが、そんなこと以前に私と正反対の印象を抱いているのだろう、目障りなケモノどもめ、とその目が毒づいていた。

「何も考えずにやっこさん達、線路を横切るからだろ。はねても無理はない」

「それにしても、この数は異常と言うべきじゃないか?」

「そうか? 一日三体として、今の季節になれば分解も遅いし、死肉をあさるべき動物も冬ごもりだし、こんなものだろう」

 作業車横の線路際に、また一体、黒い大きな塊が通り過ぎていった。近くで逃げ腰になってこちらを見つめているのは子グマだ。犠牲となったのは、あるいは母親だろうか。

「一日三体って……そんなに事故が頻発しているのか!?」

 私の手元に届く報告では、せいぜい二日に一件あるかないかという数だったはずだが。

「相手は野生動物だぜ。車両に損害がなけりゃ、事故ですらないよ」

 はっはっは、と陽気なレオの笑い声。ここまで動物愛護精神が欠落している者には、何を言ってもムダだ。が、課長補佐の意識を変えずして話は進むまい。

「――いずれにしろ、何か対策を講じるべきだろう。柵の設置とか」

「森の区間いっぱいにか? おいおい、心配しなくても、列車の運行には当面支障はないさ。クマの二、三匹ぐらいなら、まず車両側が負けることはないしな」

 だめだ。私は早々に同僚との議論を諦めた。事故現場にはマスコミも向かっているし、あるいはついでの形で話が出せるかも知れない、と、ため息混じりに考える。

「おい、あれは何だ?」

 不意に他の同僚の声。見ると、白っぽい体躯の縦長の動物が、少し先のやはり線路脇に群がって、何やらわめいている。

「ほう、ハダカザルじゃないか。こんな山奥にもいたのか」

 ハダカザル、と言っても、その多くは衣類のようなものをまとい、低レベルながら文化の名に値する衣食住を営んでいる。目の前の連中も、その多くがどこかのボロかゴミを継ぎ合わせたような〝服〟を体に巻きつけていた。

 そばを通り過ぎる時に見ると、十体近くのハダカザルが血と肉の塊になった仲間を抱き起こし、どこかへ運ぼうとしていた。みな、何とも言えない視線を私達に向けていた。

 なんだろう? サルたちの目を見ていると、妙にいたたまれない気分になる。普段は意識しないが、やはり種の記憶からの情動が私に訴えかけているのか。

 もっとも、他の同僚達はまるで無神経だった。

「共食いの材料かな?」

「お前知らんのか。ハダカザルは葬式をやるんだよ。死体はそのまま埋めるんだ」

「へえ、一度見てみたいな」

「またこの辺うろつけば見られるだろ」

 図鑑の中で珍獣の解説に見入っている時と同じような好奇の目で見送る同僚達。

 全く、ネコも杓子も。

 大げさでなく、生態系の頂上種に属している己自身が、とんでもない恥ずかしい存在のように思えてきた。



「は? 重傷1に軽傷6? 大惨事って通報でしたが……」

「いやはや、勤労意欲をそいで申し訳ないがね。ご覧の通り、笑っちゃうようなのどかな事故だよ」

 レオの親戚筋みたいな陽気な作業指揮担当が、屈託なく笑った。さぞやすさまじい地獄絵図か、と覚悟して臨んだ脱線現場は、落石が原因の、実に穏当なものだった。車両が変形するほどの衝撃もなく、本当にただ線路から外れただけらしい。もっとも、場所が場所だけに復旧には時間がかかりそうだとのことだ。

 唯一の重傷者が担架で運ばれていく。ガラガラの車両でたまたま立ち歩いていて、たまたま重い荷物の落下に巻き込まれ、たまたま突起物に頭をぶつけたらしい。

「なんとも間の悪いことで」

 神妙な素振りで同僚達が見送る。もちろんマスコミの手前ネコをかぶっているだけだ。うつむいた目は、明らかに面白がっていた。

 復旧作業に取りかかるまでまだしばらく間がある。私はできるだけさりげなく、たむろっているジャーナリストの一人をつかまえ、道中の礫死体に話を持っていってみた。

「ああ、そう言えば何匹かいたね」

「何十匹ですよ」

「そう? シカやクマもいた? そうか。うーん、鍋にすると相当な量だな。確かにもったいない」

「いや、そう言う論点ではなくて……」

 これはダメな記者だ。そこで、私はあえて週刊誌記者風の軽そうな手合に話しかけてみた。

「え、ハダカザルが葬式を? そうかそうか。そういうことなら、おーい、手の空いてるクルー、何人いる?」

「いや、だからそんな動物ワンダーランドなんてネタじゃないんですってば。お分かりになりませんか?」

 どうもこの手の現場連中は、対面で話をすると調子が狂う。日頃の記事を見る限り、もう少し高いレベルで会話ができそうなものなんだが。

 何回かの不調の後、あえて嫌みっぽい外見の、インテリ然とした相手を選んでみる。

「ですから自然保護という観点からも……」

「ははん。君は反社長派の工作員だな?」

「え? あの、社内政治の話なんかこれっぽっちもしてないんですが」

「しかしじきに株主総会だ。君の社が色々と不安材料を抱えていることは、ジャーナリスト全員の関心事でもある」

「ですから、そんなことを話してるんじゃない! なんでそんな偏った聞き方をするんですか!」

「なら逆に訊くが、こんな、今の鉄道会社が責を負う以外に解決しようがない問題提起を、なぜあえて行う?」

「あなたには自然や世界に対する責任というものが――」

「自然? そうか、環境テロリストのシンパか! 誰にも利益のない些末な問題を大々的に主張して、経済界全体の疲弊を狙っているんだろう?」

「どこからそんな解釈が出てくるんだ!?」

 どうしようもなくなり、あえて避けていた女性リポーターに――何しろ最近は軽い挨拶一つでセクハラだと騒がれる――話を振ってみる。決して地位も経験値も高くなさそうなその若い女性は、黒光りするしなやかな体を傾け、ひとしきり話を聞いてくれた。

「うん、訴えたいことは分かるけど――それはどこにも持っていきようがないと思う」

「なんで!?」

「誰も得しない話だから。実際、どの社のデスクも、拾おうとはしないでしょうね」

「損得の問題じゃないでしょう!? ジャーナリストにも社会正義の実現という使命が……」

「あなた、もしかしてドメスティカ?」

 唐突に血筋を問われて、私は押し黙った。が、たまたまそばにいたレオが、思いがけず咆哮した。

「お前! 種族差別するつもりか!」

「いえ、ただ、出自による性格の傾向は学術的に証明されてもいるんだし……ドメスティカならではの関心事を、他の種族に分かってもらうのは難しいって言いたかったの」

「そんな言い方はないだろう! 種族が違えば話は通じないなんていう考え方は――」

「そういうあなたはワイルディよね。まあ、その吼え方を見ればそのまんまだし」

「貴様!」

 ワイルディとドメスティカ。野生種と屋内種。我々の種の起源にちなむ分類用語だ。確かにこれまで二つが争ったことは数限りなく、今だって色々ある。とりあえず共存してるんだからいいじゃないかと思うが、私の野生動物に対する贖罪の意識が、私自身の種に関わっていると言われれば、なるほどと思う部分がないでもない。

 実際、私にもなぜこんなにこの問題が気になるのか分からない。むしろ「君は偽善者だ」と指摘されるのが怖くて仕方なかった。だから、女性の指摘はある意味で逃げ道であるかも知れない。

 一方で、そんな細かい話は全部すっ飛ばして、ワイルディだドメスティカだなんていう区別そのものを敵視するスタンスなのがレオだ。自分のなわばり全て仲間、と言う感覚を持つ彼には、そういう切り捨て方が気にくわないのだろう。こいつはこいつで立派に種の性格傾向を代表している――と言ったら怒るだろうが。

 何にしろ、今ここでそういう議論を始めても、ややこしくなるだけなんだがな。

「だいたいそっちだってドメスティカじゃないのか!? 高みから話を括ろうったって――」

「だから、私だって共感の自覚まで否定してないってば! その上で自分と自分の出自を客観的に判断して――」

 思わぬ相手同士で噛みつき合いの論争に発展しかけた時。

「おい! 大変だ! 死亡者が出た!」

 一人の記者が飛び上がりながらニュースを伝えてきた。血相を変えて周りに集まるマスコミ人達。

「病院から連絡があった。つい先ほど、重傷だった女性が亡くなった。死亡事故に格上げだ!」

 あおおおおおう、という、歓声ともうめきともとれない声が満ちる。カメラマンは争って今までと全く別アングルの映像を撮り直し、リポーターはうって変わった深刻な表情で暗い声を演出する。後で合成するはずの、おどろおどろしいBGMまで聞こえてきそうだ。

 さっきの黒い女性もちゃっちゃとクルー達の所へ駆けていった。一面、まさにネコの手も借りたいと言わんばかりの大騒ぎである。

「なあ、死者一名で大騒ぎするぐらいなら……」

 弱々しく手を差し延べた私に注意を払う者は、誰もいなくなった。ぽん、とレオが肩を叩いた。



 まだまだ続く復旧作業の合間、飲み物を片手にぼんやり座り込んでいると、レオが傍らに腰を下ろした。

「まだ野生動物の行く末を心配しているのか? やめとけよ。一介の現場担当がどうできるものじゃあるまい」

 価値観は大いに違うが、同族にわけへだてなく親密な情を注ぐのは、確かにレオの美点だ。疲れたように薄く微笑むと、私は彼のたてがみに軽く爪を立てた。

「ま、落石でこれだけの事故になったんだから、あるいは一部柵の設置が検討されるかもしれんがね。何なら意見書書くの、手伝ってやるか?」

「元百獣の王に気を配ってもらえるとは、恐れ入るな」

「元イエネコ種のおせっかい精神には負けるよ」

 別に私自身、野生動物の未来を心配しているわけじゃない。ただ、責任を果たすべきだと思うのだ。守るべき誇りがあると思うのだ。

 けれども、仕方がないのかも知れない。元々が動物というものは自身の種の存続にしか意識を回せないものだ。惑星上で最高位の支配種となっても、それは変わらない。かつてハダカザルが我々を統べていた時も、それはそれは独善的な振る舞いだったと聞く。

 だが、それだとまたいつか――。

「なあ、レオ」

「なんだい?」

「なんでハダカザルは退化したのかな」

「そりゃ、悪い奴だったからだろう。滅びの道を歩んだってことは、悪者だったんだよ、きっと」

 苦笑するしかなかった。もっとも、ハダカザルが凋落し、ネコ族に台頭を許した生物学的理由は今でも謎のままだ。太古の遺伝子実験が支配種の入れ替わりにつながった、なんて説もあるらしいけど、もしかしたら支配種というものは、いずれ衰退という罰を受けるよう、宿命づけられているのではないか?

「もし、あと何百万年か後に――」

「何だって?」

「……いや、なんでもない」

 レオの素っ頓狂な声で、私は言葉の先をごまかし笑いの中に埋めた。でも、きっとそうだ。私には確信があった。

 あと数百万年後か、数千万年後か、次の支配種もきっと――。

 きっとこう言うに違いないのさ。傲慢なネコ族は、その傲慢さ故に衰退した、と。他の野生動物をたくさんたくさん轢き殺しながら、ね。


<了>

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