終話

 桜姫が不思議そうな顔をしていると、彼は、実はあの時、別当のやかたで“六”に渡してくれと頼まれたふみを、命婦に預かったまま忘れてしまい、そのまま渡せずじまいであると、衝撃のここだけの話を、告白していたのであった。


「え? あれからもう何年も……おぬしという男は……わらわが側でおらぬと心配で仕方ないのう……」

「…………」


 桜姫はそう言って、彼を抱きしめてから、御殿飾りへと戻り、翌朝白々しく、「あ――っ! わらわの大切なに、なにかが入っている! そう言って、少し黄ばんだふみを、持つと、金の蛇に持たせて“六”に渡していた。


「鉢に入っていたって……濡れていないじゃないか?」


 なにを白々しい……“六”は、そんなことを思いながら、渡されたふみを、雑に開けていたが、読んですぐに顔色を変えて、どこかへと消えて行った。


「これでよし!」


 それから桜姫は、かわらぬ生活を送っていたが、日に一度だけ、人の大きさになると、手を繋いで誰かさんと庭を歩く姿が、目撃されていたという……。


“伍”に寄りそう彼女の顔は、やはり、天に咲きはじめ花々のように、しごく麗しい顔立ち、そして、そこには、満開に咲いた花のような笑顔が、いつも浮かんでいた。


「そういえば、桜姫って、なぜここにいるんでしょうね?」

「さあな? きっと、あの性格だ。なにかやらかして、自分の世界から追い出されたに違いない」


 はるか遠い龍の国で長きに渡り、たったひとりの龍の頂点に立つ皇帝が、後継者として定めていたのが、彼女であった。

 しかし、世継ぎにふさわしき、別腹である兄弟が産まれたために、父や義母が苦悩する姿に耐えられず、世界を飛び出したのである。


 いまの性格は、世界に飛び出して、荒波にもまれ過ぎたせいであった。そんな優しい桜姫であったが、あまりの態度の大きさに、今更、本当のことを言っても、呪いのやかたでは、だれひとりとして信じる者はいなかったが……。


一二三四五六七八九十ひふみよいむなやここのたり布瑠部ふるべ由良由良止ゆらゆらと……』


「そういえば、結局あの“真白の神”は、何者で、どこに行ったのでしょうか?」

「さあな……きっと元気にしておるであろう……」


“真白の神”あのとき、いや、天の世界で、『雷公』に見つかって以来、徹底的に利用された彼は、そのあと、地獄へと送ろうにも、一応は「神」であるので、どこも預かれぬと判断され、死神の世界で、「神さま用」そう書かれた、特別な監獄につながれていたが、他の消滅した世界しか持たぬ神たちとは違い、延々と人の世界から、「畏れや怒り、怨嗟という負の力」が無尽蔵に送り込まれてくるので、「あいつうるさい……」そんなことを、見張りの死神たちに言われていたそうな……。


 彼がどこから来たのか? それは桜姫のきらめく水晶の『玉』を、彼女が意思を持って覗けばわかったのやも知れなかったが、彼女にそんな興味はなかったし、彼女が最初で最後に愛した陰陽師といえば、「もう恐ろしいことには、関わりたくないので……」そんなことを言って、桜姫との間に子を授かると、心配のあまり、すぐに陰陽寮を辞めていた。


 彼は、やかたの中で、細々とみなの雑事をしたり、護符を作ったりしながら、桜姫や螺鈿らでんの君、天藍てんらんの君、そして一番やっかいな、四君子しくんしのふたりから、まだ生まれぬ、桜姫が産み落とした、「ふたりの間に授かった卵」を、大切に懐に入れて、彼らから、すくすく育つ、「卵」と、卵を産んでから、なんだかすっかり調子を崩した、そんな様子で、ほぼ、寝ている桜姫を、側で守っていたのである。


「まだ産まれぬのか!?」

「産まれぬのか!?」

「~~~~」

「~~~~」


 ふたりに、壊されてはたまらない。そう思った桜姫と、少し前まで“伍”と呼ばれていた青年は、「なんとかして欲しい……」そう、仕事帰りの“六”に頼んでみたが、ふみのうらみは、大きかったようで、「少し難しい……」そんなことを言うと、彼は、どこかへ消えた。


「卵を持って、旅にでも出るか……」

「そうですねえ……」


 それからまた、ときは流れ、ようやく静かになった夜更け、ふたりは、あのときと同じように、庭の池にかかる反橋の高欄の上に、並んで腰かけて、もはや、大きくなりすぎて、とうとう“伍”が、背中に背負いだした「卵」の心配をしながら、腕に抱えて、ながめていると、ちょうど桜姫のきらめく水晶の『玉』の倍ほどもある、うすい桜色の「卵」に、ヒビが入りはじめ、はるか昔、尊き血筋であった、「龍の公主」と、人である「陰陽師」の間にさずかった子は、ようやく両親に顔を見せていた。


「「わ……」」


 卵の中身? 子どもは、ふたりいて、桜姫と瓜ふたつ、女の赤子であった。


「む、婿にしてください!」

「婿に!」


 次の朝早く、すぐに気がついたらしき、四君子しくんしのふたりに、生まれてすぐに、そんなことを言われた赤子は、人の倍以上の速さで、大きくなると、母と同じく、飛び抜けた力を持ち、美しい外見であるが、父に似たのか、つやめく黒髪と、吸い込まれるように黒々として輝く、優しい黒い瞳を持っていて、人の世界どころか、天の世界でも、大いに話題になっていた。


「もうさ、ずっと、ここにいればいいじゃない? 嫌なことがあったら、すぐに帰っておいでよ? 嫌なことがなくても、遊びに帰っておいでよ? ね?」


 あまりに四君子しくんしが騒々しいので、ここを出て行こうかと、そう思っていた“弐”は、生まれたときから一緒にいた、ふたりの姫君に情が湧いたのか、みるみる大きくなった彼女たちが、それぞれに別の天の世界へと、自分たちが愛し、そして愛された神々にわれて、空に旅立つ日には、このやかたにいる誰よりも、むせび泣いていた。


「産まれたときに、この“鉢”に入れて、一杯増やしておけばよかった……」

「そなたは、相変わらずである……」


 それから先、姫君を産んでから、神通力を失ったのか、桜姫は、愛する青年と同じように、年を重ねていたが、そうめんは、彼女がこの世界から姿を消して、世の中が移り変わっても、娘のひとりに譲られた、「鉢」から湧き出していた……


一二三四五六七八九十ひふみよいむなやここのたり布瑠部ふるべ由良由良止ゆらゆらと……』


「誰もがうらやむ幸福を手に入れた、母君の宝でしたわ……そして、母君は、父君を愛するあまり、持ち合わせていた、すべての力と引き換えに、ただの人になって、同じ時を過ごしたのです……」


 平安の昔、桜色の稲妻、そう呼ばれ、永遠の幸せを手に入れた、龍の姫君がいたそうな……もう娘のひとりに譲られた、桜姫のきらめく水晶の『玉』には“伍”を溺愛する心配性で、かつて龍神であった、美しい姫君の姿が、溺愛する唯一の存在“伍”と一緒に、幸せそうに反橋に腰かける姿が、焼きついたように、永遠に映っていた。


――了――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

桜姫、小さな龍の姫君の恋と冒険の物語 相ヶ瀬モネ @momeaigase

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画