第10話-2

 気丈に振る舞っていたせいか、私は疲れて眠り込んでしまった。


 不思議な夢を見た。私はゲームのカメラみたいにロナルドの背後からついていくだけの意識しかなくて浮いている。

 ロナルドはもうずっと歩いている。馬で乗り込めない足場の悪い狭い石畳を進んでいる。もう少し前へ進めば休憩所があるのに、彼は気付かず右へ歩いていく。

(ロン、そっちじゃないですよ)

 私はロンの頭を通り越して眼前で、もう一度彼の頭を通り越して休息所を目指して飛んだ。視野はいつもと変わりないが、夢の中の私は体が妙に小さくて軽かった。

 私はロンがちゃんとついてくるのを見守って、火のない焚き木に降り立った。焚き木は私を火種としてロンの鎧を明るく照らしながら燃え上がる。


 まばたきを挟むと、また少し高い位置からロンの後頭部をながめていた。

 さっきと場所も違う。ロンは重い鎧を着たままろくに足場もない壁際をじりじりと進んでいた。

(なんて危ないことを。怪我しますよ?)

 ロンはとある場所まで進むと手を伸ばして目の前にある青いアドニスを掴もうともがく。

(ああそうか。私が欲しがったから……)

 このまま落ちたらどうするんだろう、と嫌な想像をしたからなのか、彼は細い足場から足を踏み外した。

(ああっ!)

 私が顔をおおう時間すら与えず、彼は数メートル下の石畳へ叩きつけられる。

(ロン、大丈夫!?)

 私がひらりと舞い降りるとロンは痛そうにうめいて右足首を押さえた。

(怪我したのね。そのまま動かないで)

私は彼の足首へとまると優しく口付けた。


 まばたきをするとまた場面が飛んだ。ソフィアが焚き火のそばですうすうと寝息を立てている。ロンは膝を立てた状態でどこかぼうっと火をながめていたけれど、ふっと顔を上げて私を認識する。

 ロナルドはそっと両手を伸ばして小さな私を捕まえた。

 彼は私を握り潰さないようにしながら手を開く。黄昏色の不思議な瞳が私を見つめている。

「……聖女の奇跡というのは、使い手の個性が出るらしい」

(ふうん?)

「ほかの聖女の奇跡の形は知らないが、お前の奇跡はいつも蝶の形をしている」

(蝶?)

私はパタパタと羽を動かした。

(確かにそうかも)

「文句を言う割に、お前は献身的だな」

(まあ、一言余計よ)

 ロンはふっと微笑んで、私を手に載せたまま己の腕を枕にして横になった。

「会えなくて寂しいよ」

(あら、珍しく弱気ね?)

「もう少し居てくれるか?」

 ロンは本当に珍しく気が弱っているみたい。ソフィアを連れているから弟子にしたあとよね? 何日か修行に出ていた日があった。あれは……そう、ハインリヒ殿下が来る前のことだ。

(あの時はえーっと勢いで抱かれて、すぐ? よね?)

 ロンは蝶になった私を指先で構いながらだんだんとまぶたを重くする。

「お前には助けられてばかりだな」

(そんなことないと思うけど)

「こんなことは恥ずかしくて面と向かって言えないが、不安な時は大体お前が居てくれる。その安心感がどれほどのものか」

 ロナルドは泣きそうな声をしている。この日に一体何があったのか、起きたときに覚えていたら聞いてみてもいいかしら?

「神殿へ戻ればお前がいる。それがあるのとないのとでは……。独りだったらとっくに潰れていただろうな、俺は」

私はただ待っていただけだ。だから祈るくらいしか出来ないと聖女の役目は頑張っていたけど……ロナルドがこんな風に思っていたなんて。

いくら勇者と言っても彼も人間なのだろう。

 ロナルドはいつの間にか目をつむって静かになっていた。

(おやすみなさい、ロン)


 はばたくとまた場面が飛んだ。

 ロンは真夜中に一人で神殿の外にいて腰を下ろしている。ソフィアはいない。

 顔を上げた彼はかぶとを脱いで眉間にしわを寄せ、蝶の私をにらみつける。

「……倒れたくせに奇跡は使うのか」

(倒れた? ええと、それだと相当前のような……)

もうずっと昔のことに思える。彼はお互いの気持ちが通う前のロンだ。

 ロナルドは足元に視線を落としながら苦しそうに顔をゆがめる。

「奇跡を知らないくせに一丁前に使うじゃないか」

(私が別の世界から来た未成年って知ったあとかしら?)

 ロンはふっと顔から力を抜いた。寂しそうな視線。

「……成人していないと何故言わない? そんなに信用できないか、俺は。話す価値もないのか」

(ええまあ、当時は信用していませんでした。無口だし知らない人だし……。勇者が聖女の保護者だってこともちゃんと理解していなかったし……)

 ロンは充血した目を片手でおおった。

(泣いてるの?)

「……ロナルドは紳士で俺はクズか? ハッ、同一人物だと知ったらお前はどうするんだろうな……。両方拒絶するのか? 悪かったな、気の回らない男で」

ああ、知らないところでこんな風に嘆いていたのね、この人は。

 ロンはハーッと深く息を吐くと髪をかきあげて横になった。

「こんなことなら最初から他人行儀でいればよかった。お前には腹の底を見せないロナルド様のほうがいいらしい」

(その時はね? 今はそう思っていないけれど)

 ロンはまた切なそうな顔をしてから頭を動かして蝶を見た。

「……今日は随分長く留まっているな。いつもは現れたらふっと消えてしまうのに」

ロナルドは自嘲じちょうするように口の片端を上げた。

「まさか俺をなぐさめるのが今回の仕事とは言わんだろう?」

 彼は命をして守っていてくれたのに、私がしたことは酷い拒絶だった。それも、話さなくても理解してくれるものだと思って殻に閉じこもっていた。身勝手極まりない。ロンの態度も褒められたものではなかったかもしれないけど、私も同じだ。

(本当にごめんなさい)

私はロンに寄り添うために飛び上がって彼の胸元に降り立った。

 ロナルドは目を丸くして頭を持ち上げ、蝶を見つめる。

「……本当になぐさめるためにここにいるのか?」

私の祈りがどう言う形で彼の役に立っていたのか想像すらしなかった。蝶に変わった灰の聖女の奇跡は、こうして何度も勇者の前に現れたのだろう。

 ロンはしばらく静かに驚いていたが、溜め息をつくと頭を下ろした。

「明日起きたら話し合い、だな……。聞いてもらえるかわからないが……」

 灰の勇者は胸に留まった炎の蝶をそっとつまみ上げると、手のひらに乗せて眼前へ近付けた。

「俺は絶対にお前に手など上げたりしない。そんなことをする男は勇者ではない」

(ええ、知っているわ)

 ロンはそうっと蝶を自分の鼻先に下ろす。

「ふっ、使い手はじゃじゃ馬なのに、奇跡のほうは驚くほど大人しいな」

(まあ)

ロナルドは完全に脱力して目をつむった。眠るつもりらしい。私も力を抜いてくつろいだ。


 瞬きを挟むと次の場面で、私は誰かに捕まる直前だった。

(えっ? きゃあ!)

 蝶を捕まえてまじまじと観察しているのは鏡の国のガブリエルだ。かぶとの目元を跳ね上げた彼は、じっと私を観察する。

白い肌、エメラルドのような緑色の瞳。女性かと思うほど美しい男性。

(えっ、女性顔負けの美貌びぼうじゃない。なのにあんな尊大な性格なの? もったいなー)

 場所はどこか野外。植物は見当たらずゴツゴツとした岩肌があらわになっている。私が愚痴をこぼしつつもそのままでいると、ガブリエルは目元の鎧を直して私をガラスの瓶に閉じ込めた。

(え? ちょ、これじゃロナルドに奇跡をあげられないじゃない……! ちょっと! 何してくれるのよ!)

 私がガラス瓶の中でわたわたと慌てるとガブリエルは鼻で笑った。

「まあ、本当に偽物ではないらしいな」

(コラー!)

 ここへロナルドが合流する。彼はガブリエルの手で捕まった蝶を見ると私が捕まったみたいにブチギレた。

 問答無用で突っ込んできたロナルドを見てガブリエルはまた鼻を鳴らす。

「全くお前は、挑発するにも及ばんな!」

「ちょ! 何やってんすか!」

 遠くから軽い喋り方の青年が口頭でロナルドを止めるが、灰の勇者は怒りのままガブリエルに剣を振るい、攻撃を軽くかわされる。私はガブリエルの手の中に握られたままシェイクされる。

(あばばばばば、目が回る!)

「その執着しゅうちゃくは相当だな、ハッハ!」

「黙れ」

二人はじゃれ合うように剣を交えながら蝶が入った小瓶を取り合う。

(ひー! ちょっと! あんまりシャカシャカ振らないでよ!)

 攻防はしばらく続いて、蝶入りの小瓶は二人の手から離れて空中に放り投げられる。

(うわぁー!)

 最後に瓶を手にしたのは、事態を冷めた目で見ていた勇者イレネーだった。

「……何してんだてめえら」

 イレネーの手により私は小瓶から解き放たれたが、振り回されたせいでほとんど気力が残っていなかった。

(おええ……)

 私は舞うと言うより地面に落ちるように失速し、ロナルドが慌てて私を受け止めに駆け寄った。彼の手に収まる前に蝶は霧散してしまう。

 意識が途切れる寸前に見たのは、気を落とすロナルドの姿と、直後に地面を突き破って現れた大きなワニのような魔物だった。


 私が羽ばたくと次の場面に飛ぶ。

 ロナルドはかぶとを取っていて、本棚に囲まれた一室にいる。図書館のような場所で、彼は目を見開いたまま深く絶望しているようだった。

 これは一体いつの出来事なのだろう? 私は蝶にすらなれず、落ち込む彼の顔を見つめることしか出来ない。

「……ユイアがいなくなる……?」

(そりゃあ運命共同体なんだから、その時が来たら死ぬわよ?)

 黄昏色たそがれいろの瞳には光が映っていなかった。火の化身のように煌々こうこうと明るいはずの彼が、今は闇に飲まれてしまったように暗い。

(運命共同体って知る前の彼なのかしら? でも、それは最初から知っていて私に教えてくれたんじゃないの? 違うの?)

ロナルドは震える手で顔をおおう。

「俺を一人にするのか、ユイア」

一人にする、と言う意味がいまいちピンとこなくて私は首をひねる。別にあなたを置いてったりしないし、使命はまっとうするつもりですけど?

(でも、出来ないのかも。オルタンス様だって、不測の事態で最後の力を使ってしまったみたいだし……)

 今後気をつけて置いたほうがいいかもしれないな、と思って瞬きをすると次の場面へ飛んでいた。


 ロンは仰向あおむけで息絶えていた。場所はどこだろう? 湿しめり気のある森の中に見える。私の奇跡はすでに彼の周りに何匹も集まっていて、最後の一匹であろう私が彼の胸の上へ降り立つ。

 蝶たちはふわふわっと舞い上がって集まり、灰の聖女の幻影を作り出した。

(お、手が動く)

 時間はあまりない。私はロナルドのかぶとを持ち上げると彼の唇へ口付けた。聖女の奇跡はほとんど力を使い果たし、私の幻影は霧散して、蝶が一匹だけ残る。

「くっ、カハッ……」

 死体から蘇った灰の勇者が咳き込みながら体勢を変え、両肘で上体を支えながらさらに咳き込む。小さな私は彼の真下で様子を見守り、ハッと顔を上げたロナルドと目が合う。

「……なんだ? 蝶?」

ああ、これは私の奇跡を最初に見たあなたなのね。

 私は微笑むと彼の唇にもう一度触れて、空へ舞い上がった。

 ロナルドはぽかんとして私を見上げて、蝶が消えてなくなってもずっと空を見上げていた。




 次に瞬きをすると、火の祭壇の前だった。私はいつ起きて、どうやってここへ来たのか覚えていない。

 奇妙に静かなので辺りを見渡すと誰もいなかった。ロナルドも、ガブリエルもエレオノーラも。ただの一人もいない。

 祈る手をそのままに見上げると神殿の天井はなく、世界樹が大枝を広げて金色に輝いている。不気味なほど大きな金色の瞳も見えている。

「……今の光景を見せたのはあなた?」

 人の気配がして振り向くと、満身創痍まんしんそういのロナルドが足を引きずりながら木のみきを支えに、暗闇から出てくる。

 私が手を差し伸べても彼は気付かない。そして転んだロナルドが懸命に目指す先には、世界樹の前で待っている私の姿がある。

 瞬時に、これが私と彼の最後の光景なのだろうと理解した。

 地をうロンの前にいる私は、「お帰りなさい勇者さま」と音にする。

「そう。なら私は、最後まで彼といられるのね」

それなら安心だ。使命は全うできるし、彼一人を置いて消え去ることはない。




 私は今度こそ目を覚ました。火の祭壇の近くでうたた寝をしていたのだろう。ふと隣を見るとロナルドが私を抱き寄せて眠っていて、まだ夜更けだった。天井を見上げても世界樹の枝は見えない。

「……彼の旅ももうすぐ終わるのね」

別れが来るのだと思うと途端に寂しくなる。

ロンには後悔してほしくないし、私も後悔したくない。お互い納得してお別れをして、もし再び会えるなら顔を見て一緒に過ごしたことを思い出したい。

 私は体の向きを変えてロナルドの首に腕を回した。ロナルドは起きてしまっただろうけど、寝たふりをしたまま私を抱き直す。

「……どうか、ロナルド様の終わりが穏やかでありますように」

心からそう願った。

強大な魔物を倒し続けてあそこへ辿り着いた彼の心がすさんだままだったら、なんて想像したくない。

「私の勇者さま」

腕に力を込めてから、私は目を閉じた。

朝起きたら何でもない振りをしよう。聞かれても覚えていない振りをしよう。できるだけ心穏やかに過ごせるよう、彼に気を配ろう。

だからきっと大丈夫、あなたと私は。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【長編】灰の国の聖女 ふろたん/月海 香 @Furotan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ