第10話『神が愛した人形』
フェリチッタ様は眠るように息を止めていて、綺麗な状態だった。
果てた聖女がどうなるのか。果てた後はどうするのか。
その辺り全く想像が及んでいなかった私は、薄明の国の間者たちが黙々とフェリ様のご遺体を布で包んでいくのを
「ユイア」
ロナルドが気を遣ってそばで声をかけてくれても耳に入らない程には。
(ああ、フェリチッタ様が
優しい聖女の優しい終わり。
傷を負う勇者と違って悲鳴もなく痛みもない。
「ユイア」
私は自然と両手を握っていた。
(どうか、フェリチッタ様もリベリオ様も、穏やかでよい場所へ辿り着いていますように)
私だけではなく聖女オルタンスも同じように手を合わせていた。
残った二人が先に果てた聖女のために祈っている姿を、不死人たちは痛ましそうに見つめていた。
フェリ様のご遺体は薄明の国に返されるそうで、太陽の祭壇前は急に静かになってしまった。
いた人がいなくなると寂しいのは当然のこととして、だけどフェリ様がいなくなっても私とオルタンス様の態度は大きく変わらなかった。
相変わらず聖書を不死人たちに読み聞かせ、休憩に散歩したり他愛のない話をして。
私たち二人が嘆き悲しまないからこそ、最初に泣き出したのはエレオノーラだった。
「どうして……」
どうして平気なの? と、問われても聖女二人は見つめ合うだけだった。
「どうして、ですか? うーん、悲しくないわけではないんですよ。いなくなってしまったら寂しいのは本当なので……でも、ねえ?」
「ええ。ユイア様と同じかはわかりませんが私もひどく悲しくはないのです。それは諦めからではなく、フェリチッタ様の思いは私たちが背負っていると言う自負から来るものです」
(おや、そこは私と違う)
続けてとうながすとオルタンス様はうなずいた。
「フェリチッタ様は私たち聖女の中では年長者でした。下の者を導き、
(ほうほう、なるほど)
「私はそう思います。ユイア様はどうお考えでしょう?」
「私は……そうですね。フェリ様はやっとゆっくりお休みになられるのだと思います」
厳しい世界で優しかったフェリ様。
口にはしなかったけど聖女としても等身大の女性としても抱えている悩みがあったと思う。
「既に果ててしまった不死人の方も、フェリ様も、リベリオ様も。皆さまに対して思うのは、どうか穏やかで優しい場所でお休みになっていますようにと……。私はただそれだけです」
オルタンス様もそれは予想外だったと言った感じで口元に手を添えた。
「やはりユイア様は私などと違って格が違います」
「いえそんな……」
泣いていたエレオノーラは私たちの言葉を聞いて涙をぬぐって、何かを決めたように胸元を握りしめた。
「やっぱり、聖女さまは私とは全然違う……」
「エレオノーラ……」
「私、自分のことばっかりです。いつも怒られないか、ビクビクして。でも聖女さまはいつも周りを見ていらっしゃる。それはきっと手を差し伸べる相手がいるかどうか見るためだから」
うつむいていた少女は顔を上げた。
「私、もっと真面目に聖書を覚えます。歌も、ハッキリ自信を持って歌えるようにします。フェリチッタ様に教えていただいたことを思い出して、それから、お二人のことも忘れずに故郷に戻ります。聖女さまたちがどんなに素晴らしかったかたくさん話せるように」
それは偽物の聖女が、本物の修道女見習いになった瞬間だった。
さらに数日をおいて鏡の国の騎士ガブリエルは戻ってきた。珍しく単身、冒険をしてきた彼は鎧が傷と汚れにまみれていても気にせず火の祭壇の元へとやってきた。
差し出されたのは何でもない白い野菊。
いつもの胡散臭い語りもなく、ただ黙って差し出された花をどうするか、私は悩んだ。ロナルドも珍しく黙って状況を
「……その花が」
ハインリヒ殿下もそうだったけど、ガブリエルが見ているのは私じゃない。アニエス王妃だ。
「わたくしへのものではなく、アニエス様への贈り物なのだとしたら、代わりに受け取って祭壇へ捧げましょう」
「……なるほど」
白い野菊は握りつぶされ、その場に打ち捨てられた。
「祭壇に食わすために持ってきたのではない」
今度こそガブリエルは私に本気だったのだと気付いた時には、彼の背中は遠かった。
(まあ、悪かったような気もするけど。でもなー、エレオノーラに灰の聖女を
一部始終を見ていたロナルドは静かに私の隣に立った。
「それの花言葉は知っているか?」
「え? いいえ全く」
「白い菊は“真実”だ。菊そのものは“高尚、高貴、高潔”」
私と縁遠い言葉だな、と思いながら捨てられてしまった花を見つめる。
「奴は、自分の思いは本物で嘘偽りないとお前に言いたかったのだろうが、見事に伝わらなかったようだ」
「そうなりますね」
「花言葉はどれも知らんのか?」
「ええ、お恥ずかしいことに全く」
「……青いアドニスは“固い誓い”だ」
思わずふっと吹き出してしまった。
「恋だの愛だの言わないあたり、
「花を選んだのはお前だ」
……確かに。
「お前は俺に誓え、と言ったようなものだ」
「誓いですか」
アドニスことアネモネを指定しておいて、誓いと言う単語には縁がない。
「俺は誓った」
「何をですか?」
「それは内緒だ」
「何ですかそれ?」
誓う相手に内緒ってなに? ふっと笑うとロナルドも目元だけで微笑んだ。珍しい。
「まあそんなことより、今の俺はガブリエルの奴が目の前でこっぴどく振られて気分がいい」
「まあ」
ロナルドらしい。
「この勢いであのご高貴な殿方もしっかり振っておいてくれると心労が減る」
「まあ」
ロナルドの嫉妬は尽きぬようで、困ったものだ。
(でもハインリヒ殿下はアニエス様に片想いだったって自覚なさってるしな……)
「……それは大丈夫じゃないでしょうか」
「何故そう思う」
「殿下が愛していらっしゃったのはアニエス様だからです。私じゃありません」
「……そうだと良いが」
「ご高貴なアニエス様と違って中身の私は平民ですし」
「それこそ分からんぞ。ハインリヒ殿はアニエス王妃と簡単に会える立場ではなかったはずだ」
「え? でも王弟……国王の弟君ですよね?」
「アニエス王妃は国王から大事にされていて、宮殿の奥にしまわれっ放しだったそうだ。宝物のようにな」
「えっ?」
「当時の記録では嫁入り以降、外出はなさっていない。よくて庭まで、と言った感じだった」
「え……? じゃあ何ですか? もしかしてアニエス様について知ってる方ってこの場には」
「ほぼいないだろうな」
等身大のアニエス様を知ってる方がいない。それってつまり、アニエス様の声を知ってる人もいなければ彼女の立ち振る舞いを知っている人もいない?
(それって、私がアニエスさんと違うという証明ができないような。……いや、待った。シリルさんがいた)
魔法使いのシリルさんは私の声に聞き覚えがあると言って、顔を見せたらアニエス様の話をしたんだった。
(危ない危ない。うっかり忘れるところだった)
日を改めて魔法使いシリルに話を聞こう。
そう思って翌日、彼を探したのだがシリルさんは数日前から結晶の国に戻っていたらしい。
(ガブリエルとハインリヒ殿下のことで緊張してたせいでいないことすら忘れてた……)
今日はオルタンスさんの方へエレオノーラが見習いに向かい、それぞれ朗読をしていた。しかし突然、
「あるじ様!?」
聖女オルタンスが悲壮な声で立ち上がる。
神話を聞きに来ていた不死人たちもエレオノーラも驚く中、聖女オルタンスは虚空に向かって手を伸ばす。
「いけません! 貴方はこんな……道半ばで果てるような勇者ではありません!」
オルタンスさんはその場で強く祈った。彼女の体から光があふれ、消えると聖女は膝から崩れ落ちた。
彼女は最後の力を使った。だから果ててしまう。
気付けば私も聖書を放って、倒れ込んだ彼女の元へ駆け寄っていた。
「ユイ、ア様……あるじ様が……」
「大丈夫です」
私はヴェールをめくって、オルタンスさんの銀の
初めて見る彼女の顔。歳は私よりいくつか上。あどけなさが残る茶髪の女性。
「大丈夫です。オルタンス様の祈りは届きました。だからイレネー様は大丈夫です」
「私……最後まで至らぬことばかりで……」
「オルタンス様は一生懸命でしたよ。それは誰よりも、イレネー様がわかっています」
彼女は涙を浮かべていたが、私の言葉で安心してふっと力を抜いた。息は止まり、
(ああ、二人とも……ううん、四人とも
「おやすみなさい、オルタンス様」
オルタンスさんが果てて、彼女が鎧に包まれていた理由が判明した。鎧から引き抜かれたオルタンスさんの体は妙に
(先天性の障害があったのね、きっと)
魔法の銀の鎧は聖女の車椅子だった。五体満足な私たちと居ても泣き言を一切言わなかったオルタンスさんは本当にえらいと思う。私が同じ立場だったらきっと、自分のことばかり嘆いていた。
一日空いて魔法使いシリルさんが祭壇へやってきた。
間に合わなかった、と嘆く彼の手元には魔導書らしきものがあった。
「イレネーの探索に間に合えばと思ったのです」
「イレネー様は先へ進みました」
オルタンスさんが最後の祈りを送ったのだから彼は助かったはずだ。
「シリル様、どうか後悔なさらぬよう」
「ああ」
魔法使いシリルはうなずく。
「そうですね。聖女ほどではありませんが、何かしてやれるはずです。私も」
シリルさんはすぐに発った。
勇者も聖女もその仲間も、だんだんと目的を果たして去っていく。
残ったのは私とロナルド。鏡の国の
(みんないなくなってしまう。いつかは私も、ロナルドも)
灰の勇者ロナルドは騎士見習いソフィアと共に戻ってきた。その時には聖女は私しかおらず、かたわらには年相応に悲しむエレオノーラ。
「……お帰りなさい」
「オルタンス様は……」
「
ロナルドは祭壇の近くで腕を組んで静かにたたずむガブリエルやハインリヒ殿下を見て、私のそばへ寄って腰を落とした。
「大丈夫か?」
「はい」
ヴェール越しにはっきり彼の顔を見上げた。悲しくはあったけど涙は出ない。
「さすがに寂しくはあります」
「……そうか」
「でも、オルタンス様もおっしゃっていました。聖女同士教えあったものがその人の中に生きているなら、先へ行った聖女はまだ私たちと共にいると。だから寂しいけど、悲しくはありません」
「……無理をしていないか?」
「少し。でも、このくらいは平気です」
私は自分を鼓舞するためにロナルドの手を握った。
「大丈夫です。私も、あなたも。きっと大丈夫です。この先も」
ロナルドはしっかりと手を握り返してきた。
「当然だ」
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