第9話-2
「灰の聖女、手を」
またか。この人もめげないな。
翌朝、ガブリエルはまた熱心に私の手を握ろうと誘ってきた。
灰の勇者はソフィアに
「まだ信用ならんか」
「おほほ、わたくしが
本当にしつこい。あの手この手で私を
「関係はないが手を握りたい」
「まあ」
ずいぶんと素直。でも握らせてあげるつもりはない。
笑顔という名の鉄壁の防御を続けているとガブリエルは差し出した手を下ろした。諦めたのかと思ったけどどうも違うようで彼はその場にたたずむ。
「……どうしたら触れさせていただけるかな?」
(今日は一段としつこいのね)
「何も
(嘘おっしゃい)
「もう偽物とは疑っていない」
「ほほほ」
ガブリエルは空いた手を腕の上でトントンと鳴らし、次の言葉を考えている。
「……わかった。では信じていただくために
(ほう、そう来る)
「欲しい物でも何でも一つ必ずお持ちする。いかがかな」
こう言う時、相手の言葉に乗って“何々をして、それか何々をしないで”などと口にしようものなら、相手は要求を飲んでやったんだから次は何をしろとつけ上がる。
まず相手の手を封じろ、とユリア様は教えてくれた。
(ここへ来て何も知らない私だったら乗ってたでしょうね。そうはいかないわよ)
「わたくしが
そもそも聖女は相手に何かを要求しない。聖女は常に与える側だ。
「聖職者である貴方さまに私の奇跡は必要ない。仮にもご自分の聖女であるエレオノーラを大切にする素振りもない。そんな殿方に要求することなどございません」
ユリア様がこの場にいたらよく言ったと褒めてくれるはずだと己を鼓舞して、ガブリエルの反応を待った。
鏡の国の怪しい聖騎士は身動きすらやめしばらく黙り込んだあと、驚くほど静かにその場を立ち去った。
(あ、あら……? もしかして言いすぎた? いや、でもそもそもアンタ最初から怪しいし……)
「聖女さま」
「ひゃうっ」
音もなく現れたのは灰の国の
「ご、ご機嫌よう……」
「見事でございました」
「い、いえ、ユリア様の教育の
味方が一人現れたので胸を撫で下ろす。
(勇者たちも戻ってこないし、今日は一人で歌の練習でもしていようかな……)
「ただ」
「はい?」
「フラれた男と言うのは厄介なものですから、しばらくは警戒なさってください」
フラれた? 誰が?
「……ガブリエル様のことをおっしゃっておいでで?」
「もちろん」
「あれ振ったことになります?」
「ガブリエル氏もアニエス王妃に
「……は?」
彼の態度とその情報は合わない。
「本当でしょうか? アニエス王妃とガブリエル様は……年齢が合わない気がしますが」
「無論、ガブリエル氏が知る頃には王妃はとうに亡くなっておいででした」
「……亡くなった方に片想いしてたってことですか……?」
「はい」
(そう言う新情報はいらない……)
私の姿に選ばれたアニエス王妃はとんでもない美人だった。美人ゆえに色んな男の人の心をさらって行ったらしい。
(ロナルドもアニエスそっくりの私の顔大好きみたいだし……)
「罪な方ですね、アニエス王妃」
「生前は“黒水晶の君”と呼ばれた大変お美しい方でしたから」
(二つ名ついてんの!? 美人すぎて!?)
「あら、まあ」
「黒水晶の君ご本人が不死人として蘇らなくてようございました。国一つ傾けるような美人でしたから……。ああ、今のは個人的所感です」
「あ、あはは……そうですね……」
生まれも育ちも申し分なく大変な美人だったら王妃に選ばれるのもわかる。ますます平々凡々な私の入れ物としてはふさわしくない気がした。
(その中身がなんで私だったんだろう)
異世界から呼ぶにしても元々美人な人もいるし、私より品行方正なお嬢様なんていくらでもいると思う。なぜ私なのか……。
(逆に、誰でもよかったんじゃないかな)
そう思う方が楽だ。神さまのチョイスに意味はなかった。ランダムだっただけ。たまたま目に入った。そんなものだろう。
(意味を求めたがるのは人間の勝手だもんね)
私がここにいるのは本当だけど、私である意味は多分なかった。そう思うと楽ではあるが
勇者たちが帰ってこないまま数日が経ち、しょっちゅう顔を出していたガブリエルも何故か姿が見えなくなり。邪魔者が全員いないならとハインリヒ殿下は嬉しそうにちょこちょこ顔を出した。相変わらず祭壇には近寄らず、遠くから見守るだけだけど。
そう言う時は休憩がてら私の方からハインリヒ殿下に寄って、お互い触らないように気をつけながら散歩をした。私にとってビルギットの話ができる相手は殿下だけだったし、気晴らしには丁度よかった。
今日もハインリヒ殿下と散歩を一緒にしていると、ふと殿下が悲しげな顔をした。
「お嫌ではございませんか?」
「何がでしょう?」
「
ハインリヒ殿下は気遣いができる人だ。越えてはならない一線もわかっている。そう言う人に限って、大事な時には踏み込んでこない。
(その点はロナルドやガブリエルのずうずうしさを一滴吸い取って与えたくなる)
「嫌ならばこうして散歩をご一緒にとは申しません」
「……ならばよいのですが」
「殿下は婦人の相手に慣れていらっしゃいますし、一線は守ってくださいますから安心してお話しできます」
「……つまり私は男としては見られていないのですね」
私は褒めたつもりだった。言葉ってどう転ぶかわからない。
「いえ、あの……ビルギットの話ができるお方は殿下だけですし、その……」
「ああ、すみません。つい意地悪を」
初老に近いイケメンはパチンとウインクをした。でも本当にからかわれただけなのか判断しかねる。殿下は微笑んだ顔を崩さずにさらに続ける。
「灰の勇者さまと聖女さまが大変
「まあ」
これは本気みたい。
(でも私とロンの関係はなんと言うか……。お互い頼る相手がそこにしかないからのような)
もちろん以前に比べれば信頼している。でも、勇者が果てれば聖女も後を追う。それがわかった後は“これっきり”の関係性だと割り切るようになったし、それは生者同士の信頼関係とはまた違う気がする。
「……その」
「ああ、今のもついやってしまった意地悪なのでどうかお気になさらぬよう。勇者と聖女の関係が特別なことはこの世界の誰もが知っていることです」
(そうかしら)
「ただ、私が勇者に選ばれていれば結果は違っただろうか、などと浅ましくも思ってしまいまして。情けないです」
私の勇者がロナルドではなくハインリヒ殿下だったら。
もしくはガブリエルだったら?
あったかもしれない選択肢を想像してしまうのは人間の
でも思うのは、この組み合わせは偶然ではなく必然だった。
「……勇者やわたくしたちに選択肢はありません。大いなるものに“そうあれ”と願われ、そうあった」
中身が
「そう言った意味では、殿下は殿下のままで
「……本気でそう思っていらっしゃいますか?」
「ええ。それに、殿下が選んで欲しかったのはわたくしではなくアニエス様でしょう?」
わかり切っているであろう事実を告げたはずなのに、何故か殿下は動揺した。
「……それは……」
「ふふ。意地悪のお返しです」
「なんとまあ。はは、してやられました」
「ふふふ」
散歩を終えて祭壇へ戻ると灰の勇者はソフィアと共に戻ってきていた。ただ、場は騒然としていて太陽の祭壇前に人だかりが出来ている。
「一体何でしょう……?」
「……まさか」
祭壇前へ向かうとロナルドはすぐ私に気付いて早足で寄り、抱擁で私から視界を奪った。
「どうしたんですか?」
「……リベリオ殿が世界樹の根元に辿り着いたらしい」
目を逸らしたかった現実が、そこには転がっていた。
「聖女フェリチッタ様が果てた」
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