第9話『聖女ユイアは今日も口説かれる』

 私はロナルドの手を取った。元の世界には帰りたい。帰れるならそうしたい。でも、

(ロナルドはいつも私を守ってくれた。いつも支えてくれた。その彼を置いて一人だけ逃げたくない……!)




「……ア、ユイア!」

 ハッと目を覚ますと目の前に灰の勇者がいた。灰の……ロナルドの腕の中にいた。

「あ……」

場所はどこだろう? 少なくとも神殿の近くではない。建物の陰にいるらしい。

「私……」

頭が重い。何か恐ろしいものを見た気がするけど思い出せない。

「大丈夫か?」

「頭痛いです……」

ロナルドはエリクサーのビンを差し出してきた。コルクを抜いて口をつける。喉がうるおって気分が良くなり、痛みが遠のく。

「ありがとうございます……」

「何があった?」

「それが全く覚えてなくて……私なんでこんなところに……」

「俺自身も信じがたいが、お前はステンドグラスの中から出てきた」

「ええ?」

建物を見上げると小さな教会らしい。窓はステンドグラスになっている。

下段では王様と貴族が黄色のリンゴと聖杯を手に、中段には星空、上段には世界樹が描かれている。

「……ここどこですか?」

ロナルドは上を見上げた。つられて見上げると、世界樹がだいふ近くにそびえていた。

「わぁ」

「ここは神殿から七層上の、世界樹の根に向かう森の手前だ」

「……そんな遠いところに私どうして?」

「さあな」

当たり前のように灰に抱えられた私は馬の背に乗せられる。よく見るとそばにソフィアも立っていた。出発前と装備が違って、より剣士らしくなっている。

「ユイア様、大丈夫ですか?」

「た、多分……」

ロナルドは私と同じ馬にまたがった。ソフィアも自分の馬にまたがり、灰の勇者に頷く。

「戻るぞ」




 神殿に戻ると全員に心配されてあっという間に囲まれた。

「ガラスが割れる音がして次の瞬間には聖女さまがいなかったんだよ!」

「神殿の外っつったって女一人が出るならたかが知れてるだろう? なのにどこにもいなくて……」

「……そうか」

私に何があったのか私自身にも分からず、ロナルドはそれを察してか私を追求しなかった。ただ、影の国のハインリヒ王弟殿下の話を出すとしばらく付き添うと言って聞かなかった。


 気分が落ち着いた私はいつも通り朗読を始めた。聞く人の顔はまた変わって、ソフィアや新しく来た不死人たち、祭壇の間には入らないけどハインリヒ殿下も加わった。そして違和感も残った。誰か一人いない気がするのだ。

(なんかこう、喋り方が軽い感じの人いなかったっけ?)

よく思い出せない。考えても仕方ないなら、と私は違和感を無視することにした。




 次の日から私はロナルドとガブリエルとハインリヒの争奪戦に巻き込まれることになった。ガブリエルからの好感度は想像以上に高くなっていたらしい。でも裏で良からぬことを考えているのは経験上わかっていたので淑女しゅくじょの振る舞いで何とかかわして……いきたかった。


「あの……」

 男たちは今日も元気よくにらみ合っていた。

隙をついたガブリエルが私の手を握ろうと声をかけてきたところに、ハインリヒ殿下が従者を連れて割って入り、ロナルドが二人を殺さんばかりに殺気を放って登場すると言うお決まりになってきた状況。

私は大きく溜め息をついた。

「皆さま、どうぞお止めになってくださいませんか……?」

本当にいい加減にして欲しい。

でもロンとハインリヒ殿下は好意からだし、ガブリエルは薄気味悪いものの以前よりはるかに私に好意的だ。

三者三様に愛しているからと言ってもおかしくないので、跳ね除けるのも違う気がしてほとほと困る。

聖女たちは口元を隠してまあまあと微笑むようになったし、本気でこの状況から助けてくれる人はいなかった。

「はぁ……」

 この頃ロナルドは探索を短い時間で済ませて戻ってくることが多かった。妙だなと思ったのは同行したソフィアがさっきまでどこにいたのかわからないと話したり、ロンがトイレに行くような短い時間で帰ってきたのに手荷物が妙に増えていたり。とにかく動きが怪しかった。

そして私は怪しいと思いつつ彼の行動について考察出来なかった。

ハルトさんの記憶がごっそり抜けてしまった私は、自分が持つ日本の記憶さえ薄くなり始めていて、ロンの動きがゲームの抜け穴を使うプレイヤーに似ていると言うところまで発想が飛ばなかった。




 ガブリエルとハインリヒ殿下はロナルドがいない時を見計らっては私にアタックしてきた。もちろん一人ライバルがいないのだから楽と言えば楽なのだろうけど、私の気持ちはとっくにロナルドに傾いていて入る余地なんてほとんどないのに、と目の前の言い合いを呆然ぼうぜんながめた。

「影の国は女を口説くのも陰湿と聞いていましたがこれほどとは」

「その言葉そっくりそのまま返そう」

自分のことながらユイアさんモテモテですね。

いわゆる逆ハーレムの状況だけど、何と言うか一人の女や男を取り合うこの構図、浅ましさの極みのような。

「はぁ……」

もう勝手にやっててください、と言う気持ちで二人から顔を逸らすと丁度ロナルドが戻ってきたところだった。

(なんか疲れちゃったな……)

丁度いいので休もうと考え、私はロナルドの元へと寄った。

「……何かされたか」

「いいえ何も。ただ疲れてしまったので一度休みます」

「そうか。わかった」


 休むって言ったのに!

ベッドのある部屋で二人きりになるとロナルドは私を押し倒してきた。

「もう!!」

「本当に何も」

「されてませんよ! 本っっっ当に嫉妬深いですね!」

二人きりになるたびに押し倒されては困る。ロナルドの気を何とかしずめたい。そう思って私は考えを巡らせた。

「あ」

あるじゃんいいの。

ロナルドを押し退けてベッドの上で座った私は彼を膝に招いた。

「膝枕をしましょう」

「ひざまくら?」

「私の膝にロナルド様の頭を乗せるんです。さあほら」

「……随分と大胆だな」

でも悪い気はしない。そう言わんばかりにロナルドはかぶとを脱いで横になった。

「どうです? 初めての膝枕は」

「いいながめだ」

ロナルドの黄昏色の瞳は私の顔と胸の辺りを行ったり来たり。

「どこ見てるんですかスケベ」

「……ヴェールを取れ」

「え? いいですけど」

ロナルドは片腕を伸ばして私の頬をさらりと撫でる。

「ロナルド様、私の顔好きですね」

「うむ」

随分素直だな、とながめているとロナルドはうつらうつらし始めて、ふっと意識を落とした。

「……疲れてたんですね」

疲れていたのは私だけではなかった。

私があの二人に何かされたらと心配して、探索時間も短くしていたのだろう。久しぶりの、つかの静かな時間。

「……いつもありがとうございます」

私の勇者は珍しく、赤い髪を撫でても起きる素振りが全くない。

「いつか、貴方あなたの心が穏やかになる日が来ますように」




 静かになったおかげで、私もここのところ起きていた出来事についてゆっくり考えることが出来る。

漠然ばくぜんとした違和感。どこか冷静に状況を見ている天の視点のような私の意識。

(ここにつどっている人たちはまず生きていた年代がバラバラ。不死人になって起き上がった時間もバラバラ。古い時代の人が悠然と歩いていて、各国の情勢と絡み合っている。かなり複雑よね)

目を閉じたロナルドの顔は幼い。歳上なのはハッキリしているけど私とあまり歳が変わらないかもしれない。

(本当の意味で若い不死人はおそらくロナルドだけ。あ、でも生きてるフェリチッタ様とご兄弟のリベリオ様は比較的あのままの年齢かな? イレネーさんはオルタンス様と他人だし年齢の予想は難しいな。明らかに古い時代の人なのがハインリヒ殿下、ビルギット、ガブリエル……)

そこではた、と気づいた。

「……あれ、シリルさんって何歳?」

結晶の国の魔法使いシリルはハインリヒ殿下が懸想けそうしていたアニエスの令嬢時代を知っている。

「あ、あれ……? シリルさんも結構なお爺ちゃんでは……?」

魔法使いだし長生きなのかしら。ゲームの魔法使いってなんだか長生きなこと多いし。

「……ダメだ頭の中ごちゃごちゃになる。何かに書こう」

聖書の空いたページに物を書くのは気が引けたので、ベッド横の小さな机にかかっていたクロスを借りた。


「えーと……」

 予想では最年長が魔法使いシリル。次が王妃アニエス。ハインリヒ殿下はアニエスから見て年下だった。アニエスの娘ビルギットがその次。

(ガブリエルは彼らの顔を知ってるから同年代だと思うけど、若干離れている気もする……。あ、でもハインリヒ殿下はガブリエルを知ってたな。ビルギットよりは年下かもしれないけど似たような歳かも?)

王族だけど灰の国のユリア様と王妃グレイス様からとしてこの面々の話を聞くことはなかった。

(と言うことは何代か前の人たち。古い時代の人なのね)

勘ではこの下に結晶の国の勇者イレネーが続く。

(いつものみんなはアニエス様の顔を知らない年代よね。イレネー様以下は、リベリオ様フェリチッタ様、オルタンス様、ロナルド私。エレオノーラ、みたいな。あと……)

あと、もう一人若い人がいたような。

(……やっぱりいたよね?)

誰かが足りない。

(ロナルドが起きたら聞いてもいいかも)

邪険にされることはなくなったし、嫌な顔はしないはず。




 そう思って目を覚ましたロナルドに早速聞いたら彼はものすごく不機嫌になった。

(何でよ!!)

「……チッ、おぼろげに覚えているらしい」

(いま舌打ちした!?)

「若い誰かがいたとして、それが何だと言うんだ」

嫉妬心丸出しのロナルドを見たらさすがに予想がつく。

「その人、男の人でした?」

「だったら何だ」

「しかも私に懸想けそうしていらっしゃった」

「だっ・た・ら・何・だ」

「事情はわからないけどいなくなったんですね。勇者さまはどちらかと言うといなくなってせいせいした、と」

「フン」

おおよそ正解らしい。

「うーん、だとしたらどうして私からその人の記憶がごっそり抜けたんでしょう……?」

「……お前だけではない」

「え?」

表情はブスッとはしていたもののロナルドはいつもの調子で答えた。

「ほかの不死人も奴のことは覚えていない。はっきり覚えているのは俺くらいだろう。ユイアは唯一ぼんやりと覚えていたようだが……。チッ、忘れてていいのに」

舌打ち二回目。

(よっぽど嫌いだったんだな……)

「勇者さまがその方をよほど毛嫌いしていらっしゃったことはわかりました。お話ありがとうございます」

「……ほかに記憶に引っかかっていることは?」

「え? ううん……そうですね、元の世界で兄弟がいたような気がします。かもしれない、程度なんですが」

「……の話か。ほかには?」

「特にはないですかね。今のところ」

「……そうか」

ロナルドはかぶとをかぶる前に私の唇を思いっきり吸った。

「んむぅ!?」

「男の匂いをさせるなと言ったはずだぞ」

ロナルドは好きなだけ私の口を吸って、やっと手を離した。

「今いるあの二人とものなら許さんからな」

「……さすがにそんな尻の軽い女じゃないです」

「どうだか」

ロナルドは嫉妬からではなく、心の底から心配だといった表情で私を見た。

「王族や上流貴族は怖いからな」

「……大丈夫ですよ」

私は初めて自分からロナルドに口付けた。

「私の勇者さまはロナルドだけなので」

「んっ、エヘン」

ロナルドは珍しく照れたようだった。




 祭壇へと戻るとガブリエルとハインリヒ殿下はいなくなっていた。代わりに泥の国のソフィアが祭壇に向かってひざまずき、熱心に祈っており、どうしたのかと灰の勇者を見上げる。ロナルドは肩をすくめるだけ。

二人で視線を戻すとソフィアはなおも祈っている。

(邪魔しちゃ悪いかな?)

「……あの」

もう少し時間を潰してきませんか? と提案するつもりで見上げるとロナルドも私に視線を向けるところだった。黄昏たそがれ色の瞳と見つめあえばかけようと思った言葉は霧散してしまう。

「……あの」

ハッと我に返って前を見るとソフィアは祈りを終えて立ち上がっていた。

「申し訳ございません。祭壇をお借りして」

「ああ、いいえ。大丈夫ですよ」

ソフィアは何故か私たちを見てクスリと微笑む。

あるじさまとユイア様は本当に仲がよろしいですね」

「えっ」

これはにロナルドも私もついドギマギ。

「べ、別に仲良くは……」

「そ、そうですよ。あの、勇者と聖女ですし、ねえ?」

「おお、おう」

「まあ」

ソフィアはしばらくクスクスと笑っていて、私たちは何とも気まずい空気だった。

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