第3話

 目の前の怪物は何者なのか。

 私の問いかけを最後に、狭い室内は水を打ったような張り詰めた空気が流れていた。怪物からの返事は無い。何か言葉を紡ごうと努力をしている様子は伺えるものの、喉から音が零れ落ちる事は無かった。

 暫く観察していると、喋ることを諦めたのか怪物はゆっくりと首を横に振った。質問に対して首を横に振る、ということは。


「わからない、ということですか。わからないというのは、自分の事が、」


 怪物が頷く。


「そう、ですか。ふむ。」


 暫し、考える。

 予想はできていた。そも、相手から明確な返答が返ってくるとは思っていなかったのだ。目覚めたばかりで混乱している(かもしれない)というのもあるのだろうが、発声機能が発達していない可能性が高いと感じていた。事実、怪物はこれまで言語らしい言語を一度も発していない。今だってそうだ。

 しかし、記憶喪失。記憶喪失か。

 私は怪物の過去や人となりを知らないので、一体記憶の何処から何処までを喪失してしまっているのか見当もつかない。ただ、私の異様に足りていない、というか、世間一般的な子供には理解し難い言い回しを当然のように理解できているあたり、単純に地頭が良いのか、それとも経験に基づく理解力なのかどちらなのだろうか。前者であれば殆どの記憶を喪失している可能性があるし、後者であればある程度記憶を保持している可能性がある。しかし会話が成り立たないのであれば仕方がない、当面は倒れる直前の記憶までもが喪失してしまっていると考えよう。それに、治癒能力が異常に高いとはいえ、あれだけの大怪我だ。ショックで記憶が飛んでしまっても不思議ではない。もしかしたら私を騙しているのかもしれないという考えも脳裏に過ったが――例えば目の前の怪物が、トリニティ教が追っている"魔王"と呼ばれる者か、もしくはその眷属で、私を隠れ蓑として扱おうとしているとしたら――それでも、私は生きとし生ける者の善性を信じたいと思った。目の前の怪物を信用したいとも。故に、私は怪物の無言の答を受け入れることにした。

 それに、もし怪物が私を利用しようとしているのなら、それはそれで私は粛々と処理すれば良いだけの話である。その際に生じた罪悪感からは目を逸らし続けなければならないが。

 また少し考えて、無意識に自身の首元に当てていた手を下ろす。そして改めて、怪物に向き直った。


「失礼しました、レディ。ですが、記憶喪失という他者に言い難いことを私にお教え下さり、ありがとうございます。」

「……。」


 凝り固まった表情はどうにもならないが、務めて優しく聞こえるように語りかける。しかしその甲斐あって、つい先程まで緊張した面持ちをしていた怪物は、ほっと一息ついたかのように見えた。私はそれを見て、慎重に言葉を紡ぐ。


「思えば、人に問うよりも前に自身が名乗るべきでしたね。不躾で申し訳ありません、挽回する機会を頂けないでしょうか。」

「……んん、」

「ありがとうございます。では、改めて自己紹介をさせて頂きます。私はガラハド。訳あって大陸を旅しており、その途中で倒れているあなたを見つけて介抱したというのが、現在の状況です。」

「あ・あ・あ・お?」

「……? ああ、はい、ガラハドです。よくできました。」

「! ……っ……!!」


 母音しか発音できていないが、恐らく私の名前を呼んだと思われるので褒めてみる。すると怪物は嬉しそうに、本当に嬉しそうに微笑むので、私の予想は合っていたようだ。こうして見ると外見だけでなく、言動も本当に子供のようだ。子供、という単語が脳裏に浮かぶたびに、そんな子供に私はなんてことを……と思わずにはいられない。いや、このままでは話が進まない。今だけはそのことを考えるのを止そう。

 とにかくだ、怪物は獣のように本能のみで行動する存在ではなく、理性と知性を持ち合わせた存在である事は確かなことがわかった。であれば、正体を隠しつつの国境越えの難易度が大幅に下がるに違いない。未だ周辺で警戒を続けている神官戦士たちに勘付かれる前に、早めに行動しなければ。ただの神官戦士の群れであれば然したる問題は無いのだが、勇者であるディストルチオーノ殿がいるのが厄介だ。いくら怪物が私の外套を被って気配を薄くさせているとはいえ、彼/彼女の"世界を俯瞰しているかのような瞳"から逃れるのは至難の業だと思われる。

 それに、警戒すべきはディストルチオーノ殿だけではない。森の中で見かけた、あの白い外套の人物……。四方八方に殺意を振り撒いていたあの者は間違いなく、かなりの実力者と見える。白い外套という特徴のみでトリニティ教の神官戦士であると断定したくはないが、もしディストルチオーノ殿とあの者が手を組んでしまったとしよう。目に見えて対話による解決の難易度が跳ね上がってしまう。もし戦闘になってしまった場合、最早私一人で太刀打ちできる相手では無くなってしまうかもしれない。腕に覚えは無いわけでは無いが、勝算の見えない戦いはするものではない。お互いに五体満足でいられるとは思えないからだ。早々に怪物を連れてこの場から離れた方が良いだろう。

 さて、そうなると問題はどうやって怪物を人目に触れないようにするかだが。此処で怪物の身体的特徴を復唱しよう。

 何処からどう見ても人間ではない。まず目についたのは、手足に該当する部位にある爬虫類めいた鱗だ。付け根こそヒューマンのような肌色を見せるが、手先足先に向かうにつれ鱗は密度を増していく。そのまま爬虫類のような手と足になるかと思えば、何故か獣のように厚い毛皮で覆われていた。それから蛇のような尻尾と、鳥のような翼、そして――羽のような形をした、角らしきナニカ。更には顔以外にも手足と胸元に一つずつ瞳がある。あらゆる生物を混ぜこぜにしたかのような異形、"アヴァロン人私たち"を愚弄したような存在、異種同士から産まれたハーフとも違う――人工嵌合生物カイメラ

 そう。目立つ。目立つのだ。それはもう只管に目立つ。外套を被せても角らしきものが生えているおかげで頭部が盛り上がる、蛇のようなそれはそれは太い尻尾が外套の裾を捲り上げる。今は未だ魔人族は普通に周辺で暮らしているので、同じ魔人族だと言い張れば多少は目を瞑ることができるが……生えている魔人の身体的特徴が上中下で異なっていることが問題なのだ。

 せめて何かで外見を偽ることができれば――いや、そうか、魔法を使えば良いのか。何故今まで魔法を使おうと思わなかったのだろう。精霊様の数が減って、魔法を行使し難くなるという先入観が邪魔をしていたようだ。私は怪物に向き直り、早速実行しようと声をかけた。


「レディ。」

「……?」

「あなたの意識がハッキリしたことですし、そろそろ私は知り合いの許へと移動する予定です。勿論それは、あなたも一緒です。」

「……うぇ……。」

「そんな心配そうな顔をなさらないでください。先程言った通り、私は拾得者の責務として、あなたの進退を決めねばなりません。しかしそれは、私一人の一存でどうにかして良いものではないと心得ております。あなたの意思と、それから第三者の意見も取り入れるつもりです。それ故の移動です。今回あなたが対面することになるお方は、私が幼少期からお世話になっている者で、信頼のおける人物です。あなたと同じように魔人族でございますから、あなたに対して親身になってくださることでしょう。」

「……う……。」

「その方はあなたに害を成すことは無いと断言できますが、一般のヒューマンはそうではないと私もあなたも理解していると思います。それ故、あなたの身体的特徴をどうにかしなくてはいけません。――ここまでは、宜しいですか。」


 こくりと一つ首肯が返ってきたので話を続ける。私の言葉を黙って聞いているこの子は、やはりとても頭が切れるのだと思う。言葉の意味を理解していないわけでも、意味を取り違えている訳でもないようだ。

 さて、魔法を行使すると言っても、外見を完全に変えてしまうというのは難しい。なにしろ身体的特徴を大きく変えると、動作に支障が生じるからだ。例えば身体の小さなレプラカーン族が、身体の大きなオーク=ナス族になったとしよう。レプラカーン族がいつもの調子で腕を振り上げたり走ったりすれば、途端に周囲にある様々な物が自らの振り上げた腕や脚によって壊され、天井に頭をぶつけたり、身体のバランスを誤って転倒してしまったりする。要は、サイズの合っていない衣服を着ているかのような状態に陥るのだ。いくら怪物が賢くても、自らの一挙手一投足を身の丈に合わない外見に合わせて注意深く振舞ったとしても、不自然さの方が勝って見える。それでは本末転倒だ。

 故に、私はもっと簡単な魔法を行使する。それは"暗示魔法"だ。怪物を見た者は一般的な魔人族――ここではセイレーン族にしよう――に見えるように先入観を与える暗示魔法をかけるのだ。セイレーン族は目の前の怪物と同じように、複数の魔人的特徴を持ち合わせている。雌のヒューマンの上半身に、鳥の翼と足。怪物とは多少シルエットが異なるが、そういうものだと思い込ませてしまえば問題は無い。


「これから、あなたが人前で普段通りに行動しても、誰も違和感を覚えないような状態にします。」

「……?」

「今から指を鳴らします。するとその瞬間から、あなたは周りからセイレーン族として認識されます。」

「……!?」

「ああ、ご心配なく。あなたの外見が変わるということではなく、あなたを見た周囲の人間があなたをセイレーン族であると思い込むようになるだけです。宜しいですか。」


 怪物は半信半疑な顔をしつつも頷いた。私は目を閉じ、精霊様に感謝の意を心の中で述べながら指を鳴らす。


 ぱちん。


 数秒の沈黙の後、私は目を開けた。目の前には私と同じように目を瞑る、何か色々生えている水色のセイレーン族がいた。


「――ふむ、まあ自己採点で及第点と言ったところでしょうか。」

「……?」

「どうですか。何か、不都合は。」

「……ん。」

「それは良かった。では、もう少ししたら此処を出ましょう。私は手続きをしてきますので、そこで待っていてください。」

「ん!」


 笑顔で手を振るセイレーンに見送られながら部屋から出た。思わず息を吐きながら目を閉じる。自身を落ち着かせるための行為だったのだが、目を瞑った際に何か嫌な光景未来が見えてしまった気がして、はっと勢い良く目を見開いた。私は、見えた景色に向かって明確な意思を持って歩を進める。

 怪物を拾った時もそうだが、私のこの感覚は奇妙なほどによく当たる。今回見えたものは、そう――


「おはよう、ガラハド。忙しいところすまないが、少し時間を貰えないか?」

「――ディストルチオーノ殿。」


 ――勇者殿が怪物の存在に勘付いてしまった、という現実未来

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旅する騎士は眠りたい 宮守 ソウク @souku280

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