第5話 三騎士の誓い
夕方、シャロン・ホルスト探偵事務所に行くと、ドアの向こうに何やら賑やかな気配があった。何だろう、先客かしら、と思って、少し迷ってからノックした。すぐに艶やかな声で「どうぞ」と聞こえた。
ドアを開けて中に入る。そして少し驚いた。中にこの二日間で会った面々がいたからだ。
たくましい体つきの髭の男性……ルーシャン・オズワルド・オコンネル。
痩身を素敵なジャケットで包んだ男性……レイフ・サイラス・フィリップス。
長身に白衣。眼鏡をかけた男性……トビー・ジャレット・リグビー。
三騎士だった。三騎士が探偵事務所の中で、同窓会だと言わんばかりに並んでいた。部屋の真ん中、デスクの向こうで、小柄な女の子が一人、楽しそうに座っていた。探偵のシャロンさんだった。
「いらっしゃいましたね」
シャロンさんが微笑む。三騎士も楽しそうな顔をして私を見てきた。何が何やら分からなくて、私は説明を求める意味でシャロンさんを見つめた。
「ご依頼の件、早速ご報告させていただきます」
シャロンさんが丁寧な口調で告げる。
「まず気になったのはこの手紙でした」
と、彼女が取り出したのは、私が奨学金と一緒に渡されたあの手紙だった。「君の瞳はあの日の瞳」。
「この手紙を私に渡す時、あなたはカバンから取り出しにくそうにしていましたね。カバンの縁に手紙がくっついてなかなかとれないご様子でした。で、あなたのカバンは最近流行りの磁石で口が閉まるタイプのもの。手紙がカバンにくっついたということは、手紙に磁力が働いた、ということです」
と、シャロンさんが手紙を開く。
「紙そのものに金属が仕込まれているとは考えにくいです。となるとインク。『君の瞳はあの日の瞳』。そう書かれたインクに金属が含まれていた。普通のインクじゃありません。よりしっかりと文字を書き込める、あるいは水や掠れの影響を受けにくいインクです。文筆業の人、特に速記をする新聞記者がよく使うものですね」
はっは。とフィリップスさんが笑った。それから続けた。
「まさかインクで仕事がバレるとはね」
「続いて金額です。簡単に出せる額じゃない。ちょっとずつ出すならまだしも、いきなりまとまってこれだけの額を出せる職業は限られます……医者なら儲けが大きそうですね」
リグビーさんが困ったような顔をする。
「最後に、オフィーリアさん。あなたがアルドリッジに在学していたことを知り得る職業の人間がいるはずです。アルドリッジは一定の割合で転校する生徒がいるからあなたがアルドリッジにい続けたことを知る人間がいないといけない。教師、はその筆頭に挙がるでしょうがあの職業は意外に出入りが激しい。永続的に学校と関りがある人間はおそらく卒業生。そして卒業生が集まる同窓会の中でも一番大きくて活動的な団体は『アザミの集い』でしょう。軍人の同窓会です」
オコンネルさんがすっと胸を張った。大佐らしい、堂々とした姿勢だ。シャロンさんが続ける。
「アルドリッジにある卒業生目録で調べました。私も一応、アルドリッジの卒業生なので閲覧権はありました。新聞記者、医者、軍人。これらの職業に就いた人間は山ほどいましたがある三人が特徴的でした。三騎士と呼ばれる伝説の学生です」
シャロンさんはすらすらと続けた。
「彼らに何かオフィーリアさんを気に掛ける理由がなかったか。それを知るために私は当時の教員、歴史学のジョーンズ女史を訪ねました」
するとシャロンさんは困ったような笑顔を見せた。
「ジョーンズさんはおしゃべり好きで……正直、当時の話を聞きだすのに少し苦労しましたが、でも話してくれました。三騎士の在学中、生徒から人気のあった教師が一人、いたそうです。魔法学と魔法史学の教師で、名前はゾーイ・ナイトリー。偶然にも私はゾーイさんという名前を最近知っていました」
と、オコンネルさんがいきなり挙手をして会話に割って入った。彼は髭をもぞもぞ動かしながら告げた。
「ここからは我々が話そうか」
するとその言葉を合図にしたかのようにフィリップスさんが前に出た。
「僕は魔法使いじゃないが素質はあったみたいでね。君のお母さんから教わった魔法を、今でも仕事で使うんだよ。人から記憶を正確に引き出す時にね」
それからフィリップスさんは懐からペンを取り出すと、それを魔法の杖のように振るった。
「これも君のお母さんから教わった呪文だよ」
フィリップスさんがにっこり笑う。
「メモリア、思い出」
ふわふわと、煙のような何かが漂い始めた。それはどうも三騎士のこめかみのあたりから湧き出ているもののようで、フィリップスさんが指揮者のようにペンを振ると、やがて拳大くらいの煙の塊になった。フィリップスさんが懐からお菓子箱くらいの大きさの金属の箱を取り出した。
「念写機だ。魔蓄が使われている」
するとリグビーさんが続いた。
「僕たちの思い出を、オフィーリア、君に共有する」
フィリップスさんが煙の塊を箱の中に押し込めた。と、箱から光が投射され、事務所の壁の一面が輝いて、一人の女性の姿が映った。母だった。若かりし頃の母だ。映像は煌めきながら始まった。思い出の輝きだった。
*
「ゾーイ先生……」
幼い声だった。でも低音でお腹の底に響くような声は、間違いなくリグビーさんのものだった。
「ゾーイ先生、僕、真面目だぜ!」
これは多分……フィリップスさんの声。
「俺、先生のためならどこまでも駆けていけます!」
この声は、オコンネルさん。
すると映像の中の母は、嬉しそうに笑って、それから立ち上がった。母は凛と立って口を開いた。
「三人ともありがとう。お手紙、きちんと読ませてもらいました。先生嬉しかった。誰かに愛を告げられることは、いつだって誰だって、嬉しいものです」
母は……ゾーイ先生はそれから優しい笑顔になって続けた。
「ですが先生はあなたたちの気持ちに応えることはできません。先生、三人とも好きなのよ。だから誰か一人にはできません。ごめんなさい。わがままを許してね」
男子たちの気持ちが萎んだ気配が、音になって聞こえた気がした。
「でも先生、本当に本当に、嬉しかった。あなたたちは一人の女性を喜ばせました。それは揺るぎない事実です。だから約束してください。いい? 素敵な紳士になること。必ずですよ。これからも人のために働ける立派な紳士であってください。大丈夫、あなたたちならなれます」
今度は男子たちの気持ちが膨らむ音がした気がした。それから三人のハッキリした返事が聞こえてきた。母は満足そうに微笑んだ。
それからいきなり場面が変わった。映像は切り替わり、今度は酒場のような場所で、どうも三人が話しているようだった。まずフィリップスさんの声が聞こえてきた。
「先生、死んじまったな」
「ああ」
「安らかだったのかな」
「担当医と会ったよ。治療薬にリョドレンドロンの葉を使っていたらしいから、苦しむことはなかったんじゃないかな」
しばしの沈黙の後、フィリップスさんの声が聞こえた。
「先生、一人娘がいるらしい」
「ああ」これはオコンネルさんの声だった。「『アザミの集い』でアルドリッジに行った時に見たよ。先生にそっくりな娘さんだった」
「先生、夫と死に別れているだろう? 先生がいなくなったら、その子はどうなってしまうんだ?」
リグビーさんの不安そうな声だった。フィリップスさんの声が答えた。
「まぁ、学費が払えなくて退学だろうな」
「退学したらどうなる?」
「よくてその辺の屋敷の掃除婦。悪けりゃどっかの安宿で……」
「やめろ」オコンネルさんの声だった。「今こそ俺たちが力を合わせる時だ」
「同意」フィリップスさんにしては似合わない落ち着いた声だった。
「僕も力を貸すよ」リグビーさんも決意を秘めた声を出していた。
「よし、いいか」フィリップスさんが声を潜める。
「まず学費のためにまとまった金が必要だ。リグビー、用意してくれ。医者ならある程度都合できるだろ。で、リグビーがまとめて支払った分は僕とオコンネルがこつこつ返済する。だが一人の少女にいきなりまとまった金が入ったとなっちゃ、よからぬことを考える輩も出てくるだろう。僕が見守って常に情報を共有する。オコンネルは実働班として僕の情報を元に娘さんを火の粉から守ってほしい」
「分かった」
「分かったよ」
「時間がない。さっさと動くぞ」
また場面が切り替わった。目の前にはトランクがあった。見覚えがある。そうだ。あの日校長に手渡されたトランク……お金の入ったトランク。
「金はこの中に」リグビーさんの声だった。
「『アザミの集い』で顔が通るだろう。オコンネルが校長に渡せ。もちろん口止めしろよ」
「任せろ」
「あの子、びっくりするかな」
「オフィーリアというんだ、あの子は」
オコンネルさんの言葉にフィリップスさんが被せる。
「知ってる」
「どこで調べた」
「僕をなめるなよ」
「オフィーリア、か。いい名前だね」
「リグビー、君彼女のこと見たか?」
「見たよ」
「僕も見た」
「先生そっくりじゃなかったか?」
「うん。特に目元が」
「目元だけじゃない。瞳の色までそっくりそのまま」
「あの日を思い出すな」
「うん、本当に」
「俺たち、立派な紳士になれたかな?」
「これからなるんじゃないか?」
「なり続けるんだよ、きっと。これからも」
「よしきた、こう残しておこう」
と、映像の端から手が伸びてきて、便箋の上にこう書き残した。
『君の瞳はあの日の瞳』
その手紙が、トランクに添えられる。
「オコンネル、任せたぞ」
「ああ」
「着服するなよ」
「するわけないだろ!」
「冗談だ。信じてるよ」
そこで映像は終わった。
*
気づけば頬がちょっと、濡れていた。
そっか。母を愛した三人が、私のために……。あのお金は変わらぬ愛と忠誠の証だったんだ。私は涙を拭った。今こそきちんとしなくちゃ、と私はシャロンさんの元へ歩いた。彼女は心得ていたのか、すぐに預けていた手帳を二冊、渡してくれた。
「これ、皆さんからもらったお金の余りと、私が稼いだお金です」
手帳を三人に差し出す。
「受け取ってください。恩返しがしたいんです」
すると三人はちょっと顔を見合わせると、すぐに首を横に振った。まずリグビーさんがつぶやいた。
「返さなくていい」
「でも……」
「送れ」フィリップスさんが短く告げた。オコンネルさんが穏やかに続いた。
「恩は返すものじゃなくて、送るものだ。俺たちにしてもらったいいことを、他の誰かにしてあげるんだ。そうやって、素敵なことが人々の間を巡っていけば、世界はきっと、よりよくなるから」
「約束しろよ」
フィリップスさんがにやっと笑った。
「淑女たれ。僕たちがゾーイ先生とした約束と同じ。人のために働ける淑女になってくれ」
少し迷った後、私は二冊の手帳を手元に抱いた。それから強く頷いた。
「はい……!」
するといきなり、フィリップスさんが嬉しそうな顔になった。
「これで三人横並びだな。よしオフィーリア。まずおじさんとご飯に行こうか」
「おい」オコンネルさんが不機嫌そうに口を挟む。
「昨日の暴漢騒ぎはお前が通報したから警官が疑って行動が遅れたんだぞ。普段どんな仕事をしてるんだ」
「いいじゃないか。こうして三人揃ってオフィーリアの前に出られたんだから。なぁリグビー?」
「僕は探偵さんの手腕にびっくりだよ。依頼があって一日も経たない内に僕たちに辿り着くなんて」
「ああ、僕はそれに関してはそれほど不思議じゃなかったな。ランドンのシャロン・ホルストは名探偵で有名だ。彼女が本件に関与したから僕は君たちを呼び寄せて姿を現す提案をした。つまり僕こそがオフィーリアと最初に食事をする権利を有する」
「オフィーリア、いいか。こういう男に騙されるなよ。まずは俺と……」
「ぼ、僕はいつでもいいからさ……」
私は何だかおかしくなって、シャロンさんと顔を合わせ、うふふ、と笑った。それから告げた。
「でしたらみんなで、今からここで」
了
君の瞳はあの日の瞳 飯田太朗 @taroIda
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