Epilogue
気がつくと僕はふたたび月夜のしだれ桜を見上げていた。
粉雪のように舞い降りてくる花びらのひとつを僕は目で追い、やがてそれを視界から見失うとまた次の花弁に焦点を合わせ、その不規則な軌道を追っていく。
僕は盛り上がった根張りに腰を下ろし、そうして降りしきる桜吹雪を眺めていた。
けれど不意に洟をすする音が耳に入り顔を向けるとすぐ右隣にあずきが座っていた。そして詰るような瞳で僕を見据えていた。
「どうして……。どうしてなの、鳴海くん」
僕はそっと彼女の肩を抱き寄せる。
「さあね、どうしてだろうね。でも、たぶん鏡に映った自分の顔のせいさ」
あずきが真っ赤に腫らした目で僕の顔を見上げる。
「だって、あまりにもそれがキミとそっくりだったから」
微笑んでそう答えるとあずきは僕の肩に顔を押し付け、その小ぶりな拳で僕の太ももを何度も叩いた。
嗚咽に震える彼女の身体はとても熱っぽく、それが僕にはほとばしる生気そのものに感じられて嬉しかった。
僕は舞い散る花の向こう、月光に照らされた青白い草原をぼんやりと眺める。
そしてこの艶やかで静謐な世界がただ僕とあずきのためだけにあるのだと確信して心のうちで安堵の息を吐いた。
やがてあずきがおもむろに顔を上げた。
「ねえ、また会えるかな」
僕は即答する。
「もちろん。僕はいつもここにいる。そしてあずきがそうしたいと思えばいつだって会えるよ」
「本当?」
「本当さ。僕は必要な嘘以外はつかないことにしているんだ」
僕がそう答えて胸を張るとあずきは指先で涙を払いながらぎこちなく笑った。
けれどそのうちに不意に下唇を軽く噛んで表情を消し、ひとしきり目線を真上に向ける。そして彼女の身体はふたたび小刻みに震え始めた。
僕にはその理由が痛いほど分かる。
彼女にはこれから幾多もの苦難が待ち構えているだろう。
慄くのは当然だ。
けれど……。
僕はあずきの肩をさらに強く抱き寄せる。
「大丈夫だよ。僕はずっとこの桜の精霊とともににいる。そしてあずきを護る。約束する。なにがあっても絶対にね」
彼女が僕の胸元でゆっくりとうなずいた。
舞い落ちてくる花びらがひとつあずきの髪に留まる。
見上げると頭上で桜吹雪が大きな渦を巻いていた。
そろそろ旅立ちのときがきたようだ。
うながし一緒に立ち上がると僕は彼女をしっかりと抱きしめた。
風音が大きくなる。
僕たちは身体をゆっくりと離す。
すると桜吹雪が彼女にまとわり、やがて宙に浮かせた。
あずきはやはり泣いていた。
けれどその顔は笑っているように見えた。
もう言葉はいらない。
僕は薄紅色の渦に消えていく彼女に心からの祝福を願った。
さくら回廊 那智 風太郎 @edage1999
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