恋と庇護のポビイェク

繕光橋 加(ぜんこうばし くわう)

     

 私がこの恋を隠すのは。

 私がこの恋を秘匿して、独りで背負い込もうとするのは、きっと叶わないだろうとか、その憧れを公にしていたばかりに「外の誰かに壊されてしまうかもしれないから」とか、そんな悲しいことを思っているからじゃないの。


 また今日も、どこかで銃声のような怒声が聞こえた。喧騒が産声を上げた瞬間、ふッ、と空気が変わったのが分かる。木々の鳥はあれで潜んでいるつもりなのだろうか。おし黙って様子をうかがいもせず、ピーチクパーチク、チュンチュンと、身を強張らせる私たちを挑発しているみたい。

 どうして。

 乾いた青空はこの国には、なんの変哲もないありふれたもの。どんなに風が強い日でも、雨という涙は混じらない。嵐が向かい風を投げつけることも、追い風でどやすこともない。だから私たちは自分の一歩一歩に集中できた。

 でも、それでも私たちは、やはり運命と言う茅花流しに翻弄され、辱められる現状を変えられない。生乾きのシャツを着たような気持ち悪さが、私たちの歩みを臆病にする。


 私たちの一家一族は、祖国に帰るまでの逃避行。道は幾重にも分かれていて、一本道ではないけれど、それでも帰るべき場所、目指すべき場所は決まっている。この帰り着くふるさとを見誤ることなんてないのだから、きっとこんなことを言うのは間違っている。

 でもね、どうしても私たちは考えてしまう。灼熱の町々、田畑をゆらゆらと歩いて帰る姿は、帰れずの森を彷徨う街の民なのだろうと。か細い命をギリギリでつなぐ、弱い狐なのだろうかと。


 前をよろけるように歩く、痩せた男の人。あれはおじさん。一昨日に一発殴られて、大きな青あざを顔に拵えている。口は切れて、その端は赤くにじんでいた。案山子のような腕が、おんぼろのチョッキの穴から揺れる。

 娘でいとこのユリさんは、わたしよりも二つ年上で、でも遠い昔から生きてきた人のように、ずっとずっと強い。短く刈り上げた黒髪だが、もし今もまだ伸ばされていたのなら、どんなに美しかったかよく知っている。

 ほんの一年前の七月、森へ行った時に見たあの艶姿は、特に印象深い。木漏れ日を受けた黒髪は赤茶色に染まり、艶がその毛先に生きているかのようだった。

 お弁当を包んだ風呂敷を持つ、小さな手から鉤状に延びた指。唐草模様に溶けこみ、飲まれてしまいそうな、危険なか弱さに目を奪われる。柔らかな物腰のお姉さんであるユリさんは、女の私でも見惚れてしまうほどの女らしさ、だったと思う。

 田畑で鍬を振るう、お父さんやおじさんや、親方さん達の所へおむすびを持っていけば、いつだってあの人たちは振り向いた。

「べっぴんさん方が来た、そろそろたばこにするべぇ。」

「んだんだ、まず休むがな。」

 そうしてみんな集まってきて、話に花を咲かせる。休憩が終わったら終わったで、また日照りの中で、体の頑丈さを見せつける様に、男衆は働き始めるのだ。その働き手をすべて、ユリさんが操っているようで、正直、うらやましかった。


 でもあの日、大好きなオシャレをキッと我慢して、バリカンばさみでジョキジョキと切られていく彼女の眼を見たとき、私は、不謹慎にも感銘を受けたのだ。灰の中に、消えることのない火種が灯り続けているような強さ……、男の人でもその場を逃げ出すであろう、底堅い強さだった。

 それと同時に、あの強いユリお姉さんですら、抗えぬものがあるのかと驚いた。運命が一人の女を蹂躙した。それは私にとって初めて身近に感じられた“敗北”だった。

 他でもないユリお姉さんだったから。

 あの光景に圧倒された私は、悲壮感に膝を折られるより、むしろ躍起になって抗ってやろうと思えるほどの憤りが胸の中に生まれた。

 きっと誰もがそう思っていたのだと思う。私には政治や戦いのような、むつかしいことは分からない。でも、「負けちゃいけない」とか、「勝ち通してみせる」のように、不滅を思う人々の念いが、あらゆる時代、あらゆる瞬間にあって、私たちは生きているのだろう。


 ある日、父はいなくなった。父に連れ立って、ほか数人の男の人も離れた。お母さんや私たちを生きて故郷へ帰すために、私達から離れて別のルートを進んでいくのがねらいだった。

「いいかい、お父さんたちは絶対に、絶対にあとから追いつく。だから、捕まるなよ。ゴロツキにに見つかったら、全力で逃げろよ。」

 そういうとお父さんは、お母さんに「娘たちをよろしく頼む」と上ずった声で言い、やつれた細い肩で抱きしめた。

「少しの間離れるだけだから、だから。体に気をつけてな!」

 父は農家仲間たちの中でも多弁な方で、闊達な人物だ。他の農家のおじさん達は打って変わって黙々と仕事をする人たちが多かった。

 すっかり無精髭が生え、心身に余裕がないのは誰の目にも丸分かりだが、それでも気丈に振舞おうとしていた父。それでも、私達との別れに、ようやくやっと、弱い感情が漏れてきたらしかった。ろ過機から一粒の水が、じわじわと焦らしながら滴るようで。決して涙が伝うことはない、まただからこそ、その声色に湿ったものが、より強調されて溶け出ていた。

 そんな現れ方をした思いがけない父の想いに触れ、「私がしっかりしなきゃ」と心に決め込んだのは、当たり前の事だった。


 あの別れの時、脇のおじさんたちが、ひそひそと何かを話していた。だが、いつものように私の耳は、その控えめな合議が、重要なことか、それとも軽微なことだったのか、拾うことができなかった。今思い返せば、あの人たちというものは「重要なことに限ってこそ、ひそひそと話す」らしいのであった。もっと注意深く聞いておけばよかったと、遅ればせながら思うことは、その後の生きる内に何度でもあったのだ。

 後悔?いいや、未熟なだけ。一通の手紙が父に成り代わって、新しい私の隠れ住まいに帰って来たあの昼、溢れる涙を抑えることができなかったのは、私ただ一人だけだった。

 きっと現実を変えられた訳でなくとも、彼にかける言葉を考えて、きちんと別れの言葉を残すべきだった。父親という存在は、あのユーラシヤ大陸に、私たちを見送った孤独な姿のまま、いつまでも囚われているのかもしれない。


 私が外つ国にいたのだということを実感するのは、あの人を見たときのこと。

 幼いながらに覚悟を決めた私にとって、周りの大人たちの繰り返す「祖国へ、祖国へ、」という、亡霊の合唱ような姿はひどく参った。私こそは生きて土を踏み、その後に新しい生活が、伸びる道のように当然あるのだと信じて疑わなかったからだ。

 私の精神が追い詰められていないことは、実は幸いなことだった。それだけ周りが守ってくれたのだが、その分、数の少なくなった大人たちは、気苦労といつ来るとも分からない危険を背負い込み、不安に虐められ、病んでしまったということである。

 時は昼。

日差しは体力のバケツをひっくり返したままに。

歩くことしかやることがないのが辛かった。

 途方に暮れて、おじさんはへたり込んだ。喉の奥から、猫が唸るような声を出して、腰を地につけた。そのやるせなさが奏でる悲鳴は、消耗する皆が抱えているものだった。が、おじさんの顔を覗き込むと、その顔には憔悴よりも、驚嘆と苛立ちによる皴ができていた。彼は私達に一瞥もくれず、じっと道の先を見ていた。


 向こうを見た。


 人だ。人がいた。


 はっ、とした。

 軍服を着た中背の白人が、こちらに歩いてくる。官帽には赤いアスタリスク。

 私が「逃げなければならない」と悟るより先に、母やおばが素早く私達を背に隠した。心臓の鼓動が大きくなる。私は後ろから服を引っ張って退こうとするが、母の脚は動かない。親としての覚悟か、それとも単に怯えていたのか、それを確かめる時間なんてない。

 いざ危険が目の前に迫ってみると、こうしようああしよう、と頭の中で組み立てていた対処法なんて、さして役に立たないものだった。まさか親を置いて逃げるわけにもいかない。

 じぃじぃじぃと蝉が叫ぶ。

 脚が言う事を聞かない。やせたあばらから冷汗が噴き出る。

 分からないことを言いながら、その兵隊はやって来た。兵隊は私達一行の規模を見て、手前で座り込むおじに絡み始めた。


 もうやめてほしい。嫌だった。殴られるのも、傷つくのも。私の大切な人が衰弱した後、私たちの前から去ってゆくのも。

 私たちは生きていくために旅をしているのであって、死ぬためじゃあない。こわごわと私たちは身構え、その兵隊に向き合う。


 兵隊は、おじの肘を引っ張り上げ、力を込めて、立ち上がるように促した。観念したおじがおとなしく従うと、兵士は手を放した。

 誰も何も言わなかった。

――そこから先はよく覚えていない。



 その日の夕方、私は幕の張られた陣営の中に招かれた。そこで生まれて初めて羊のお肉を食べた。乾パンと干し肉は、まともな食事にありつける見込みのなかった当時の私達には豪奢すぎる代物だった。

 兵士は乱暴を働くことはなかった。お酌こそ取らせたが、私たちの体には指一本触れなかった。それどころか、私たちに夕ご飯を食べさせ、一晩限りの安全な睡眠までもとらせてくれたのだった。

 大人たちは泣いて喜んでいた。北風と太陽の説話を経て、ようやく涙は私達の手に取り返された。

 後から知ったことだが、その兵士は士官兵で、隊を率いて寄留民を保護する、中尉以上の役職者であった。堂々と紳士的にふるまい、それに見合った教養高さをも兼ね備えている。怯えていた私たちが恥ずかしくなるくらいの落ち着きようで、「異国の兵隊は皆野蛮だ、まず逃げろ」。そんな踏み固められてきた観念が崩れ去った。

 たまたま運がよかった、と言えばそれまでだ。実際、派兵されるがままやってきた同じ軍隊の荒くれどもに、口に出すのもはばかられるような扱いを受けた人の数は多いと聞く。

 名もなき、恥もなき、残虐な兵たち。血と欲に飢えた獣が、銃とサーベルによって怯える人々を襲い、消されていった物語。男は殴られ、女は汚され、亡骸は目も当てられぬほど壊されてしまった。粉々に砕かれた消し炭が鼻を突く。もう二度と人間であったことが思い出されぬ迄に、猟奇の澱みに沈められた人々は枯れ果てた。

 でも、確かにそれらとは交わらぬ良心も生きていた。これは私の中にずっと残っている、大切な記憶であり、記録。そこに優しい将校サンがいたということが、胸の奥をじんわりと温めてくれる。

 おずおずと酒瓶を傾けたとき、あの白く筋肉質な腕を見て、穏やかな風が私の中に雨雲を連れて来た。日頃、もちろん銃を抱えることもあれば、業務日報を脇に挟むこともあるのだろう。そんなありきたりな所に思いを馳せてしまうだなんて、私は滅び去る国を見届けた女として、不条理なことに違いない。


 でも。


 でも、…あの目を見たときに私は心を射抜かれてしまった。ユリさんの強い目とはまったく異なる、敵であるはずの紳士の目に。

 野太い汽笛に振り返れば、おびただしい人々が港にごった返していて。報われるはずもない恋のつぼみが、強い風に吹かれている。

 夏の風は広い平原を駆ける。大陸の砂煙を巻き上げながら。


 私がこの恋を隠すのは。

 運命が大きすぎるから。巨大な運命を呪うから。

 例えば愛や情熱といった、美しく素晴らしい精霊が、私たちを祝福したとしても、慰めにはならないだろう。私の恋路を邪魔する、最も卑しい生き物が同席している。

 …そう、運命。運命というバケモノが見ている前に、私の純粋で卑小な恋心を晒してしまうのが口惜しいから。「この恋は報われるべきもの」と皆が認めるほど、純粋さのかがやきが守られ続けるのであるのならば、なおさら御免というもの。

 どれほど恋心が純粋であっても、この恋はあの縦横無尽に吹き荒れる風にはなれない。常に一方通行な上に、届きもしない。それでも私はあの人に魅了され、二度と他の恋はできない。私の心は、動くままに追いかけることが禁じられた…その残酷なすれ違いに引き裂かれ、風に吹かれてどこかへ消えるのでしょう。

 心を別の国境線に投げ捨てて来たの。でも言葉にしない限り、きっとあなた達には分からないわ。殿方の皆さま、せいぜい探してくださいな。



 えへへ、ざまあみろ。



――――――1946年8月某日のハルビンを回想して



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