第9話

 曹回そうかいの葬られた墓所に積もった雪が、やがて跡形もなく溶けて、小鳥たちが空で遊ぶ頃になっても、荀粲じゅんさんはふさぎこんだままだった。

 傅嘏ふかが彼を見舞ったのは、ちょうど桃の花が終わる頃であった。

 一年前の春、荀家の庭には、荀粲と曹回のくすぐったい笑い声が響いていた。あの頃と同じように、庭には花々があざやかに咲きほこっているというのに、邸内はからっぽのように静かである。

 荀粲は庭先の椅子の上で、足を抱えて座っていた。疲れきった顔に、苔のようにひげが生えている。幾日も着替えていないのか、衣もくたびれていた。

「君らしくないな、そんなにふぬけて」

 挑発すれば、鋭く噛みついてくるだろうと思ったが、荀粲は何の反応も返さない。

「妻は容色のみで選ぶべき――君は、そう言っていたじゃないか。知性があって健やかで、すべてをそなえた才媛を探すのは大変なことだが、しかし美人ならば、またすぐに出会えよう」

 桃の花が、枝からぽとりと落ちた。しかし木には、まだたくさんの花が残っている。もしすべて落ちてしまっても、来年には再び美しい花が咲くだろう。

 荀粲は石のようにかたまっていた表情をゆがめ、うめき声をあげて膝に顔を埋めた。

「お前にはどれも同じ花に見えるかもしれないが、俺にとっては、一つきりの花だったのだ」

 そして幼子おさなごのように、声をあげて泣き始めた。


 荀粲を慰める言葉を持ち合わせなかった傅嘏は、気まずいまま邸を後にした。その折、ふと目についた桃の枝を一つ手折って、なんとなし帯に挿して持ち帰った。

 それを部屋に飾り、毎日眺めていたのだが、十日ほど経つと枯れ果てて、その花びらをむなしく床に散らした。

 傅嘏の内に、友の泣き声が唐突によみがえった。その声のあまりの悲しさに、傅嘏は机に伏して袖を濡らした。


 それから一年が経たぬ内に、曹回のあとを追うようにして、荀粲もまた没した。

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桃花源郷 斎藤流軌 @yumeshobo

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