【完結済】初めての異世界転生だってのに俺の担当神様が言うことを聞いてくれない

鈴谷凌

1話「殺風景と天使の環」

 天国という概念がある。


 命あるものが生涯を終えたあとに向かうとされる天上の世界。神や天使が住まうとされる楽園。そこでは一切の苦難がなく、霊魂は永遠の祝福を受けるという。まさに、生きとし生けるものにとっての理想郷だ。


 苦しみから解放されたい、絶え間ない安心に浸かっていたい、自らの命の永遠を望んだ人間はいつしかそんな幻を生み出した。

 幻――と断言してしまうと、それを信じている人にとっては気分が悪いだろうが、少なくとも俺からすればそんな世界はあり得ないと思っていた。


 人は死んだらそれまで、ずっとそう信じていたのだ。


「……そのはずなんだけどな」


 目の前に広がる光景に、十数年持ち続けてきた俺の認識は誤っていたのだと気づかされる。


 とはいえ別に目を引くような建物や景観があるわけでもない。人の通りも車の交通もない。鳥のさえずりも、工事の騒音も聞こえない。見上げれば常にそこにあった空も、いつの日も俺たちを支えてくれる大地も、年中休むことなく昇る、ブラック企業も真っ青な働きぶりの太陽すらもそうだ。


 そう、何もない。不気味なほどに何もない。あるのは方向感覚を狂わせる真っ白な空間と、それを認識している俺という存在だけだ。


 何もない空間に一人。普通に考えるならここは夢の中だろう。仮に夢だとしても何もないのは不可解なことだが、現実的に考えるならそれくらいしか考えられないほど不思議な事態だった。


「ああ……でもやっぱり、夢じゃない」


 だがそんな一般論とは裏腹に、俺にはこれが夢などではないという絶対的な自信があった。


 単純な話、ここで目を覚ます直前に眠りについた覚えがなかったこと。


 そしてなにより、まだ記憶に新しい自分の死の記憶――それが俺の考えを裏付けていた。


 俺は死んだ。死んだはずだ。では今ここにいる俺は一体なんだ。ここが死後の世界でもないなら説明がつかないではないか。


 疑問だらけが湧いてくる。一つ息を吐いて、思考を整理する。だがここが死後の世界、即ち天国だとしても、今の俺にできることなどなにもない。


 死んだという割に身体に問題は見られなかったが、俺を取り巻くこの世界ははっきり言って異常だらけだ。

 地面がないから立っているという感覚もなく、純白に満たされた空間からは温度も感じられない。その上、ここには空気もないのか先ほどから俺が発している言葉も己の耳にすら届かない。


 こんな状況で一体何をすればいいのか。無力感から来る苛立ちが俺を苛む。


「なあ、神でも何でもいい……ここが天国だというなら、もっと相応しいものを用意しろよ!」


 柄にもなく神に縋る俺。だが、こんなのはあんまりだろう。聞いていた天国のイメージとあまりにかけ離れている。


 しかし、堪らず叫んだ叫びも音のないこの世界では意味をなさない。代り映えのしない無が場を支配するだけだった。


 いよいよ俺は肩を落としたが――


「……!?」


 突如、つまらない白塗りに染みのような黒点が生じた。その黒点は徐々に範囲を拡大し、この広い世界を俺の視界ごと黒く染め上げる。


 あまりの勢いに自分が飲み込まれてしまうような錯覚を覚え、俺は反射的に目を瞑った。





 驚くべきごとに、再び俺が目を開けると先ほどのだだっ広い空間は嘘みたいに消えていた。


 否、消えていた、というのは語弊があるだろう。視界に広がる光景に俺は思わず息を呑んだ。先ほどの殺風景とは何もかにも異なっているのだ。


 まず、床がある。床に足をつけている感覚が確かにあった。また壁や天井もしっかりとあることから、どうやら建物の中にいるみたいだ。

 次いで、音だ。前までは聞こえなかった音が聞こえる。しかもただの音ではない。人の声のように聞こえるが、ここからではその内容までは聞き取れなかった。


 しかし、こうして何かの建物の中にいて、近くに人がいるかもしれない事実に、俺はこの上ない安心感を覚えた。

 その音の出どころは俺の正面方向で、そちらは開けた場所になっているようだ。ここでようやく、俺は今通路に立っているのだと気づいた。


「なんでこんなとこにいるんだ……?」


 当然のことだが疑問が生じる。建物にいるのなら入口から入ってきたはずだが、そんな記憶は一切なく中途半端な通路に立ち尽くしていた。

 それに俺は最初にいた場所から一歩も動いてない。そもそも動けなかったのだから当たり前だが、ならば何故こんな場所に――


「これが天国だというのか……? はあ、まあいい。ひとまずあっちに行ってみるか……」


 いくら考えても答えは見つからない。ならば、この状況の変化を利用するまでだ。俺は音が聞こえる方向へと歩き出した。


 通路に沿って移動すると、やはり開けた場所へ出た。俺の想像を遥かに超える広々とした空間だったが、そんなことはもはや大した問題ではなかった。


「なんだ、これ……?」


 人がいるかもしれない、確かにそう願ってはいたが。


「多すぎるだろ、なにかのパーティか?」


 数人どころの話ではなかった。数十、もしかすると数百の人間が何列にも別れて並んでいた。一見奇妙に思える光景だが、その人間の列の奥には長テーブルがあり、それを隔てて何人かの人が横並びに座っていた。どうやらここでは何かの受付を行っており、ここにいる人はそれを待っているようだった。


「いや、なんかよく見たら……列の一つに並んでいるの、なんだあれ。犬? 猫? 何で動物が並んでるんだよ」


 大半の列には人間が並んでいたのだが、どういうわけか幾つかの列には動物が並んでいたのだ。それが行儀よくお座りして並んでいるものだから何とも滑稽だった。


「……意味わからねえ。何してんだ、こいつら――」


「おや、またお客様かしら? こんなところでお立ちになってどうかしましたかー?」


「は……?」


 急展開に次ぐ急展開に若干眩暈を覚えていた俺だったが、突然声をかけられたことで我に返った。まさか死んだと思っていたのに人に話しかけられることがあるとは、俺は謎の感慨にふけりつつ声のした方を振り返った。


 声の主は白衣に身を包んだ金髪の女性だった。かなり美人なうえに、彼女の来ている白衣が中々際どいものなので、目のやり場に困ってしまう。

 あまり女性に免疫がない俺は一瞬答えに窮する。


 落ち着け、とりあえず顔と身体から視線を外して、あの羽でも見て心を静め――


「え……? は、羽……?」


 信じられない光景に、俺は思わず何回も瞬きしてしまった。そしてそれからもう一度目を凝らして確認する。


 ああ、羽だ。紛うことなき羽であった。なんと女性の背中からは本当に白い羽が生えていたのだ。


 どうみても人間の姿には似つかわしくない柔らかそうなそれは、俺の思考を完全に停止させた。


「わー! 大丈夫ですか! ごめんなさい、脅かせてしまいましたよね……」


 気が付けば俺はその場にへたり込んでいたようで、慌てた様子で女性が俺のもとに駆け寄ってくる。

 心配したようで俺を覗き込み、手を差し伸べてくれる白衣の女性。困った表情も非常に可愛らしい。

 ああ、ここが天国だというなら、彼女はまさに俺という迷える魂を救う――


「天使だ……」


 思わず口から零れた言葉に、女性は目を丸くする。


「え? なーんだ、ちゃんと分かっているんじゃないですかー! もう、驚かせないでくださいよー」


「……なんて?」


 意味が分からない。分かっているとは、何が分かっているということなのか。

 探るように視線を彷徨わせる。すると女性の頭上で何かきらきらとしたものが浮かんでいるのに気づく。


 その光は非常に弱く、輪郭も曖昧だった。故にこれ程接近してようやく気付いたのだ。


 その綺麗な輝きに俺は心を奪われ、無意識に目を凝らした。


 まるで霞のような存在感のなさだったが、それは確かに女性の頭上にあり、どうやら環状を形成しているらしい。


 環状、俗っぽい言い方をするなら輪っか。



 白衣、羽、輝く輪っか――それはまるで絵に描いたような天使の姿だった。そんな空想上の概念だったものが、いまこうして俺に手を差し伸べている。


 俺の頭がおかしくなったのか疑ってしまう。だってそうだろう。気が付いたら何もない見知らぬ場所で、人に会ったと思ったらそれが天使でした、なんてどうかしてる。

 それともここは本当に天国なのだろうか。


 思考をしようにも脳内の処理が追い付かない。ただ、唯一分かったことがあるとすれば。


「天使の輪っか……意外と薄いんかい……」


 この訳の分からない場所で、俺の意識は再び途切れた。




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