6話「託された願いと永遠の魂」

 言った。遂に言ってやった。審判も転生もこれ以上は必要ないと、俺は力強い眼差しでアウラを見つめる。

 思い出すのに随分と時間が掛かったが、ようやく俺の為すべきことが見つかったのだ。それを自覚した今、もはやこんな世界に用はない。


 それなのに、対するアウラの表情は浮かないものだった。勝手に人の過去に押し入っておいて、いまさら憐憫を向けられるのは違うだろう。俺は怒りを抑えるのに必死だった。


「帰りたい、か……シュウヤのその気持ちは痛いほど分かる。わしも見てきたからな、主の人生を、父の願いを、母の覚悟を」


 そう言ってアウラは俺の向かい側の椅子に腰掛けて、手元の書類からある一枚を取り出す。あれは追憶の旅の前にも見ていた――そう、俺の情報について書かれた資料だ。


「天界に集められた魂の記憶は、こうして自動的に紙に記される……この世界におけるルールの一つであり、おかげでわしたち神の役目も保たれる」


「は、何言って……」


「今回は珍しく、主の記憶に直接干渉してみたが、主はつくづく良い青年じゃったらしい。母を気遣い、勉学に励み、主の世界における大学――それもかなり合格するのが難しい場所に入学する予定だったそうじゃな」


「……っ、だから」


「少しぶっきらぼうな部分はあるようじゃが、他者には温かく接し、常に自らを戒める。その齢にして、全く大したものじゃ。主のような善い存在ならば……転生について自由に決定する権利をやらんでも――」


「だから! 言うことを聞けって!」


 俺の意に添わぬことばかり並び立てるアウラに、俺は机を叩きつけるように詰め寄った。腕を下ろした衝撃で何枚か紙が吹き飛んでしまったが、もはや気にしてはいられない。


「転生の話はもうやめだって言ったろ! 帰らなくちゃいけないって……! そうしないと、俺は……! 母さんを一人にさせてしまう! 父さんの望みを裏切ってしまう! それだけは……許されないんだよ……!」


「…………」


「なあ、あんたは神なんだろ!? 絶対的な存在で、俺たちを導いてくれる偉大な存在なんだろう!? だったら、だったらさあ! 俺を、帰してくれよ……俺にもう一度だけ、母さんと父さんに報いる機会をくれよ……こんなはずじゃなかったんだ……死にたくて死んだわけじゃなかった……! それ以外、俺は望まないからさぁ……!」


 気付けば両の眼からは涙が流れており、上体を支える腕の力も入らなくなっていた。

 そうして机に伏した俺は、生まれて初めて心から神に願っていた。


 父さんが死んだと知ったあの日から、先立たれた母さんに立派になった俺を示そうと誓ったあの日から、神など存在しないと思っていたのに。天国だの転生だの、都合の良い虚構だと思っていたのに。

 そんな神に願う今の自分の情けなさと、死を招いた自身の軽率な行動に、俺はかつてないほど泣き崩れていた。


 そんな憐れな男に、相対する神は――


「……それは、できぬ」


 無慈悲な宣告をした。


 こんなにも頼んでいるというのに断るというのか。俺は信じられない心地で机に伏していた顔をあげ、アウラの方を見やった。


「……なんで、あんたが泣いてるんだよ……」


 俺が指摘して初めて自分の状態に気付いたようで、アウラの瞳が大きく見開かれた。

 俺の頼みを断ったのはそちらの方なのに。俺をこんなにも惨めにしたのは他ならぬ彼女だというのに。


「……あんたの涙なんかいらない……それより、俺の望みを叶えると約束しろ」


「……そうしてやれたら、わしもこんな思いをせずに済むのじゃがな」


「あ……?」


「わしだって心無い神ではない。母を置いて、自分の為すべきことを為せぬまま、命を失ってしまった主の切実な思いを思うとやるせなくなる。じゃがな、シュウヤ……できぬものはできぬのじゃ……! この天界では死者に新たな生を、許される限りではあるが希望通りの生を与えることができる! しかしそれでも……失った命を戻すことはできないのじゃ! 主が過ごしたあの時間、あの日々は……もう二度と、元には戻らない……!」


 一息に捲し立てたアウラの肩は震えており、彼女は決して意地悪で俺の頼みを切り捨てたわけではなく、先ほどの言葉も本心から生じたのだと嫌でも伝わってくる。

 そして俺の望みが叶えられない理由も真実であることも。

 直感的に確信できてしまうほど、アウラの心は真っ直ぐだった。


「……ふざけんな」


 簡単に納得はできない。かといってこれ以上アウラに当たるのも意味をなさないと知れた。

 結局俺は一つ愚痴を零し、机に突っ伏して流れ出る涙を堪えることしかできなかった。


 俺の嗚咽に交じって、やがて前方からもすすり泣く音がなり始める。どうやらアウラによるもののようだった。

 お互いがお互いの嗚咽に触発されるように、次第に俺たちの泣き声は大きくなっていき、室内を満たす悲しみはしばらく晴れることがなかった。





「……悪いな。急に取り乱して」


「……わしの方こそ、すまぬ。神たるもの、常に堂々と構えなければならぬというのに……不甲斐ない……」


 お互いみっともなく泣き、赤く腫らした眼を気まずそうに隠す。俺の方はといえば、神様とはいえこんな幼女の目の前で涙を流したのが恥ずかしかったのだが、アウラも顔を合わせ辛いのは同じようだった。


「わしがもう少し経験豊富な神だったならば、主の気持ちに寄り添えたのじゃろうが……これが初めての審判じゃったから、うまくいかんかった……シュウヤ、すまぬ……」


「無理に慰めなくていいって……俺だって本当は分かってたんだ、願いが叶わないことくらい。それでも諦めきれなくて、認めなくなかった……」


 悲しみは幾分か癒えたが、それでも俺の心が晴れることはなかった。むしろ、取り返しのつかない死に対する絶望が胸中を支配していた。


「あのさ……」


「……なんじゃ?」


「もし、死んだ魂が転生という道を選ばなかった時、そいつはどうなるんだ?」


 元いた世界に戻れないのは分かった。だが、このまま「よし、じゃあ転生しよう」という気分になれるはずもなく、俺の思考は自然にネガティヴな方へと引っ張られてゆく。


「……転生の道から外れることは、永遠の死を意味する。当然じゃがほとんどの魂は新たな世界へと旅発ってゆくのじゃが、例外としてあまりに悪しき心を持った魂は転生することも許されず、魂の輪廻から弾きだされることもあるのじゃ」


「それって、凶悪な犯罪者とか?」


「まあ、そうじゃが……それでも滅多にないことじゃ。わしたちの判断でその魂の命運が左右されるのじゃから、当然といえば当然じゃがの」


 明確な基準は濁されたが、少なくとも全ての魂が同じ道を辿るということではないらしい。その事実を認識し、俺は暗い笑みを抑えることができなかった。


「シュウヤ、まさか……良からぬことを考えてはいまいな?」


「何の話だ」


「惚けおって。主の考えてることなどもはやお見通しじゃ。じゃが残念、主の思うようにはならぬぞ。その判断にはわしを含んだ多くの神が関わるからの、どう見積もっても主が消滅する未来はない」


「……別に、そこまでは言ってないだろ」


 口では否定するが、内心は面白くなかった。言い当てられてしまったこともそうだが、悉く俺の思い通りにいかない現実に腹が立ったのだ。

 まあ、俺が凶悪な犯罪者だと見做すのには大分無理があるのも確かなことであるが。


「けど、無理なんだ。前の世界のことを忘れて俺だけ新しい世界でお気楽に生きるなんて。母さんは一人ぼっちだし、父さんが俺の名前に込めた願いは、俺自身が裏切ってしまって――」


「……質問があるのじゃが」


「なんだよ」


「主が命を落とした時の事じゃ。仮にもし、主があの瞬間に戻ったとして……主はその時、あの少女は助けるのか? それとも見殺しにするのか?」


「は……? どういう意味だよ」


 急な質問に首を傾げる。アウラの質問の意図がいまいち読み取れない。しかし、当の本人は俺のその問いには反応せず、黙して俺が答えるのを待つのみだった。


「助けたら、もちろん死ぬ……だから、助けない? いや、それじゃあおかしい……だって、そこで助けないということは……」


「……確か柊の花言葉には『保護』というのがあったの。主の父が込めた願いというのは、主が死ぬ瞬間まで主の中に息づいていたということじゃ」


 アウラのその言葉に思わず息を呑む。確かに俺のあの行動は、見方によれば父さんの願いを体現しているともいえる。

 しかし、それでも詭弁のように思えた。


「でも、父さんも……もちろん母さんも、自己犠牲なんか望んじゃいなかったはずだ。それで命を落とす羽目になるくらいなら、やっぱり――」


「全く、主はつくづく優しいの。痛い思いをしたのは主であるというのにな……じゃが、主の母の言葉をもう一度思い出してみよ」


「母さんの……?」


 未だ引き下がらない俺に、アウラは諭すような口調で続ける。先ほどの汚名を返上しようという魂胆か、はたまた本気で俺に心を尽くしているというのか。

 答えは出ないが、ひとまず言われたとおりに母さんのことを思い浮かべてみる。


 父さんが死んで悲しみに暮れていたあの顔。その穴を埋めるように身を粉にしてパートで働いていたこと。

 それから中学時代、俺が働くと提案したときに掛けてくれた言葉。


「あの母親は主の優しさに喜びながらも。父のために主が不自由になることを嫌っておったな。シュウヤ、両親に悔いて今ここで消えてしまったとしたら、それと同じことではないか? 主も分かっているじゃろう? その主の心遣いだけで、親である彼女は十分に満たされておったのだ。ほれ、そう考えれば、主は最初から最後まで……彼らの柊夜だったのじゃよ」


「……俺が、そうなのか……?」


 枯れたはずの涙が、再度俺の目に滲むのを感じた。

 本当に俺は最後まで彼らの柊夜だったのだろうか。俺は最後まで彼らの柊夜だったと認めてもいいのだろうか。


「それに、今更じゃが……主の両親はたくさんの人たちを守れる、聡く優しい子になってほしいと望んでおったのじゃろう? ならば、こんなところで終わっていいわけなかろう!? 死んでしまった主がこれ以上両親に報いたいという気持ちがあるのならば、前に進むしかない。たとえ転生して異なる生命に生まれ変わったとしても、神園柊夜の魂が消えることはないのじゃから……!」


「…………!」


 力強く俺を励ますその言葉。聞こえのいい楽観的なものではない。俺と過去を共有したアウラだからこそ言える、説得力に溢れた激励。


 そうだ。そうだった。俺は逃げていた。気づいたときには取り返しのつかないところまで来てしまっていて。衝動的な行動で母さんを傷つけてしまったのではないのかと恐れて。名前を付けてくれた父さんを蔑ろにしてしまったのだと感じて。


 よしんばそうであったとしても、もう既に挽回のしようはなく、真実を確かめることもできないのに。

 俺はそれが絶対的なものだと決めつけ、意味のない贖罪への道を愚かにも歩もうとしていたのだ。


 憑き物が落ちたような感覚に、俺は肩を落として椅子に深く腰掛けた。それから久方ぶりの笑顔でもってアウラを見据える。


「……本当にその通りだ、アウラ」


「……! 柊夜――」


 もう、これ以上の審判も問答も必要ない。俺の為すべきことはとうに決まっているのだから。


「異世界転生、ね……せいぜい良いところを紹介してくれよ? 担当神様さん」


 そうして俺は、新たな望みを口にした。父さんと母さんが願ってくれた、神園柊夜であり続けるために。




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