エピローグ「終わりと始まり」

「……こんなものかの。以上で転生についての説明は終わりじゃ」


 何十分、はたまた何時間か。審判に区切りを付けるアウラの声を耳にして、ふと過ぎ去った時間について注意が向く。

 真意を打ち明けた俺は転生する道を選び、今に至るまでアウラと具体的な条件について話し合っていたのだが、これが想定していた以上に骨が折れ、身体もすっかり疲弊してしまったのだから仕方あるまい。


 長時間座り続けて凝り固まった全身を自覚し、いよいよ俺は目の前にある書斎机に上体を預けた。


「くぁ……話長すぎだろ……」


「やれやれ、だらしがないの。時間がかかったのは主が転生を躊躇したからでもあるのじゃぞ?」


「それについては悪かったって……」


 ただでさえ消耗しているというのに、アウラは意地悪くこちらを責め立てる。ばつが悪そうに返す俺に、アウラは鈴を転がすような声で笑った。


「はは、すまぬな……しかし、実際に転生についての話は興味深そうに聞いておって、少し安心したぞ」


 それからまるで子を見る母親のような優しい目で俺に語りかけてくるアウラ。幼い少女の姿の彼女にそんな顔をされると、内心複雑なものが込み上げてくるが、それはひとまず捨て置こう。


「まあ、実際面白かったのは確かだ」


 行儀よく椅子に座り直し首肯する。そして先ほどまで語られた諸々の情報を振り返ってみるが、本当にどれも好奇心がそそられる内容であった。


 まず転生するならどんな世界がいいか、という問い。科学技術が発展し、高度な文明や機械知性が存在する言わば近未来的な世界。逆に栄えすぎた文明によって荒廃してしまった世界。それとは打って変わった、剣と魔法が主流のファンタジー世界などが主な候補だった。

 特にファンタジー世界は、俺がかつて前の世界で触れていたゲームや小説などで舞台とされるような世界をそのまま写したようなものもあり、とても驚いたのを覚えている。


 どんな世界がいいかを述べたら、次はその世界における自分の身分や容姿、資質についての話だ。前世の行いに左右されるものの、富豪の家の子供として生まれることや、類まれなる才能をもって生まれることができるなど、ある程度自由に選べてしまうのだから、驚愕を通り越して少し不気味にも思った。

 もしも俺がいた世界でも似たように転生してきた者がいて、自分の選んだ通りに何の不自由もなく育った者がいると考えると、何だかずるいようにも感じられたからだ。

 アウラ曰く、そんな風に転生するには余程前世で徳を積まないとできないのだから、ずるでもなんでもないとのことらしいが。


 この二つだけでも相当だが、中でも俺が驚いたのが記憶に関することだった。簡単に言ってしまうと、魂が次の世界に転生した際に前世までの記憶をある程度引き継げるということらしい。

 正直、この記憶の引継ぎに関しては反則だとすら思う。記憶を引き継いで新たな人生を始めるなんて、使いようによってはその世界で英雄と崇め奉られる存在になることすら可能かもしれないだろう。

 例えば学者になりたい者が知識を引き継いだまま、もう一度教育を受けるとするなら。例えば治水の技術もままならないほどの文明の世界に現代技術に関する知識を持つ人間が転生したら。十中八九、その人間はうまくいくだろう。記憶に関しても例によってどれだけ引き継げるかは個人差があるが、前世の記憶を持たない人間と比べ圧倒的に有利なのは間違いない。


「記憶を持ちこせるなんて、やっぱりチートだな」


「む、そのちーととやらに一番惹かれていたくせに」


 いつの間にか声に出ていたのか、アウラから突っ込みが入る。とはいえ、このことが最も魅力的なことには変わらないし、俺の目的を果たすには記憶を保つことは必要不可欠だった。


「それにしても、本当に良いのか?」


「ん、何が」


「柊夜、主の転生条件についてじゃ。気持ちは分からないでもないが、もう少し待遇をよくすることもできるのじゃぞ? 危険な魔物が行き交う世界で、大した身分でもない。引き継ぐ記憶は転生先で役に立つ知識ではなく、家族との思い出のみ。あまり転生の恩恵を受けてないと思うのじゃが……」


「そんなことない――世界を救う勇者なんて、こんな機会でもなきゃなれないだろ?」


 そう、俺が選んだ世界。それは魔王とその配下たる魔物が跋扈し、その脅威に怯える人間たちが暮らす世界。魔法やら呪文やらがある、ゲームならばよくある設定だろう。

 その世界では、魔王を打ち倒さんとする勇者の到来を今か今かと待ちわびているらしい。ならばそこで俺はその世界に転生し、勇者を目指すことに決めたのだ。

 ただし、その過程において転生時の恩恵を受けるつもりは一切ない。ただあるべきなのは、かつて親に託された願いだけ。


「アウラ、俺はさ……楽して暮らしたいだけでも、ただ幸せを享受したいだけでもないんだ。確かに母さんたちへの未練は完全に固執することはよくないが、それでも俺は神園柊夜であることを捨てたくない。そのためには忘れちゃいけないものがあるから、だから――」


「……主の気持ちは分かっておる、野暮なことを聞いたな。己が手で他者を守る、そのためには行き過ぎた力は枷になるやもしれん。ただ願いを胸に進まんとする主の決断は正しい、ならばわしは主の前途を祝福するのみじゃ」


「アウラ……ありがとう」


 両手を胸の前に組み微笑むアウラ。神聖さを感じさせる所作に麗しき容貌に思わず――


「まるで女神だな」


「じゃから! 正真正銘の神と言うておろう!」


 照れ隠しで放ったその言葉を真に受け顔を赤くして怒るその姿に、堪らず噴き出してしまう。

 向けられる反応が可笑しくて、かけられる言葉は温かい。この世界に漂流して以来ここまで楽しい気分になったのは初めてのことだった。

 そうしてしばらく心地よい高揚感に身を任せていたのだったが、こちらを見るアウラの笑顔を目の当たりにして、不意に胸が詰まるような感覚が生じた。


「柊夜……? ど、どうしたのじゃ!?」


「え、どうって……?」


「――随分と悲しそうな顔をしておるぞ」


 突然態度が変容した俺を訝しんだのだろう、アウラは心配そうにこちらの表情を窺う。

 しかし、それに返答することはかなわない。俺の頭の中にはアウラから発せられたある言葉が巡っていた。


 悲しい。そうか。悲しいのか、俺は。アウラの指摘を受けて初めてその正体に気づく。

 恐らくそう思うのはきっと、新たな世界へ旅立つときが近づいているから、この時間が終わりを告げようとしているからだろう。

 今更になってその事実を認識し、先ほどまで固めていた決意がだんだんと鈍っていってしまう気がした。


「……急に悪い。いざ本当に進むとなると、少し……な」


「……柊夜」


 もう間もないうちに、俺は別の存在へと生まれ変わる。もう二度と、純粋な神園柊夜としてこの場に帰ることはできない。

 何度転生しようが本当の意味で命というのは不可逆なものだと、あの過去の幻影を見て思い知ったところなのだ。別れを惜しむ気持ちに足を止めてしまうのは無理のないことだろう。


 だが、いつまでもそうしているわけにはいかないのも事実。俺は誓ったのだ。今度こそ彼らが願ってくれたような存在になろうと。彼らの代わりではないが、誰かのために尽くすことができる、そんな存在になろうと。


 大きく深呼吸し、重い腰を上げながら立ち上がる。


「俺はもう大丈夫だ、アウラ……と言っても、この後どうすればいいのか聞いてなかったな」


「……そうじゃったな。じゃがそう難しいことはないぞ? 主の後ろにある扉、そこをくぐれば直に眠りにつく前のように意識が朦朧となってくる。あとはその欲求に従っていれば、いつの間にか転生は完了しているはずじゃ」


「眠るように、ね……っていうか扉をくぐったらそうなるってこの建物もどうなってるんだ? あんたたちが実際どういう存在なのかもよく分からないままだしな」


「それについては規則じゃからな、今はまだ教えられん。それより柊夜よ――」


 アウラは俺に倣うように立ち上がると、間に鎮座する机を迂回して俺の傍まで寄ってきた。

 この期に及んでどうしたのだろうと俺が身構えていると、彼女は薄い胸を反らしながら答えた。


「なに、主がまだくよくよとしているからの。担当神として最後に喝を入れてやらねばと思ってな」


 今回は得意げに語るアウラをからかうことはしない。黙して彼女に相対する。

 小柄な体躯に淡い空色の髪はとても儚げだ。頼りない容姿だと侮っていたが、今俺の双眸に映る彼女はもはやそうではなかった。


「――よいか。認めがたい過去も、別れも、どう足掻いても取り消すことはできぬ。神であるわし達の力を以てしてもじゃ。この先、転生を重ねるごとに何度もそんな経験が訪れる。一見、転生とは魅力的で気楽なもののように思える……しかし実際のところ、それが残酷な真実を突きつけてしまうこともある」


 それは俺がこの世界を通じ、身に染みて理解したことでもある。命を落とし、この天界に漂流し、自分が新たな命に転生できると告げられた。

 人の一生に限りがあることを考えると、何度も人生を始められるというのはある種理想的で、幸福なことだと思える。

 だが、実際そんな立場に立たされてみて、それが如何に愚かな幻想だったのかを突きつけられた。


 当然、大抵の人間は自らの人生を懸命に生きている。自分自身のため、家族のため、恋人のため、友人のため、或いはそこまで深い関係ではない者のために。

 最後まで彼らのために生きることができたのならまだいい。ところが俺のように道半ばで死を遂げた者からすると、途中で己の人生から弾き出されることは実に悲痛だ。

 大切なものと最後まで向き合えないまま人生を終える。そんな不完全燃焼感に苛まれながら、次の人生のことなど容易に考えられるものではないだろう。


 かつての俺のように残してきたものへの罪悪感や、取り返しのつかないことになったという絶望に呑まれ、生きることから逃げてしまうかもしれない。

 だが、それでも――


「たとえそうだとしても、決して前に進むことを諦めてはならぬ。冷酷な生命の摂理に挫けてはならぬ。前世のことを偲ぶ気持ちがあるのならば、歩みを止めてはならぬ。何故なら過去の記憶は消えることはないのじゃから。魂は全て憶えているのじゃから」


「――そうだったな。アウラのその言葉も、俺は忘れることはない。全部俺の一部になって、続いていく……」


 彼女の言葉は不思議な説得力に満ちており、俺の胸にしかと響いた。ひょっとすると、彼女にも似たような経験があったのかもしれない。だからこそ、彼女からの激励を受けこんなにも胸が温かくなり、全身に力が湧いてくるのだろう。

 俺の瞳に活力が漲ったのが分かったのだろう、アウラは相好を崩すと勢いよく俺の背を叩いた。


「ほれ、分かったのならさっさと進むのじゃ! わしだって主にばかりかまけている時間はないのじゃからな!」


「……ふっ、なんだそれ。まったく可愛くないな。新米なんだから偉ぶるよりも、これからはもっと愛想よく接したほうがいいんじゃないか?」


 軽口を叩き合い入口の前まで移動する。口ではそう言いつつも、アウラもまた俺は見送ってくれるのか後からついてきた。


 扉の取っ手に手をかける。ここをくぐれば、それきりだ。


「じゃあ、俺はもう行くよ……本当に世話なった」


「ああ、達者でな。ほぼ特典なしでいくのじゃ、また志半ばで死んでしまうなんてことにはならないようにな」


「言われなくても分かってるって……」


 扉を開けると、その先には真っ暗な殺風景な空間が広がっていた。ここは建物内のはずだが、まるでこの部屋以外の空間が切り取られているように感じられた。

 俺が死んで再び目覚めた際の空間に似ているそれは、きっと神の魔法によるものなのだろう。ここを踏み越えれば、アウラの言ったように俺の魂は生まれ変わるのだろう。

 恐る恐る片足を闇に踏み入れる。不思議なことだが確かに地を踏みしめる感覚があった。安全なことを確認し、もう片方の足でも同様に跨ぎ、ついに俺の全身は不気味な暗闇へと包まれる。振り返れば、直前までいた部屋がやけに明るく感じられた。


「この扉を完全に閉じれば、この部屋とその空間の繋がりが完全に遮断され、直に主の意識も朦朧となる。準備はよいな?」


「ああ……そうだ、最後に一つ」


「……何じゃ」


「また世話になるときが来るかもしれないから……だからお前も、その時まで俺のこと、絶対に忘れるなよ」


「……! ああ……! 柊夜、主の顔も、声も、願いも……全て憶えているからな……!」


 そう答えるアウラの瞳には何やら煌めくものが浮かんでいた。全く、最後まで神というには些か人間臭すぎる女だった。

 扉が完全に閉まり、そんな彼女の姿も視界から消え失せる。するとそれまでは全く感じなかった眠気が、俺の意識を支配していった。


「……半分信じてなかったけど、凄いな、これは……」


 そんな呟きも聞こえなくなり、頭の中が霧に満たされたようになって思考が働かなくなる。やがて自分が立っているのかすら曖昧になっていき、身を覆う闇に溶けて行ってしまうような錯覚を覚えた。

 尋常じゃない出来事、自らの存在が消えかかっているという状況にもかかわらず、どこか冷静な自分がいた。


(冷静というか……感情すら鈍化していってるのか……)


 自分から生じたはずの声も聞こえない始末。いや、本当は声に出ていなかったのかもしれない。五感が失われつつある今となっては、どちらが正しいのか分からないが。

 だが、今の俺にはどれも些細なことだった。


(父さん、母さん、それにアウラ……彼らが俺に向けてくれた想いは、今なお俺の胸にあるから)


 それを失わない限り、俺は俺だ。何度繰り返しても。たとえ別の命になっても。唯一無二のそれは俺の中で積み重なっていくから。


(ああ……もう、限界、だ……)


 眠気が最高潮に達し、意識を絶てと迫っているようだった。その衝動にこれ以上抗うこともできず、俺はついに瞼を閉じる。


 神園柊夜としての生は、これにて本当に終幕だ。次の生に幸多かれと祈りながら、俺は永い眠りについたのだった。






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