3話「神の審判と爆弾発言 前編」

「……すまん、もう一回言ってくれ」


 今この女は何といった? どうしよもなく聞き捨てならないことを口にしていた気がするのだが。

 俺は慌てて彼女に聞き返す。別に聞き逃したわけではない、ただ与えられた情報を処理する時間が欲しかったのだ。


「じゃから、わしの名はアウラじゃ、天界に住んでおる。そして主の世界でいうところの神のような存在である。そして主の異世界転生を助ける任にある、二度も言わすな!」


 その美しく整った顔を歪ませながらもアウラは再度説明を繰り返す。もちろんその説明の内容はさっき聞いたものと同じである。


 それに対する理解度の低さも等しく同じではあったが。


 それも当然だろう。天界? 神? 異世界転生? そんなフィクションワードを連発されたところで、現実を生きてきた俺にとってそう易々と「はい、そうなんですね」と受け入れられるはずもない。


 二度聞いたとしてもすぐには呑み込めないほど突飛な内容。こんなのを信じろという方が無茶だと思うが、そう言うアウラの表情は至って真面目であり、それを見ているとむしろ俺の方が間違っているのかとすら思ってしまう。


「……むう、その困惑した顔……いかにも信用していないと見える。じゃが、主も本当は分かっているのであろう? ここは主がいた世界ではないと」


 俺が訝しんでいることなど意に介さず、アウラは諭すような口調で尋ねてくる。その真剣な態度からはこちらを煙に巻こうという意図は感じられない。俺はその言葉のままに、この世界について思案を巡らせた。


 先ほど目覚めた時も思ったが、確かにこの場所は俺のいた世界に比べて非現実的すぎる。

 この目の前にいるアウラも。最初の何もない空間も。大広間の事も。普通ならあり得ない。だがここが天界だとするなら、多少は納得できる部分もあるのはその通りであった。


 なら、俺が今するべきなのは、このアウラを疑うことではない。


「……そうだな。あんたの言う通りだ。でも、具体的に俺がどうしてここにいるか、ここはなんなのかさっぱりだ……説明してくれると助かるんだが」


「もちろん、最初からそのつもりじゃ。何せわしは主の担当じゃからな! ほれ、そうと決まればそこな椅子に腰をかけよ」


 俺の返事に満足そうに頷くと、アウラは書類塗れな机の傍にある椅子を勧めた。それから自身も俺に宛がわれたものと対面にある椅子に腰掛けると、目の前の書類を物色し始めた。


「えー……どれじゃったかの。むう、これは違う……」


 どうやらその書類の中の一つが必要であるらしいが、あまりに乱雑に置かれていたため探し出すのに手間取っている様子だった。


「ここはあんたの部屋じゃないのか? 掃除くらいまめにした方が――」


「う、うるさいわ! わしだって人間を担当するのは初めての事じゃから……これくらいの過ちは仕方ないじゃろ?」


 その言葉から察するに、アウラはこの天界の中でも新米らしい。鷹揚な態度からは想像できないものであり、俺は内心驚いた。


 そんな俺の指摘に頬を赤くして憤る様はなんとも可愛らしかったが、この先のことを思うと少し不安にもなる。


 そうこう考えているうちに目当てのものを探し出したらしく、アウラは勿体ぶるように一つ咳払いをしてから語りだした。


「順を追って話すとするかの。まずはこの場所についてじゃが、ここは死した魂が最後に訪れる終焉の地――主が分かりやすいように言うと天国じゃな」


「……そうか、やっぱり天国なのか」


「意外と冷静じゃな……」


 冷静、というより鈍感といった方が正しいだろう。


 天国なんてものがあるとは信じていなかったから、今一つ現実感がないのもこの落ち着きっぷりに関係しているかもしれない。


「死んだばかりの魂はこの天界の外を彷徨っているのじゃが、直にここに召喚されることになっておる。そして、その魂はここで神々による審判を受けることになるのじゃ」


「審判だと」


「それについては後に詳しく説明するが、簡単にいうと今わしと主とが行っている会話のようなものじゃ。一人の魂に一人の神が就く。主が見たという大広間での光景は、まさに魂と神を引き合わせる手続きを行っていたのじゃよ」


 あの大広間の行列にはそういうからくりがあったのか。つまりあの人間やらその他動物やらは全員死んでからここに集められ、そしてここで神の審判を受けるということなのだろう。


 アウラは俺が情報を咀嚼する時間を保つよう、時折話を止めて俺に委ねてくれていた。おかげで現実離れした話ではあるが何とか呑み込めそうだった。


「なら、あそこにいた金髪の女性は? 羽やら輪っかやら付いていたし、人間ではないんだろう」


 俺が天界で初めて相対した女性。まるで天使のような特徴を有していた彼女だったが、一体何者だったのだろうか。

 興味のままそう尋ねてみたのだが、対するアウラはどういうわけかその顔を青くしていた。


「わ、わわ、輪っかじゃと! ぬ、主よ、まさかそれを見たのか……!?」


 ものすごい剣幕に俺は堪らず上体を退いた。何かおかしなことでも言ったのだろうか。俺が途方に暮れているとアウラは慌てて続けた。


「いや、すまん! 少し取り乱した……はあ、ルーチェよ……あの娘も災難じゃな……と、そうではない。主よ、主の仮説通り彼女は人間ではなく天使という存在じゃ……そうなのじゃが、主が見たという環については疾く忘れるのだ!」


 こちらに身を乗り出しながら、指を俺の顔の方に突き立ててアウラはそう忠告した。その頬には赤みがさしており、余程慌てているのだと見受けられるが、環を見たぐらいでそこまで動揺することがあるだろうか。


「別に構わないんだが……なんでそこまで慌てているんだ? 輪っかを見るくらい大したことないような――」


「大したことなんじゃ、この馬鹿者ー!!」


 噴火するでもするのではないかと錯覚するほどの怒気だった。可愛らしい見た目をしているとはいえ、そこまで強く迫られると流石に少し驚いてしまう。

 ただそこまで怒りを露わにする必要が分からない。俺はこの世界の理について何も知らないのだから、何か過ちを犯したとしてもある程度は許容されるべきなのではないだろうか。

 俺は反感を込めてアウラに聞き返す。するとそれまで猛威を振るっていたアウラの怒りが瞬く間に収まり、弱々しく視線を彷徨わせ恥ずかしそうにまごついた。


「そ、それは……その……わしらに備わっている環を見られることは、人間で言うと…………アレを見られるのに等しいのじゃ……」


「すまん、アレとは?」


 的を得ない回答に俺が再度聞き返すと、いよいよアウラはその顔を真っ赤にさせた。まるで羞恥心を堪えているかのようなその表情に、俺はとんでもないことを口に言わせようとしているのではないかと不安に駆られる。


 尋常ではない空気に耐えかねて、俺はアウラを制止しようとしたが、それよりも一手早く――


「じゃ、じゃから! 生殖器じゃ! それを見られることと変わらぬと言っておる!!」



 爆弾が投下されてしまった。いや、俺が酷なことを強いてしまったのだ。

 アウラのその叫びによって室内に気まずい雰囲気が流れる。それもそのはずだ、まさかあの環を見られることがそんな意味を持っているとは思わなかった。

 知らずとはいえ、流石に自分のデリカシーのなさに辟易する。こんなことになるならさっさと話題を切り替えるべきだったのだが、いくら嘆いたところで覆水盆に返らずである。


 絶望的な感情が俺の胸中を満たす。言うなればまるで地獄のような――いやここは天国だったか。そんなことはどうでもよいが、とにかく俺は罪悪感で頭がいっぱいだった。

 その内容もさることながら、よりによってこんな幼気な少女に言わせてしまったことが、余計にこの場を凍り付かせ俺の中の罪の意識も煽っていた。


 こんな時、信心深い人ならば神に向かって懺悔でもするのだろうか。生前はその心理も分からなかったが今なら俺にも共感できるかもしれない。

 よし、であるならば俺も――と、思えば俺の目の前で羞恥に身を震わせているその少女こそ、正真正銘の神ではないか。

 何ということだ、俺は神様にとんだ辱めを与えてしまったというのか。

 ああ、これでは救われない。どうしようもなく救いがない。



「……そ、そうか。よくわかったよ、はは、ははは……」


 時間すら止まってしいそうな冷たい空気の中、俺は力なく笑うしかなかった。

 散々心の中で茶番を繰り広げてみたものの、いざ言葉にするとなると当たり障りないことしか口にできない自分の甲斐性のなさを呪いたくなる。


 意気消沈している俺を目にして幾ばくか溜飲が下がったのか、平静を取り戻したアウラは椅子に背をもたれさせると深く息をついた。


「……もうよい。主も知らなかったことなのじゃからこれ以上は責められぬ。じゃが、このことを知った以上、余計な真似は許さぬぞ。わしのものを盗み見ようなど、言語道断じゃからな!」


「……ああ」


 アウラの頭上にある環は、先ほど彼女がこの部屋に来た時に見てしまっていたのだが、それを明言するという愚行は起こさない。

 そんなデリケートな部分ならもう少し隠しようがあるのではないかとも思ったが、もはやそれに関しては俺が言える立場ではなかった。


 口は災いのもとと言うが、本当にその通りだ。これからは余計なことは言わないようにしようと心に誓う。


 そうして一つ学びを得た俺であったが、それとは別に先ほどの天使の環の話を通じて不可解に感じたことがあった。

 否、それ以前にこの世界についてアウラから聞いていたときから、その奇妙な感覚自体は俺の中で燻ぶっていたのだが、今になってその疑問が俺の脳裏をよぎったのだ。


 先ほどの失態もあるため迂闊なことは言えないが、かといって放置することもできなかった。


「なあ、天使の環の話を繰り返して悪いが……やっぱり少しおかしなところがある」


 とはいえ、再びアウラの逆鱗に触れるのだけは避けなければならない。俺は大して賢くもない頭を最大限働かせて言葉を選んだ。


「俺がいた世界では宗教というものがあって、大抵のものは神や天使、天国といった概念を信仰している。天使を例に挙げると、俺らの世界の方の天使は羽と輪っかを備えた人型の存在として描かれているんだが……これってとても奇妙だと思わないか?」


 この世界の天使とほぼ同じ特徴を持った存在が現実世界で信仰の対象になっている。

 それには羽が付いていて、頭上に環が浮かんでおり、人型で、天使という名前で呼ばれている。ここまで一致しているとなると流石に偶然だとは思えなかった。


 あまりにも自然に溶け込んでいたため最初はその不可解さに気づけなかったが、先ほどの天使の環に対する俺とアウラとのギャップがそれに気づかせてくれた。


 そしてこの一致は天使だけに限った話ではない。神と天国についても同様だ。厳密な名前と役割は違うが、この世界の仕組みは現実世界の宗教と酷似している。


 即ちこの天界と俺のいた世界では、どういうわけかいくつか共通の概念が存在しているようだった。そしてそれは何か大きな意味を持っている、俺にはそんな直感があった。


 それまでの話を目を閉じて聞いていたアウラは、俺が言葉を区切るとゆっくりと瞼を開いた。どうやら彼女も俺の質問の真意に気づいたらしい。


「そうじゃな。その一致は単なる偶然の産物ではない……これから説明する予定じゃったが、それには異世界転生が大きく関わっておるのじゃ」


 異世界転生、そういえばそんな話もあった。天使の件が強烈過ぎて記憶から飛んでいたが、その単語もこの世界とここを繋ぐ一つの共通概念である。


 ――いや、それどころの話ではないな。


 その言葉を聞いた瞬間、俺の中で生じた歯車が噛みあったかのような感覚。俺が抱えている疑問を一手に解決してくれる、そんな可能性を感じずにいられなかった。


「さて、異世界転生について話すとなると、いよいよ本格的に神の審判を始めなければならないのじゃが……」


 手元の書類を纏めながらそう前置きするアウラ。どうやらここからが本番であるようで、俺を捉える両眼はかつてないほど険しい。


「ここからは少々、主の理解の範疇を超えるようことが多々あろう。覚悟して聞くのじゃぞ?」


 真剣に問うアウラだったが、俺にとっては今更だった。正直もっと早く言ってほしかった言葉ではある。ここに来るまで気絶するくらい驚かされたこともあったくらいなのだから。


 この先を知ってまた気絶してしまうのは勘弁だが、俺に他の選択肢がないのも事実。


「ああ、構わない。聞かせてくれないか」


 審判はまだ先が長そうだ。椅子に深く座り直した俺はそんな予感と共にアウラを促した。




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