第16話  優しい眠気

郵便馬車は辿り着きます。

中継駅とでもいうべきでしょうか。

それは、ほどほどに大きな村落でした。


なにはともあれ、というべきでしょう。

長旅で疲れていた彼女と使い魔は宿へと落ち着きます。


人心地ついたところで、くうくうなるのがすきっ腹。

途中、簡単な軽食を食べても、育ち盛りのお腹はすくものです。


遅い夕食が、宿の主人の心配りでしょうか。

熱々に温められて、提供されてきます。


さて、問題です。

温かい食事。


お腹いっぱいに食べると、どうなるでしょうか?


答えは、簡単。


温かな寝室に入れば?

うつら、うつら、と彼女の瞳が泳ぎ始めてしまいます。


ふわぁ、とあくび交じりにマスケット銃を立てかけたところで彼女は眼をこすりながら、辛うじて寝間着に着替えるや否や、ベッドへと腰かけます。


「……ねぇ、アフア」


「はい、エルダー・アナスタシア?」


半ば、寝ぼけ眼で。

天窓より室内を優しく照らす月を見上げながら。


ぽつり、ぽつり、と。


「私、知らなかったんだなぁ」


彼女は、使い魔へと語り掛けます。


「瓶詰ポトフこそが世界で最高のごちそうだと思ってたけど、私は間違っていた。訂正するよ」


「それはようございました」


「うん、色々あるんだねぇ……」


そのまま、一人と一匹は無言で天窓越しの月を眺めます。

眺めながら、『私たち』はただただ佇んでおりました。


ふう、と小さき魔女の口元からこぼれるため息。

困ったような笑顔は、『私たち』のそれ。


「エルダー・アナスタシア?」


「ふふふ、ちょっと、ね」


ただ、と彼女は続けます。


「『私たち』にも、食べさせてあげたかったなぁ……」


何気なさを装っての一言。

胸中にあるのは、いかほどでしょうか?


彼女は、知らなかったのです。

『私たち』の多くも、知りません。

どれほど残念なことなのか。


その胸中を知りうるものすら、もはや、さほども残ってはおりません。


「そうですね、先達の『私たち』もそうお考えかと」


「えーと……どういうこと?」


「エルダー・アナスタシア、初期のころの『魔女の夕べ』は全て自作のお料理だったのですが」


「そうなの?」


それも知らなかったなぁ、と零れ落ちるのはため息。


月明かりだけが見守る部屋。


あくびの涙をぬぐうように。

彼女はそっと、小さな手を動かします。


『私たち』の夕べですら、語り継がれないモノガタリ。

風化してしまった、『私たち』。


「魔女の伝承は、箒が折れすぎましたので……」


魔女となった春。

魔女としての夏。

魔女であり続ける秋。

魔女であるが故の冬。


四季折々の色彩豊かな記憶ですらも。

残酷な時の流れには抗えないのです。


けれども、けれども。


それは、理。


常人の、理。


魔女は、魔女の理に生きるのです。

お月様に、寂しさを見つけてもらった時。

『私たち』は、もう、一人ではありませんでした。

なにしろ、『私たち』は、『私たち』なのですから。


「そっかぁ……じゃあ、『私たち』のお料理も覚えないとね」


『私たち』という在り方。

義務よりも濃淡であり。

意思よりも堅固であり。

ありていに言うのであれば……必然でありました。


彼女は、『私たち』なのです。


「また、目標が一つ見つかったね」


はい、と使い魔は静かに頷きます。


「昔のお料理って覚えているの?」


「申し訳ありませんが、魔女と使い魔では味覚が違いまして。多少ならば、分かるのですが……」


「ああ、そうだよね。なおさら、残念だなぁ……」


「一応、いくつかの得意料理は歌にもなっていましたよ?」


「歌?」


「ええ、料理歌です。私は口ずさんでおりませんでしたが、どなたかが本にまとめられた、と聞いたことが」


「ありがと。それも、探さないとね」


あくびを噛み殺し、彼女は満足げにほほ笑みます。


一歩、一歩。


まだまだ、先が長いとしても。

旅路の長さは、誇るべきなのでしょう。

喜びですら、あるのでしょう。


『私たち』のモノガタリ。

彼女と一頭の白い犬が、その足で、憚ることなく歩んでいくのです。


きっと、『私たち』に伝えたい。

そんな、たくさんの土産話ができるでしょう。

色々なお話を持っていけるに違いありません。


おしゃべりの花がさぞ咲くことでしょう。


「やることが一杯だね」


「さようにございますね」


うつら、うつらとしつつ。


いつのまにやら、彼女はベッドへぽすん、と横になっていました。


「楽しみだなぁ……。おやすみ、アフア」


「お休みなさいませ」

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