第15話 『私たち』の安全な食事

結論から申し上げるならば。


偉大な魔女とて、時には試練から逃れられません。


今日、彼女はその定めと向き合わねばなりません。


いうなれば、馬車の試練。


ああ、もう、お察しでしょうか。


紳士淑女と魔女の名誉のために申し上げておきますと、誰が悪かったということのほどでもございません。


ただ、強いて理由を求めるとすれば?


私が思いますに、ただ、ただ、巡り合わせが悪かったのでしょう。


私の見るところ、彼女は、魔女の夕べ以来一睡もせずは歩きとおしで空腹でした。


運よく便乗できたのは、郵便馬車。


馬車の造りは上等ですが、その上等さは堅牢さや『郵便物を運ぶ』ためのもの。


突然のお客さんに、魔法のように暖かいスープが提供されるはずもございません。


何より、馬車が急いだのが不味いのです。


そこで、私はため息を一つ。


マスケット銃(ブラウン・ベス)をもって、突如として街道に立ちふさがり、馬車を止めたのは彼女でございます。


もちろん、馬は大いに驚いたのは言うまでもないでしょう。

そういう訳で、お馬さんは神経質になっていたのです。


そして、御者の方も『時間』という点を意識されていました。なにしろ、馬車を止めて、人を載せて、話をすれば、運航スケジュールが頭をよぎるところ。


それらのめぐり合わせの末に……馬車は、大層、揺れていました。


止めとばかりに、彼女は『急に無茶な止め方は駄目だよね』としっかり反省していたのです。


反省したためにおしゃべりもせずに、しょんぼりと馬車の床を見つめていました。


そういう次第でした。


試練は、必須と申し上げねばなりません。







哀れな魔女の三半規管は、参ってしまったというわけです。


それ以上? 


乙女の名誉になんと無粋な問いかけでしょうか。


「……こ、これは、呪い!?」


「いえ、乗り物酔いにございます」


「乗り物酔い」


「私、嵐の船でも酔わないって自信が……」


「自信と現実を抱擁する最良の機会でございましたね」


「……世界は残酷だね、アフア」


「はぁ、そうですか」


「……酔い止めを」


「酔い止めなるもの、酔う前に予防的に服用するべきであり、こういうときはですね……」






とはいえ、不貞腐れて仮眠すれば彼女も回復いたします。

元気が戻ってくれば、お腹もなる。

そんな、折のことでした。


「お目覚めになられましたか、エルダー・アナスタシア?」


「ええと、酷い思いをしたことだけは覚えているけれど、うん、なんとか」


酷い目にあったよ、と。


小さくも尊厳の掛かった、壮大な戦いに打ち克った魔女は思い出したくもないとばかりに頭を振ります。


グウグウと鳴り始める彼女のお腹の音には、紳士淑女として気づかぬ素振りをいたしましょう。


ただ、と私はそこで頭を抱えてしまうのですが。


固まる彼女が目にしているのは、生野菜とベーコンの入ったサンドイッチと果物のセット。


ごくありふれた品ですが、気の利いたことに瑞々しいキュウリがつかわれております。


そして、戦地帰りの『私たち』は生野菜がとても苦手でした。


「サンドイッチはいいけど、このキュウリ……。なんか、全体的に食事に火が通っていなくない?」


「おいおい、嬢ちゃん。こいつは、馬車なんだ。本格的なディナーじゃないのは、勘弁してもらえないかね」


「あの、じゃあ、缶詰とか瓶詰はありませんか?」


「はぁ? まぁ、あるにはあるが……塩っ辛いだけの保存食のようなものだろう? 好き好んで食べるものでもあるまいに」


御者さんからの疑問に、はて、と彼女は首をかしげます。


「でも、私的には……瓶詰のポトフとかあれば、最高なんですが」


「なんだ、食べられない食材でもあったのかい?」


ピントのずれた会話に耐え兼ね、私は思わず逃げ出したくなってしまいます。


はっきりと申し上げねばなりますまい。


『私たち』は、『戦場食』に慣れ過ぎております。


普通の部隊であればなにしろ、戦争でしたのでと開き直れれば宜しいでしょう。


しかるに、『私たち』は魔女なのです。


「失礼ですが、そうではございません。ええと、その」


「なんだい、使い魔の嬢ちゃん?」


「あの、その」


華やかな魔女が、アケラーレ『ルカニア』の『私たち』。


その『私たち』が。


錬金鍋どころか、調理鍋すら使えないと、よそ様へ口外するのは忸怩たるものがございます。


しかし、私のささやかで深遠な逡巡は彼女のあっけらかんとした物言いであっけなく粉砕されてしまうのです。


「安全な食事ってないですか?」


乗り物酔いで『体調不良』を警戒したのでしょう。

こういう時、非加熱の生野菜は、前線では、確かに、ちょっと……となる者なのですが。


サンドイッチに触れようともせず、彼女は平然と申すではありませんか。


『安全な食事』と。


ああ、なんということでしょうか。


「おいおい、毒を盛るみたいな言い方だな」


「エルダー・アナスタシアは、その、ちゃんとした食事を存じ上げていませんでして……」


『私たち』の大半は、お料理すらできなかった。


そう認めることは、私にとっても非常に面子にかかわる次第ではあるのです。


「アフア! そんなことないって。私だって、瓶詰ザワークラフトや、瓶詰ポトフを食べたことぐらいあるよ!」


「……とまぁ、こんな具合でして」


私、取り繕う努力はいたしました。


いたしましたとも。


「いや、本当だよ。私だって、『私たち』の補給状況が良いときには、食べたことあるんだから」


違います、と何度申し上げても聞いていただけないのです。


もう、なんと申してよいことか。


「なぁ、小さな魔女の嬢ちゃん。調理って、知ってるかい?」


「もちろんですよ。製パン中隊のおばちゃんたちがやってくれるやつですよね?」


「……一つ嬢ちゃんに聞きたいんだが……冷たいパンや食材をどう思う?」


「非加熱食材は、食中毒の温床ですよ? 私も酷い目にあったことがあるので体験談から言えますけど、好き嫌いで選んではいけないんです。火を通すと食感が……なんて、贅沢はいけません」



ですから、マスターと『私たち』の皆々様。


ご容赦くださいませ。


これ以上は、無理でございます。


ちらり、と初老の御者さんがこちらを見て


呟く言葉は予想通りです。


「……戦争は、終わったんだよ」


私としても、がんばりました。


頑張ったのです。


彼女がマスケット銃を振りかざして街道に飛び出すときよりも、なお一層恥ずかしい思いで認めざるを得ません。


ええ、ええ。


戦争に明け暮れたせいで『私たち』は『私たち』という魔女の共同体でありながら、まだ、帰ってこれないのだ、と。


錬金術の釜をかき回すどころか、鍋すら使えず、神秘の探求ではなく……攻撃魔術のみに専念していたのですから。


「……使い魔の嬢ちゃん、ここに、グルメガイド本がある。戦争はもう終わったんだし、これからはグルメでも、楽しみな」

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