デスくねくね

春海水亭

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 年に一度、お盆の時にだけ家族で田舎の祖母の家に遊びに行く。

 埼玉の家から車で数時間ほどの距離のところにある祖母の家は、過疎地域に片足を突っ込んでいたが、ほどほどの自然とごく少量のWIFIがあって、普段は家の中でゲームばっかりしている僕も祖母の家にいる間は毎日兄と一緒に外で遊んでいた。

 ある日のことだ。

 今日も僕と兄は爽やかな風を感じながら、手頃な棒を持って朝から広大な田んぼのまわりを駆け回っていた。

 そして、日の高さが頂点に達し、真昼に差し掛かった頃、ピタリと風が止んだ――と思えば、気持ち悪いぐらいの生暖かい風が吹いてきた。


「田舎の長所といえば爽やかな風だろ?こんなクソ生暖かい風が吹くなんて最悪だよ」

 苛立ちながら僕はどこへともなく中指ファックサインを突き立てる。

 身体からぶわっと汗が吹き出て、肌着がべっとりと張り付く。

 爽やかさはすっかりとどこかに行ってしまって、生暖かい風が運んできた不快感だけが残っている。

 しかし、そんな僕の様子を見るでもなくブラザーは別の方向を見ている。

 その方向には案山子カカシがあった。


「どうしたんだよ兄ちゃん、カカシを彼女にしたいっていうなら賛成しないぜ?義姉さんは出来れば人間がいいんだ」

「いや、お前より多少は賢そうなあのカカシじゃねぇ……もっと奥だ」

 兄はそう言って、カカシよりももっと奥の方――田んぼの向こう側を指差す。

 兄の指先を追って目を凝らすと、確かに何かが見えた。

 遠くからだから、よく見えないが――人ぐらいの大きさの白い何かがくねくねと動いている。


「ありゃ一体なんなんだろうな」

 人間――というにはあまりにもくねくねとしすぎている。

「ムーミン谷の愉快な仲間かもよ」

 冗談めかして言うが、兄の顔は笑っていない。

 僕だってそうだ。

 あんな存在がムーミン谷にいたら、ムーミンシリーズは少なくとも日本では焚書されていただろう。


「……ま、見りゃわかるか」

 そう言って兄はスマートフォンを取り出して、カメラアプリを起動した。

 スマートフォンのカメラアプリというものは大体がズームの倍率を変更できるようになっていて、兄の持っている機種ともなれば、ちょっとした望遠鏡のように扱うことが出来る。


「もしかしたら、UMAかもな……捕まえたら大金持ちだぜ?」

「そいつは良いや!」

「ま、とりあえず俺が確認して……次は俺だ、二重チェックだぜ?」

 そう言って、兄はワクワクとした様子でスマートフォンを覗き込んで白いくねくねとしたなにかにピントを合わせた。


 二倍、四倍、八倍――ズームしていくにつれて、兄の顔が青ざめていく。

 汗は止めどなく流れ、目は大きく見開いていき、全身が震えている――しかし、スマートフォンを手放すことが出来ない。

 そんな兄の様子を見て、真夏だというのに、スゥ……っと僕の身体からも熱が引いていった。


「兄ちゃん……何を見たんだ?」

 僕は恐る恐る兄に尋ねた。

 だが、兄は答えなかった。


「しゃれこわぁぁぁぁぁあ!!!!!」

「兄ちゃああああああああああん!!!!!」

 千葉繁の悪ふざけみたいな悲鳴と、耳をつんざくような破裂音。

 兄は僕の目の前で、昔の特撮番組みたいに爆死した。

 きぐるみをそのまんま爆発させたみたいに、パーツを田んぼ中にぶち撒けて。


 一体何が起こったのか。

 一体何をどうすれば良いのか。

 僕は何もわからなくなって、兄のスマートフォンを拾い上げた。


 あの白いくねくねを見れば――兄に何が起こったかわかるのか。


「待てぇぇぇぇぇぇ!!!!!」

 その時、凄まじい勢いで父がこちらの方に駆けつけてきた。

 四十歳にして、その健脚は五十メートル、六秒を切る。


 僕が何かを尋ねる前に、父は僕の手からスマートフォンを取り上げた。


「良かった……お前はまだデスくねくねを見ていないんだな」

「デスくねくね!?」

 デスくねくね――なんて安っぽい名前だろう。

 だが、デスというからには致死性の何かしらで兄を殺したのだろう。

 尋ねたいことは山ほどあったが、ばらばらになった兄の破片を拾い集める父に対して僕は何も言うことが出来なかった。


「まだ、間に合う……お前も拾うのを手伝ってくれ」

「間に合うって……何に間に合うんだよ!兄ちゃんの死体はバラバラになって鳥葬スターターキットみたいになってるんだよ!?空をハゲタカの群れが旋回してるじゃないか!何も間に合わないよ!むしろ葬式の準備をするぐらいには遅いぐらいだよ!」

「バカッ!生き返らせるんだよ!」

「生き返らせ……」

 父の言葉を僕は素直に飲み込むことが出来なかった。

 人間がジグソーパズルのピースぐらいバラバラになってからでも復活できるというのを、僕の保健体育の知識では想像できない。


「破片を集めながら聞いてくれ……この田舎に伝わるくねくねの伝承を」

 僕は何もわからなくなって、黙って父の言葉に頷いて兄の破片を集め始めた。

 太陽は空高くで僕たちを嘲笑い、風はおぞましい生暖かさで僕の肌を撫ぜ回す。

 空にはハゲタカの群れが旋回し、今にも兄の破片を頂かんと鋭い眼光を地面に送っている。

 そして僕は兄の破片を集めながら、くねくねの話を聞いていた。


「いいか、この田舎にはな……毎年お盆の時期にくねくねという見ると発狂するくねくねとした奴が出現する」

「よりにもよってドンピシャな時期で帰省してくれたな!!!!!!」

 いきなりタイムスケジューリングミスで兄が死んだことが判明した。

 帰省時期をずらせ、祖父母の方を埼玉に呼べ。


「……って発狂?」

「ああ、くねくねは見ると発狂するだけの人畜有害なクソ生命体だった……だが、毎年毎年村のこどもを発狂させている内に奴のレベルが上がってな」

「毎年……毎年!?」

「父さんの卒業アルバム……集合写真の右枠に映る人間が数人ずつ増えていって、最後には父さん一人になっただろう?あれ、毎年誰かしらくねくねにやられてた」

「それで卒業アルバム出せるのは、くねくねっていうか学校側も生徒側もおかしいよ!」

「まぁ、そんなわけで……俺の故郷は、狂気と隣合わせのスリリングな村だったわけだが……」

「『狂気と隣合わせのスリリングな』って形容詞が村の前につくの初めて聞いたな……」

「毎年毎年子供を発狂させ続けて数十年、とうとうくねくねのレベルが上った」

「……数十年で廃村になってないのも最悪なら、少子高齢化に抗ってこの村で子供が生まれ続けてるのも最悪だし、くねくねの……ああ、もう!何もかもが最悪!」

「見るものを発狂させるくねくねは……見るものを爆死させるデスくねくねに成長したわけだ」

「それスキルツリーバグってない!?」

「見るものが狂っていずれ死ぬから、見るものがすぐ死ぬに成長したんだから、方向性としては同じだろ」

「……親が子供に詭弁使うなよ!」

「まぁ、とにかくくねくねがデスくねくねになってしまったことは事実。俺は同級生の仇討ちと帰省を兼ねて、毎年デスくねくねを探しにこの村まで家族を連れて来てるわけだ」

「復讐に家族を巻き込まないでよ!兄ちゃんが爆死してんだぞ!」

「ああ、同級生の仇討ちに息子の仇討ちも追加されてしまったわけだな」

「ク……クソ親父!!どちらかと言えばデスくねくねよりもクソ!」

 そんな話をしている内に兄の破片を一箇所に集めることが出来た。

 だが、一箇所に集めたところで、それは兄になるわけではない。

 ただグロテスクな肉の塊になっただけだ。


「兄ちゃん……」

 かき集めても兄にはならない、そのことが余計に兄の死を実感させる。

 

「安心しろ、父さんは……年下の上司に正論で叱られても、仕事をサボってデスくねくねを倒すために寺で修行を積んできた」

 父はそう言って、兄だったものの集合体に両手を置いた。

 肉の塊が暖かな光に包まれ、再び兄の形を作っていく。

 兄が生き返る――喜びと驚きの感情が沸き起こると同時に、父には何も言ってほしくなかったな、と思った。

 年下の上司に正論で怒られてる情報、息子に聞かせる必要ないだろ。


「ん……」

 複雑な思いが脳裏を駆け巡っている間に、兄は爆死前の姿で蘇っていた。


「お……俺は……」

「兄ちゃん!」

 考えるよりも早く、身体は兄を抱きしめていた。

 兄は少し、照れくさそうにして僕を抱き返す。

 それを優しい眼差しで見守る父、死の責任はデスくねくねと五分五分だと思う。


「俺は仕事をサボって寺で修行することで、くねくねに狂わされた人を元に戻す術、デスくねくねに爆殺された人間を蘇らせる術、そして心眼を身に着けた……有給休暇を一日も使わずにな……!」

「色んな意味でサラリーマンに向いてない……!」

「見ておけよ息子たち……」

 そう言って、父は懐から細長い布を取り出し、目を覆うように巻いた。


「デスくねくねを見れば爆死する、だが……見なければどうかな?」

 そして父は見えているかのように、一目散にデスくねくねの元へ駆けていった。


「俺の心の目はデスくねくねを捉えている!後は近づいて暴力でボコボコにするだけてるぁぁうみゃれぇぇっ!!!!!」

 父は悪ふざけのような断末魔を上げて、爆死した。

 デスくねくね、心の目でもダメなんだ。


「兄ちゃん……」

「父ちゃん死んだな……」

「いや、寺に持っていけば大丈夫だと思う」

「そうなんだ……寺ってすげぇな……」

「んで、あのデスくねくねだけど」

 僕は父の巻いていた布で目を覆い隠し、手頃な棒を持ってデスくねくねの元に駆けていった。

 後ろから兄の声が飛ぶ。


「もうちょいまっすぐ!右!右!行き過ぎ!左!振り下ろせ!!!」

「死ねっ!!!」

「グェェァァアアアアアア!!!!このデスくねくね様がァァァァァァッ!!!!!!この地上の全てを爆死させるはずであったこのデスくねくね様がァァァァァァッ!!!!!!!」

 スイカ割りの要領でやったら、デスくねくねは案外殺せた。

 父も寺に連れて行ったら蘇ったし、くねくねやデスくねくねの犠牲者も皆、元気に暮らしているらしい。


 結局、何が一番すごいのかといえば――寺ってすごいなぁって思った。

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デスくねくね 春海水亭 @teasugar3g

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