12 midnight
思い返せばこの十年、僕は彼女の影を追って生きてきた気がする。
彼女の本当の名前を知っているのは、もう僕だけなのかもしれない。彼女は自分の名前すら偽って、周囲が望む少女の幻をなぞって生きて、そして、優しすぎるからフェンスを越えてしまった。
八月が死に向かうたび、僕は彼女を幻視した。十年前最後に会ったのと全く変わらない制服姿の彼女は、僕の視界の隅っこで佇んでいた。彼女の表情は上手く読み取れなかった。けれど、僕のことをじっと見つめていることだけはわかった。幽霊の存在は信じていない。だから、視界の隅に佇む彼女はきっと、僕の良心の呵責の表れだ。
もしもあのとき僕が止めていたら、彼女は死ななかったのではないか。
彼女の心を血だらけにしてでも、引き止めるべきではなかったか。
――彼女の心を殺してでも、彼女の
湿度を帯びた熱気が肌に纏わりつく。旧式のエアコンはカタカタと音を立てながら羽を上下させているが、特別蒸す今日のような熱帯夜には力不足だ。僕は冷蔵庫の中のチューハイのプルタブを起こした。
夏はいちばん死に近い季節だと、誰かが言っていた。僕にとって、それは真実だ。
彼女が空を飛んでから、僕は夏を愛そうとして、けれど愛せるわけがなくて、かといって憎むなんて筋違いで、生と死について思いを巡らせながら日々を消化した。恐ろしかった。彼女のためと嘯いて、掴めたはずの腕に手を伸ばさなかった。それは、紛れもない僕の罪だ。大学で哲学科を専攻したのも、贖罪のひとつだったのかもしれない。
彼女は善く生きた。
美しく生きた。
正しく生きた。
誰が否定しても、僕だけは。たとえそれが、赦されたい僕の独り善がりな保身であったとしても。
窓の桟に寄り掛かりながら、部屋の隅に据えたラックに目をやる。天板の上の、小さな額と、重心の低い花瓶。彼女の葬式に行けなかった僕の、自己満足の祭壇だった。
五センチメートル四方の額の中で、彼女は曖昧な表情を浮かべていた。卒業アルバムから切り抜いた小さな写真。僕が持っている唯一の写真だ。毎日眺めているのに、未だまともに彼女の目を見られない。
彼女の隣に立つ
手の中の缶を呷る。冷えすぎた炭酸が喉を刺して痛い。口の端から溢れたチューハイがシャツに染みを作る。甘ったるい匂いに眩暈がした。
十年振りに彼女の名前を口ずさむ。
彼女によく似合う、美しい名前。
最初で最後の我が儘を貫いた君を、忘れないことをどうか許して。
あの寒い八月を、僕はずっと覚えている。
残夏 ららしま ゆか @harminglululu
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