9.51 pm

 最後の花火が大きな破裂音を伴って咲いた。遥か頭上で開いた菊は色を変えながら花弁を散らす。その光景に、あたしはたったひとりのひとを思い浮かべた。


 連日の悪天候と直前のにわか雨で開催が危ぶまれた今年の花火大会は、開始時間を十五分後ろ倒しにすることでなんとか開催された。延期か中止になっていれば、あたしは今年の花火を観られなかった。

 濡れたコンクリートから立ち昇る雨の匂いと、人波の奥から漂うソースの焼ける匂い。肌にまとわり付く湿気た空気が、あたしをまだ夏に繋ぎ留めていてくれる。

 あの子が死んだのは、六年前の秋だった。山の木々が赤や黄色に色を変えはじめたばかりの頃、その年最後の家族旅行から帰宅して数日後のことだ。今にして思えば、予兆はあった。けれどそのときは誰も気に留めなかった。あたしにだって気付けなかった。過去を振り返ったところで起こったことは覆らない。たらればはたらればでしかない。それは理解している。喪った半分の大きさは、日を追うごとに増していった。

 半年前、メキシコ支社への転勤の内示が出た。断ることも出来なくはないんだが、と付け加える上司に、あたしは間髪入れずに了解した。狼狽える上司を余所に、内心強く拳を握った。逃げ出したかった。あの子の亡霊、否、あの子の死そのものから。

 心残りが、あるとするなら――


 もしもし。あたし。

 うん、まあなんとか元気にはしとるよ。

 そっちは? みんな元気? そうならええけど。

 七回忌、来月やったっけ、日取りはもう決まった?

 ……そっか。うん。

 悪いけど、行けそうにない。

 その日はもうあたし、プエブラやで。

 あたしだって行きたかったよ。

 けど……こればっかは変えられんよ、ごめんね。

 ……花火、持っていくで、みんなで一緒にやろう。

 送り火にしては随分遅なってまうけど、ええやろ。

 あの子も、その方が喜ぶやろうで。

 好きやったもんね、花火。

 え? ……そういうのはええって、見合いなんて。

 まだ考えたないって、要らん世話焼かんで。

 しつこいな、いい加減にせな怒るよ。

 うん。……うん。

 出国する前には顔を出すで。うん。

 それじゃあ、また。


 通話終了のスワイプをして、あたしは深く息を吐く。

 一欠片の罪悪感もなく、あたしは母親に嘘を吐いた。写真の中のあの子はあたしと同じ顔で笑っている。鏡の中のあたしは、もうあの子と違う顔になってしまった。

 ――六年。

 あたしにとって、それは〝もう〟でも〝とっく〟でもなく、〝まだ〟だ。〝まだ〟六年。あの子が居なくなった六年前の秋の日は、未だに昨日のすぐ隣に立っている。だからあたしは夏にしがみ付く。きっと、これからも、ずっと。

 秋の気配はすぐそこまで迫っている。

 けれど、今だけ。

 今夜だけでいい、生温い夏の夜風にこの身体を預けていたい。

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