言葉の海に沈むように
安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!
望み通りに死ねた貴女は、幸せだったのでしょうか?
『もしも私が死んだ時は、
言葉の海に沈んでいったのだと思ってほしい』
お姉ちゃんが死んだ。
元から、いつ死んだっておかしくないような生活を送っていた人だった。不摂生に不摂生を重ねて、その諸々から出る体調不良を頭痛薬と鎮痛剤と風邪薬のチャンポンで誤魔化していたような人だったのだから。
お姉ちゃんの職業は、兼業小説家だった。昔から小説家になりたくて、だけど小説一本では食べていけなくて、『書き続けるために働いている』と言っても過言じゃない感じで生きていた人だった。
仕事の原稿を書いて、その気晴らしに趣味の原稿を書いて、生活のためにちょっと働いて、少しだけ読書して、また執筆に戻っていく。そんな生活を年中、何年もしてきた人だった。
『今私が死んでしまったら、この話の結末を正しく知っているのは私だけということになるのだろうか。ふふっ、それはそれでとても美味しいではないか』
そんな人の日記が今、私の手の中にあった。
原稿は全てスマホとパソコンで書いていたのに、その日記だけはノートに青いインクのペンで書き綴られていた。夜空みたいな深い紺色の地に銀の箔押しが散らされた表紙のノートと、吸い込まれてしまいそうなほど澄んだ青のインク、そしてそのインクを入れていたのであろう万年筆は、全て私が誕生日にお姉ちゃんにあげたものだった。
『話の結末も、私が口頭で語るだけで形にしなかった物語も、私の脳内で転がしていた未発表の原稿も、全部全部引き連れてこの世から消えていく。浪漫があるじゃないか』
遺品整理で訪れた、お姉ちゃんが住んでいたアパート。
ベッドよりも存在感があるライティングデスクの上。そこに忘れ去られたかのように……あるいはまだ、手に取ってもらえるのを待っているかのように、その日記は存在していた。
『そう思えるから、死もまた悪くはない』
日記に書かれていたのは、小説じみた呟きだった。どうやらお姉ちゃんは、ネット上にはあげられない呟きやエッセイ風味な文章をここに書き綴っていたらしい。
「……バカじゃないの?」
誰にも読まれることなんてないと、思っていたんだろう。日記というのは、小中学生の宿題でもない限り、本来は誰にも読ませるものではないから。
だけど私は見つけてしまった。お姉ちゃんの日記を。……文章の世界に取り憑かれて、帰ってこれなくなった人間の日記を。
「普通、死にそうになったら……やめるじゃない、何もかも」
寝食を忘れて、なんて当たり前で。お姉ちゃんは、いつだって、どんな時だって、狂った世界の中にいた。脳内で紡がれる物語と遊んでいる人だった。
私といた時だってそう。
どこか夢見がちな目をしていて。ここじゃないどこかを常に見つめていて。
……私のことなんて、ついぞ見てもくれなくて。
「返してよ……!!」
『もしも私が死んだ時は、言葉の海に沈んでいったのだと思ってほしい』
最後のページに綴られた言葉通りに、お姉ちゃんは己が紡いでいた世界の結末を引き連れて、言葉の海に沈むように消えていったのだろう。
「私のお姉ちゃんを返して……っ!!」
私は。
お姉ちゃんを掻っ攫っていった文字の世界が嫌いで。
お姉ちゃんが紡ぐ世界が大好きで。
……それ以上にお姉ちゃんに、私を見て欲しかった。
日記にならば、普段口にされなかったことが書かれているんじゃないかって。ここになら、私のことを書いてくれているんじゃないかって、期待してページを開いてしまったくらいには。
パタパタと私の涙が日記のページに落ちていく。
──お姉ちゃんが沈んでいったという『言葉の海』は、きっとこんな世界だ。
涙で青いインクがにじんだページは、深く澄んでいて、波打っていて。
……残酷なくらいに美しく、私の目を射たのだった。
【END】
言葉の海に沈むように 安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売! @Iyo_Anzaki
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