エピローグ


 過去から戻った私はなぜか自宅のベッドの上にいた。まるであんな不思議な出来事は最初からなかったかのように。


 事実、私の周囲に変化はない。十数分の時間旅行を経験しても、加茂かもフイ子はモブのままだ。物語のわき役に徹し、核心には近づかない。それでいい。どれだけいましめても、私が本当に衝動のまま行動したらガチで自分の命を放り投げてしまうことは証明されちゃったし、十年間守ってきた基本方針はそのままでいこうと思います。私のことを想ってくれる人をこれ以上泣かせたくはないし、ね。


 というわけであれから数日。変わらない日常が続くわけだけど……。厳密に言えば、些細な変化はあった。


 あれからみら井さんのことは見ていない。過去に用がなくなったからもう来ないのか、それとも来れないのかは分からないけど。たぶんもう彼女と会うことはないんだと思う。そもそもどうやって今井さんと入れ替わってたのかも謎だし。


 私だけが気づいていた、私だけが知っている──覚えている彼女。その喪失感に苦しむ余裕はなかった。なぜなら現在進行形で私は、推しからの精神攻撃を受けているのだから!


 朝から友人と雑談しながら席につくと、肩をポンと叩かれた。その角度と強さだけで誰か分かるけど、私はあえて素知らぬ顔で振り返る。


「おはよ、加茂かもさん」


「おはよう今井さん」


 推しが今日も気さくに……あいやちょっと照れ気味に挨拶してくる。いつも通りそれで終わりだろうと前に向き直ると、今井さんはなぜかまだ横に立っている。不思議に思って見上げると、彼女は指先をもじもじさせながら視線を泳がせていた。


 私に顔を見られていることに気づいた今井さんは、意を決したようにぎゅっと拳を握る。


「今日のお昼さ、一緒にいい? 昨日言ったやつ作ってきた、から……。い、嫌ならいいけど……」


 勢いづいた言葉がだんだん尻すぼみになっていく。なんかもう守ってあげたい。これを拒否れる奴がいたらそいつは人の心を失くした哀れな怪物に違いない。


「ふふっ」


 あまりの愛らしさに思わず笑ってしまって私は口元を拳で隠した。


「じゃあ、二人で中庭にでも行く?」


 自分でも意外なほどに優しい声が出た。今井さんはぱっと顔を輝かせて何度も頷き、軽やかな足取りで自分の席へ駆けていった。すぐ友達に囲まれていたから成果報告するのだろう。


 なぜかこうして今井さんにアプローチを受けている。


 前みたいに嫌われてないのは、過去が変わって嫌悪の原因だった出来事も様変わりしたんだから当然と言えば当然だけど。だからって急にこんな好かれることある!? もうずっとこの調子だから心臓の休まる暇がなくって死にそうなんですけど!? なんならずっと魂が半分くらい宙に浮いてるよ。地に足ついてる自信ないもん。


 私は油性ペンらしいので改変前の記憶もこうしてあるわけだけど、過去の変化に取り残されないためか、改変後の記憶もなぜかあるのである。


 六歳のあの事故からこっち。つまり去年一年、今井さんのアタックをのらりくらりとかわし続けた記憶もバッチリと!


 おかげさまで今井さんとの仲はそこまで進展していないわけだけど。どうして完璧に両想いなのに恋仲になってないんですかという疑問には一応の言い訳があった。決して焦らしプレイではない。私にそんな忍耐ない。


 『片思い中の頑張ってる可愛い女の子』なんて最高の素材を観察する機会を簡単に手放したくないなというゲスい私欲もあるにはあるけど、本当の理由は一つ。


 私には改変前の記憶があるが、改変後の記憶もある。つまり六歳の時、みら井さんに頼られたあの幼女な私の記憶もあるのだ。


 あの時みら井さんは、必死な形相で小さな私の前にひざまずいた。


「ねぇあなた。急にこんなこと言われても意味分かんないと思うけど、お願い。私と一緒に来てくれないかな」


「お姉さん、なにか困ってるの?」


「うん、すっごく困ってる。このままじゃ私、また大事な人が傷つくのを止められない」


「えっと……あ、使命ってやつだね? 絵本で見たからわかるよ」


 私は理解が追いつかないなりにみら井さんの真剣さを汲んでそう頷く。けれどなぜかみら井さんは、きゅっと唇を噛んで首を横に振った。


「ううん、違う。本当はそんな上等な理由じゃないの。私はただフイちゃんに、罪悪感で付き合ってるなんてもう、思われたくないだけ。結局はそういうワガママな理由でしかないの」


 私の肩を掴んで、みら井さんは決意した瞳で言った。


「たとえあなたが元気でも、私のために傷を負わなくたって、私は絶対にあなたが大好きになるんだって、伝えたいの。だからお願い。力を貸して」


 幼い私は確かに、その言葉に頷いた。だからあれは、みら井さんとの約束だったと、私は勝手に思っている。


 私はまだ高校で再会した今井さんから、その言葉を貰っていない。だから彼女の気持ちに応えるつもりも今のところ、ない。


 どんなにアプローチされたって、遠回しに伝えられたって、気づかないフリしてやる。鈍感でいてやる。見ないふりしてやる。


 君の核心に、こっちから触れてなんかやらない。

 だって私はただのモブ。他人の本心や物語の本筋から身をかわすのはお手の物。


 だからさ、そんなお決まりなんて、踏み越えて来てよ、今井さん。


 できるよね?

 だって今井さんは、たぶん情熱的で、ときどきワガママで──

 自分の恋のために過去にも来れちゃうくらい頑張り屋な、私の主人公推しなんだから。




 今井さんはたぶんときどき未来からきてる 了


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今井さんはたぶんときどき未来からきてる まじりモコ @maziri-moco

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