太平洋と交換日記

辺理可付加

太平洋と交換日記

 貴方と私が別れた夜。


それから数日後、貴方が同棲していたアパートから最後の荷物を運び出した朝。

貴方がもう二度とここには戻らないと決まった朝。


貴方の化粧机の形に薄い埃が払われたフローリングに、千切り取られた日記のページが落ちていました。


何枚も、何枚も、何枚も。


私は最初それが日記のページだとは気付かず、貴方が何らかのゴミを押し付けて行ったのだと思いました。


だから私はまず深く考えもせずに内容を読んで、それから日記だと気付きました。


そして日記と知った私は、せめて別れた腹いせに日記という貴方の恥部を覗いてやろうと思ったのです。

別れた相手に触れるなんてのはした方がいいと相場が決まっているのに。



大量のページをめくる内に、私はあることに気付きました。


どのページにも私との出来事がつづられているということです。


私は一つの結論に至りました。


そうか、貴方は私との思い出の全てをここに捨てて行ったのだ、貴方は日記のページごと私を貴方の中から千切って切り離して行ったのだ、と。



この予想が半分だけ正解であることは、今知りましたが。



さて、貴方が残して行った日記のページを読んだ私は、わんわん泣きました。

だから止した方がいいと言ったのに。まぁ言ったのは未来の私なのでどうしようもありませんが。


いえ、捨て尽くされたことが情けないとかそういうことではありません。


千切られたページの多さに涙したのです。


つまりこれは、ページの数だけの時間や出来事を私たちは共有したということで。

それだけ二人は確かに繋がっている季節があったということで。


速い話私は、人間とはそれだけ愛し合ったはずの二人でも捨ててしまえる生き物なのだという無常感に涙が溢れたのです。


要約したら捨てられたことが悲しいというだけですか。ちょっと気取り過ぎましたか。



この悲しみが半分不正解であることも、今知りましたが。



そうです。半分正解も半分不正解も今知りました。今知れました。


残して行ったページと同じくらい、残さなかったページに意味があるとも今知りました。


何故って、どうやってって? それは残りの日記を読み終わったからです。


怒りますか? 怒りますよね? それより、『それこそどうやって?』って驚いていますか?


お答えしましょう。貴方はいつも私が質問に対して『どう思う?』とかおどけると、それはそれは激しくいかりましたから。


えぇ、それは貴方の母が私に日記をくれたからです。


怒らないであげて下さい。怒らないであげて下さい。だって貴方がもし母親だったなら、同じことをするでしょう?


そして何より、娘が遠い和歌山で太平洋になったのですが、それで貴方に見に来て欲しいものがあります……と伝えた母の、あの震える声を聞いていかれる者はいないはずです。


第一、遺品として日記なんか残して逝く方が悪いのです。そういうのは前もって燃やしておくものです。何なら鞄ごと海に飛び込めばよかったし、そもそもその前日まで日記を持ち歩いてマメに書き付けるなんて、貴方らし過ぎて笑ってしまいます。



それはそうと、貴方が残さなかったページに綴られていた……


あぁ、もう残りのスペースが少なくなって来ました。何たって貴方がその日の前日までたっぷり書き込んでいるんだから。


あとどうしても伝えたいことと言えば、この日記はよっぽど棺に入れて燃やそうかと思いましたが、貴方が最後に選んだのは太平洋なのでそちらに投げ込んでおくことにします。

不法投棄というやつですか。


その方が確実に貴方に届くと信じて。だって貴方は望み通り太平洋になったのだから。



以上のことを残りのページに書き加えて貴方に日記を返します。


今時ではないけれど、交換日記というやつです。私から愛を込めて。




                      三月二十九日 和歌山にて記す

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太平洋と交換日記 辺理可付加 @chitose1129

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