そしてかぐや姫は宇宙で幸せに暮らしました

猿島茶付

第1話


『20XX年12月25日、地球が滅亡します』


 総理大臣が記者会見でそう言ったのは、もう1ヶ月も前のことだった。

 当時は突然の発表に戸惑っていた世論も、総理大臣が日本を守れなかったことを土下座しながら謝罪したことによって、ことの重大さを理解したのだろう。クリスマスムードから一変して、災害対策だの、原因の討論だのと、日本中が地球滅亡の話題で持ちきりになっていた。


 俺の周りでも影響は大きかった。

 はじめの数日は、いつもとなんら変わりのない日常だった。学校に行って、勉強して、友達と話して、部活して、帰る。

 なんだか、拍子抜けしたのを覚えている。やっぱ地球が滅ぶって言われても、そんなもんだよなって。

 でもそのうち、ひとつまたひとつと、日に日に空席が増えていった。

 最初は俺の斜め前の席の女子。ただの体調不良で休んだのか、それとも世界の終わりが怖くなったのかはもうわからない。誰も言及する気はなかった。ただ、彼女がトリガーとなったのは事実だった。

 次に廊下側の席の男子、その後ろの席の男子──。

 数日すると、教室の人数が半分以下になった。そしたら、生徒の数が少ないからという理由で全ての授業が自習になった。多分、それは表向きの理由で、本当は先生も何人かいなくなっていて満足に授業ができる状態じゃなかったんだと思う。


 かくいう俺、空井遊馬うついゆうまは、そんな状態になった今でも毎日学校に通い続けていた。

 今日も窓際の一番後ろの席を陣取って、机の上にスマホと筆箱、問題集を広げている。と言っても、ずっと窓の外をぼんやりと眺めるだけで、その問題集が答えで埋まることはほとんどないが。

 机の上に放置しているスマホからは、今の日本の現状、地球脱出計画、そんな世界の終末らしいニュースがずっと垂れ流されていた。


 もう教室には俺を含めて2人しかいない。

 いつも教卓の前で黙々と本を読んでいる男、天川宇宙あまかわこすも。「宇宙」って書いて「こすも」と読む、流行りのキラキラネームってやつだ。クラス替えのときに、その名前の珍しさから彼の席の周りには人集りができていたが、歯牙にもかけない様子で本を読んでいたので、数日後には関心の外になっていたのをよく覚えている。

 それにしても本なら家でも読めるのに、なんでわざわざここに来ているんだろう。物好きなやつだ。


「知りたい?」


 天川がぐるりとこちらを向いた。想定外の反応にシャープペンシルが手から零れ落ちてしまう。

 こいつは今なんて言った? 知りたい? なにに対する答えなんだ? 俺そもそも話しかけてないよな?


「……なんで急に」

「ぼくが学校にいる理由。気になってそうだったから」

「気になっては、いる、けど、」


 どうして話しかけてきたんだ、とか、どうして俺の考えていることがわかるんだ、とか。言いたいことはいっぱいあるはずなのに上手く言葉にできない。

 天川は読んでいた本を閉じ、俺の席の前に座った。


「……ここは落ち着けるんだ」


 どこか遠くを眺めながら話す。そのガラス玉のような瞳はがらんどうで、なにも映していなかった。


「たしかに静かだよな、ほとんど人いねぇし」


 俺と天川しかいない教室。改めて見渡すと、なんだかわびしい気がした。

 この教室、こんなに広かったっけ?


「……家、うるせぇの?」

「まあ、そんなとこ」


 茶化すような声質なのに、その表情は全く変わってない。そういえば、こいつ滅多に笑わないんだっけか。

 通った鼻筋、ガラス玉のような透き通った目、色素の薄い肌。笑えば友達がいっぱいできただろうに。


「……いらないよ、友達なんて」

「……は?」

「くだらない」


 そしてチラリと俺のスマホに視線を落とす。「今日の射手座のあなたは運勢最高! なにをやっても上手くいく日!」と、アナウンサーがわざとらしい営業スマイル全開で話していた。

 世界が滅ぶ3日前だというのに、運がいいとか悪いとかあるのだろうか。

 天川は彼女の表情をジッと眺めていた。いや、観察していると言った方がいいのかもしれない。

 そのうち興味を失ったかのように視線をそらした。そして抑揚のない声で呟く。


「ぼくには必要のないものだ」

「……だから誰とも関わらずにずっと本を読んでいるのか?」


 天川がいつも持っているハードカバーの本。

 タイトルは英語で書かれていて、俺にはよくわからない。きっと少しの人間にしか理解できない内容を楽々と読んでいるのだろう。


「これは、この世界を知るために読んでいるんだ」

「この世界?」


 天川が白くて長い指で、本の背表紙をゆっくりと撫でた。


「……この方法が一番手っ取り早い」


 ただ惰性で毎日をすごしている俺には、この世界を知りたいという天川のような目的なんてない。ましてや、やりたいこともない。今ここにいないクラスメイトたちも、それぞれなにか思うところがあって、ここに来てないのだろう。

 なんだ、天川もあっち側だったのか。

 なぜかはわからないが、落胆に似たなにかが俺の心の中に浮かんできた。どうやら俺は短い期間の中で、この変わり者に仲間意識を抱いていたらしい。


「これはぼくの仕事。やりたいことは他にある」

「……忙しいんだな」

「でも、もうすぐ叶う」


 そう言った天川の口角がゆっくりと上がった。今までの能面のような表情が嘘のように、にたりと笑う。まるで獲物を目の前に舌なめずりをする肉食獣のようで、俺の背筋に冷たいものが走った。


「空井にも、祝ってほしい」

「あ、ああ」


 雰囲気に圧されて、反射的に頷いた。あと三日しか猶予がないのに、なにがお祝いだとも思うけど。


「……地球が滅ぶまでに叶ったら、そんときは俺がなんか奢ってやるよ」

「……じゃあ、チョコレートがいい。あれは、いいものだ」

「そんなのでいいのか?」

「あれは価値のあるものだ。それに、この世界ではプレゼントというものが特別な意味を持つんだろう」


 見透かされたような言葉にドキリと心臓が跳ねた。筆箱からのぞくボールペンを指で強引に押し込む。


「それは、空井にとって特別なもの」

「な、に言ってんだよ急に」


 天川の視線は、筆箱へと釘付けになっていた。

 多分、こいつはわかっている。俺の、一番大事なところに踏み込んでこようとしている。

 俺は曖昧な微笑みで誤魔化して、筆箱のファスナーを閉めた。


塚原大地つかはらだいちからの贈りもの、でしょ」


 筆箱を鞄にしまおうと手を伸ばす。だが、天川の青白い手がそれを阻んだ。動かないように俺の手首をしっかりと掴んでいる。抜け出そうともがくが、天川は涼しい顔をして、俺の目をジッと見ていた。

 俺は、その視線に耐え切れなくなって目線を下に落とす。

 天川の低い体温が、じんわりと俺の手首から伝わってきた。


「……はなせよ」

「塚原大地のことを知られたくないから」

「……そうだ、お前には関係ねぇだろ」


 腕を握る力が強くなり、俺は思わず顔を顰めた。


「知っているから構わない」

「……嘘つくなよ」


 これは、俺とあいつしか知らないはずだ。──いや、あいつはもう覚えていないかもしれないけれど。

 とにかく、今までロクに話したこともない天川が、知っているはずがない。


「小学校の修学旅行、空井は熱を出して行けなかったんだよね」


 自分の耳を疑った。

 反射的に顔を上げると、天川とばっちり目が合ってつい視線を逸らしてしまう。


「塚原大地が、お土産として買ったボールペンが、それでしょ」


 筆箱の中で眠っている、ご当地キャラが前面に描かれた安い作りのボールペン。熱を出して寝込んでいた俺に、お揃いだと握らせてくれたあいつの笑顔。

 何年も経ってキャラクターものなんて持たなくなったけど、これだけは唯一筆箱から抜くことができなかった大切な品。

 今でも鮮明に思い出せる。

 これは、俺の大切な思い出だ。誰にも言っていない、俺の柔らかい部分だった。

 だが、天川の言葉は止まらない。


「修学旅行の話に花を咲かせる同級生たちがさぞ羨ましかっただろう。一緒に旅をして、さらに仲良くなったことに疎外感を感じていただろう。そんな中でも、塚原大地だけはキミに変わらずに接していた」


 そうだ。写真の購入だとか、思い出話だとか、みんなが自分抜きで楽しんでいたのが煩わしかった。

 その話題がクラスで上がる度に、大地が話しかけてくれて俺の寂しさを紛らわせてくれた。内容は他愛もないことばかりだったけど、それがただただ嬉しかったんだ。

 今では誰にも言えない馬鹿馬鹿しい悩みだと思うんだけど。


「だから、特別なんだよね」

「……もうやめてくれ」


 天川の手を振りほどく気力も起きなかった。だらりと腕を下げる。

 天川が呆然とする俺の髪を逆の手で優しく撫でた。


「ほら、知ってたでしょ」

「……そうだな」


 天川は俺の髪を人差し指に巻き付けて遊んでいる。勝ち誇ったようなその態度が憎らしい。


「ぼくは、テレパシーが使えるから」


 なにがテレパシーだ。俺のプライバシーを土足で踏み荒らしやがって。こんな無様な話は、俺だけの昔話にしておいた方がいい。誰にも知られていいもんじゃない。あんなことを、特別だと、ずっと大切にしている俺なんて。

 感傷に浸っている俺を見て、天川は首を傾げる。首がもげそうになるくらい傾ける姿は見ていて気分のいいものじゃなかった。


「あれ、おかしいな。シミュレーションならここでぼくの正体を明かすはずだったんだけど。空井が想定よりナイーヴだったのが誤算だったか」


 首の角度を変えないまま話し続ける天川。しかし表情もなく、声の抑揚もない。本当に疑問に思っているのか不思議なくらいだ。

 その人外じみた言動に、気味が悪くなった俺は思わず立ち上がった。ゆっくりと天川から距離を取る。


「あ、ごめんね。まだ人間に慣れてなくてさ」

「……どういうことだよ」


 警戒心を隠すことなく聞き返した。天川はその雰囲気を知ってか知らずか、両手で首の角度を元に戻し、にっこりと張り付けたような笑顔を浮かべた。あの、さっきスマホで見たアナウンサーと全く同じ笑い方だ。


「ほら、宇宙人ってやつだっけ? ぼくらからすると、空井の方が宇宙人なんだけど」


 自分の顔を指差す。天川の頬の皮膚がべろりとめくれ、機械のような形容しがたいなにかが内側からのぞいていた。

 ひゅ、と恐怖で自分の喉が鳴ったのがわかる。


「怖がらせるつもりはないんだ、信じてもらうにはこれが一番手っ取り早いから」

「……本当に宇宙人なのか」

「疑い深いなぁ……。そうだ、この星にはぼくたちに対する儀式があるんだっけ。ほら、ワレワレハウチュウジンダーってやつ」


 わざとらしく喉を小刻みに叩き、よくある宇宙人の声真似をしようとするが、ニセモノの体には喉の機能が備わってないのだろうか。声の振動を起こせないことに苦戦していたが、すぐに興味を失って俺の方に向き直った。


「まあいいや。ねえ空井、ここから逃げ出そうよ」


 こいつの話はいつも急だ。

 会話の脈略というものをわかっていない。それがなんだか宇宙人であることを証明しているような気がして、俺はかぶりを振った。

 これ以上心を乱されるのはごめんだ。


「もう放っといてくれよ」

「ぼくにすればいいのに」


 俺が否定した言葉に被せるように言った真意の見えない発言に、俺は眉を顰めた。天川はそんな俺の反応を意にも介さず、話し続ける。


「ぼくなら、空井をどこへでもつれていける」

「ぼくなら、空井を生かすことができる」

「お互いにメリットしかない取引だと思うけど」


 饒舌に話す天川。そのうち立ち上がって、じりじりと距離を詰めてくる。俺は押されるように後退していくが、後ろのロッカーに体がぶつかってこれ以上進めなくなった。ぶつけた肘が痛むが、そんなことなんて気にしていられない。

 天川は、腕の中に囲いこむように、俺の耳のすぐ横に両手をついた。こいつが頭一つ分大きいせいで、俺の顔に天川の影が落ちる。


「だから、ぼくの手を取って。地球あいつより、宇宙ぼくを選んでよ」


 耳元で甘く囁く天川の表情はよく見えない。こいつのことだから、きっと能面みたいな顔をしているのだろう。

 だが、たとえどんな人間らしい顔をしていたとしても、俺の答えは変わらない。

 顎を高く上げ、唇をぎゅっと引き結んだ。


「いやだ。俺はここで地球と一緒に死ぬ」

「……どうして」


 初めて天川の声に動揺の色が見えた気がした。覚束ない足取りで2、3歩後ずさり、頭をおさえる。

 これもあいつのシミュレーションとは違う行動なんだろうか。天川の想定の甘さに救われ、小さく息を吐いた。

 とにかく、動揺して隙ができた今しかない。

 解放された俺は、天川に言い聞かせるように語り始めた。


「知ってるか、天川。昔この星には月から来たお姫様がいたんだぜ」

「…少し前に古文の授業でやったね」


 みんなそのお姫様の心を射止めるために、体を張った。高いところに登ったり、船で大海原を旅したり。まあ、ズルしたやつはノーカンだし、創作物だろって言われるとそれまでなんだが。

 窓を開けて、空を見上げる。東の空には昼の月が薄く輝いていた。

 冷たい空気が今の火照った頭を冷やすのにちょうどいい。


「天川は、宇宙人の俺のために、命かけれんのかよ」


 諦めてくれればいい、といった軽い気持ちだった。昔話のお姫様みたいに無理難題を吹っかけたんだから、そんなことはできないと鼻で笑ってほしかった。どちらかと言えば理性的な天川には、これが一番効くだろう、と。ささやかな反撃だった。

 案の定、天川は黙り込んでいる。ほらな、と俺はせせら笑った。


「……できないだろ」

火鼠の裘ひねずみのかわごろもならすぐだ」

「俺が求めるのはそんなんじゃねぇよ」


 昔話に出てくるような貢物なんていらない。そんなのは全宇宙を血眼になって探せば、きっとどこかにあるんだろう。こいつが宇宙人であることに違和感がなくなってしまっているのが、なんだか可笑しかった。


「じゃあ空井はなにが欲しい」


 きっともうどうしようもできないこと、誰もが諦めていること、実現不可能な願い事。俺にとっての珍しい宝。

 俺は待ってましたとばかりに、ゆっくりと空を指差した。


「この星を救ってみせろよ、天川」



◇◇◇




 20XX年12月25日、天川は本当に世界の滅亡を止めた。

 画面の向こうでニュースキャスターが絶叫していたのをスマホで見たのは記憶に新しい。

 呆気なく訪れた12月26日に世間は戸惑ってはいるが、そのうちまたいつもの日常を取り戻すだろう。

 俺は、人の流れが少しずつ増えていく様子をいつもの席から眺めていた。教室の外からの話し声もだんだん大きくなっていく。

 そろそろ潮時だ。椅子をひいて立ち上がる。


「さよなら」


 ポケットからボールペンを取り出して、机に置いた。噛みしめるように、忘れないように、何度も撫でる。もうここに戻ることはない。

 満足のいくまで別れを惜しんだ俺は、教室の扉に体を預けて一部始終を眺めていた天川に声をかけた。


「行こうか、天川」


 その言葉を合図に、天川は俺に手を差し出す。俺はゆっくりとその手を取った。そして湧き上がってくるすべての感情を押し殺して、口角を引き上げる。

 これから、俺の意識はなくなって、次目覚めるとたときには宇宙にいるらしい。よくわからないけれど、俺の体を宇宙の環境に馴染ませるために必要なことなのだそうだ。

 大気圏を抜けた後に物が浮かんでいく瞬間を拝めないのは少し残念だけれど。


「またチョコレートを買ってね、空井」

 

 俺が意識を失う直前にそう言った天川は、心底楽しそうに笑っていて、今まで見たことのないくらい綺麗な顔をしていた。

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そしてかぐや姫は宇宙で幸せに暮らしました 猿島茶付 @g_yltj

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