真夜中のポトフ

かなたろー

真夜中のポトフ

 その店は、新宿のはずれにあった。

 京王線新宿駅と、京王新線初台駅のちょうど間にある雑居ビルの八階に、ヒッソリと構えたビストロだった。


 店の名前は『ビストロたくみ』。


 立地条件のせいもあってか、その店にはお客はほとんどいなかった。

 その店に、今日はめずらしく、とてもめずらしく客が来た。


 客の名前はかぞえかける、大手健康機メーカーの、しがない平社員だ。

 その平社員は、今日、移動命令を受けた。なんでも、新たに進出する食品部門の営業にまわされるらしい。


 困った、とても困ったが、かぞえかけるは二つ返事で辞令を受けた。

 自分には家庭があるのだ。可愛い小学生の息子と、料理が得意な優しい妻がいるのだ。

 ふたりのために、部署がかわったくらいでおいそれと会社を辞めるわけにはいかない。


 とはいえ、今日はさすがに飲みたい気分だ。

 男は、新宿で下車すると、ふらふらと適当な店に入っては出てを繰り返し、どこをどうあるいたのか、気が付けば、こんな中途半端な場所にあるビストロの前に立っていた。


 カランコロンカラン


 ドアを開けると、そのビストロは、まるで古い喫茶店のような音をして、


「いらっしゃいませ、おおきに」


 関西弁の、メイド服の女性が、ニコニコしながら接客をしてきた。


「お飲み物は、なんにします?」

「いや、もうずいぶんとのんでしまったから」

「だったら、軽くお食事とかどうですか?」

「は、はあ」


 関西弁のメイド服の女性に言われるまま、食事を注文すると、なぜだかいきなり腹が「くう」となった。

 厨房からただよってくる、なんとも良い香りに腹の虫がつられてしまったのだ。


 厨房には、ひとりの料理人がいた。


 190センチはあるだろうか、かなりの大柄の男が、コックコートをまとい、慎重に寸胴をかきまぜている。

 大男は、流れるようなしぐさで、スープ皿に寸胴の中身をとりわけると、丁度、傍らに立っていた、メイド女が持っているお盆の上に乗せた。


「お待たせしましたポトフです。

 コショウはお好みでふってくださいね」


 ポトフは、妻の得意料理だ。だがそのポトフは違った。モノが違った。


 料理人の腕……もあるだろうが、それだけではない。明らかにモノが違っていた。食材が違って観えた。知らない品種のじゃがいもが使われているようだった。


 かぞえかけるは、給餌された深皿のポトフを見た。澄んでいた。とても澄み切ったコンソメスープだった。澄んだスープの中に、ニンジンとタマネギとウインナー、そしてじゃがいもが素っ気なく入って、パセリがちらされていた。


 かぞえかけるは、銀のスプーンで澄んだスープを「すっ」とすくって、すこし息を吹きかけて頃合いに冷まして口をつけた。澄んでいた。コンソメスープは、とてもスッキリとした味で、それでいてはっきりとした、牛と野菜の滋味じみを感じた。ほっこりと感じた。


 かぞえかけるは、給餌された深皿のポトフのじゃがいもを、スプーンで切った。カジュアルに食べるから、食器はスプーンしか給餌されなかったから、マナーの通りスプーンで切った。

 じゃがいもは「にちゃっ」と切れた。よく煮込まれたじゃがいもでは考えられない「にちゃっ」とした手応えを感じた。


 かぞえかけるは、銀のスプーンで切ったじゃがいもを、すこし息を吹きかけて頃合いに冷まして口をつけた。濃厚だった。じゃがいもはとても濃厚で、「にちゃっ」とした歯触りだった。とてもスッキリとしたコンソメスープと、野菜とソーセージの出汁だしをまとった、とても濃厚なじゃがいもだった。明らかにじゃがいもが主役の料理だった。


 かぞえかけるは、夢中でポトフを食べた。知らない味だ。こんなポトフ、食べたことがない。

 かぞえかけるは、知らない味を夢中で食べた、そして瞬く間にスープ皿はからになった。


「おかわり、おもちします?」


 関西弁のメイドの女が、絶妙なタイミングで、コップに水を汲みながらニコニコとはなしかけてくる。


 かぞえかけるは、その水をいっきに飲み干した後、


「いや、もうけっこう。美味しかったです」


 と、シンプルだけれども、最高の賛辞を述べた。


「変わった味のポトフですね。なんというかジャガイモが、くにゅくにゅとやわらかくて、つかみどころがないというか……」


「はい。まるで、お客様の性格みたいです」

「え?」


 メイドはニコニコの笑顔のまま話をつづけた。


「日柱、乙酉きのとひつじ、一見自身なさげに見えるけど、その実いろんなところに気が回る。ちょっとむちゃぶりされるくらいが、実力が発揮できるタイプです」


「……は、はあ」


「なんや、今年、運命の人と会うと出ています。公私ともに最高のパートナーです。なんや新しく配属される部署の上司さんみたいやね。結婚するってでてます」


「は? 結婚! 冗談じゃない!!

 私には、妻と子供もいるんです。離婚なんて冗談じゃない!」


「もちろん、奥さんとお子さんとも一緒です。一緒に幸せに暮らすて出てます。

 このポトフと一緒です。いろいろごった煮やけどぜーんぶおんなじ鍋にぶち込んだほうがかえってスッキリします」


「ば、バカバカしい!!」


 メイド女の失礼な物言いに、かぞえかけるはすっかり酔いが覚めてしまって、千円札を「バン!」とカウンターにたたきつけて店を出た。


 カランコロンカラン


「ありがとうございました。おおきに」

 

 さて、メイドの女にかなり失礼なことを言われたかぞえかけるは、結局メイド女の言ったとおりの人生をたどることになる。気になる方は、こちらをごらんくださいませ。

https://kakuyomu.jp/works/16816700428628813408

 


 あとついでに、この不思議なお店については、こちらをごらんくださいませ。

https://kakuyomu.jp/works/16816452219064660229


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真夜中のポトフ かなたろー @kanataro_

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