Chocolate - Ana Frango Elétrico

 チョコレートが甘くてよかった。

 混雑した電車をようやく降りてパスケースを出そうとコートのポケットをまさぐったとき、キャンディチョコレートの包みが指先に当たった。疲労で飽和した頭のまま、改札でピッとやったその手でそれを口に放り込んだら、浮世離れしたような猛烈な甘さが口の中でとろけた。何の気なしに口に入れてしまったけれど、もしこのチョコレートが好みの味じゃなかったらきっともう一歩も歩けなかっただろうと、甘さの中で今日一日の疲弊を実感する。

 同じ電車を降りた人たちが、明るい駅舎からそれぞれの方向へちりぢりになってゆく。しばらくして周囲に人の気配がなくなってから、ようやく深い息をつくことができた。

 朝から夜まで、体の半分くらいの浅い呼吸。時折その浅い呼吸すらも詰まるような、小さなストレスと我慢の数々。進行方向の夜道に白い息を吐きだしながらそれらを思い返そうとしたが、その一つ一つはとるに足らない些細なことばかりだ。

 そんなの気にするようなことじゃないよ。友達や家族に愚痴をこぼすたびに同じことを言われた。みんな大変なんだよ。今のところ辞めたって、また同じようなことで悩むだけだよきっと。

 そうだよね。私もそう思う。でもこの気持ちの落としどころがわからないのだ。飲み込んで行き場を失った言葉たちを、なかったものとしてしまっておく場所がもうあまり残っていないかもしれないのだ。いつしか心がそれらに埋もれてしまったとき、一歩先も見えなくなるような暗さが、天井を見上げたままいつまでも起き上がれない重さがやってきそうで怖いのだ。それは次の朝目覚めたときかもしれないから、知りたくもないことをスマホで延々と調べながら、国道沿いの車の走行音を聴きながら、ろくに眠れないまま朝が来る。

 一日の締めくくりが思い通りにならないだけですべてが崩れ去ってしまいそうなあやうさ、そのような一日の終わりに今まさに自分は立っている。それはつまり静かな激流の中で身動きが取れないのだと思うと、いっそのこと流れに身を任せてしまいたくなる。そこに身を委ねたらどこへたどり着くのか考えるのが怖い、ただその一心で今この場所に留まっているだけなのだから。

 何も好転したわけでもない。何も解決していないし、何も進展していない。明日のこともわからない。ただ、今日一日を乗り切った。今日も国道沿いのアパートに帰ってこられた。溶けきったチョコレートの甘さとともに。


*


◆Chocolate - Ana Frango Elétrico

 Ana Frango Eletrico(アナ・フランゴ・エレトリコ)はブラジル・リオを拠点に活動するシンガーソングライター。アーティスト名のポルトガル語Frango Elétricoとは英語で”Electric Chicken”という意味なんだとか。


 タイトルどおり、チョコレートの甘さがとろけるような楽曲です。多重的なサウンドがつぶやくような歌声と相まって、聴いているとふわふわした幸せな気持ちに包まれます。

 この楽曲からは甘い甘い多幸感と同時に、そこはかとない寂しさも感じられます。幸せいっぱいなこの時間はあくまでも刹那的なものであって、その幸福が終わった後の寂寞に思いをはせているような。だからこそ今はこの幸福にどっぷり浸ろうよ、と手を引かれて気持ち良くなれる楽曲です。

 上で書いた物語もそんな話にしようとしたのですが、どんよりしたところから一瞬ちょっと浮き上がったみたいな、真逆の動きをする話になってしまいました。

 寂しさを語るとき、寂しさそのものを表現するのではなくて、幸福の裏側みたいなポジションから語るのは素敵だなと思います。


(Chocolateとあわせて聴きたい)

◆Boom Clap - Charli XCX

 恋のドキドキを歌った楽曲ですが、初々しくて一途な歌詞に対してどこか寂しげなメロディーが良い意味でミスマッチ。

 タイトルの”Boom Clap”って、ネイティブの方的にはどんなニュアンスなのかちょっと気になります。

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