ショートショート・プレイリスト

各務

She Brings The Rain - CAN

 土管の外に雨が降っている。

 冷たい雨は誰もいない公園に降りしきり、むき出しの地面にしみ入り、土や砂場やブランコを濡らして、今私がうずくまっている土管のコンクリートを濡らす。暗い土管の中で息を吐くと白く濁り、暗いとも明るいともつかないぼんやりとした光のようになってすぐに消える。

 私の隣で白い息がもう一つ立ち上っては同じように消える。彼女は膝を丸めて座り込み、土管の丸みに背中を沿わせるようにして丸めた膝の上に顎先を乗せて土管のどこか一点を見つめている。

 いつからかクラスであぶれてしまった私と彼女は、余りもの同士の磁力によってみるみる引き合った。

 彼女と家出しようとしていた。「みんなをびっくりさせたい」という彼女の言葉は、大きな不満はないけれどなんとなく鬱屈していた私にとってとてつもなく魅力的だったのだ。

 校内で密かに進めていた家出計画を、ある日の放課後に決行した。細部にまでこだわった持ち物リストは予定外の大雨によって何の役に立つこともなく、くしゃくしゃになって今もランドセルの一番奥底にはりついたまま。


 今、何時なんだろうとふと思う。公園の大きな時計ですぐに確かめられるのに、私も彼女もそれをしようとしない。一歩外に出たら誰かに見つかってしまうのではないかと思うのと、ここから動いた瞬間にこの時間が終わってしまうような気がして。

 硬いコンクリートに接した尻や背中が痛く冷たく、寒さが全身に染み込んでゆく。土管の外はすっかり暗いから、きっともう五時過ぎだろう。いつもだったら学校から帰って、家で一息ついている時間だ。家族がきっと心配している。きっと彼女の家族も。

 どちらが先に折れるのか。どちらが先に、もう帰ろうと言い出すのか。彼女と私はもはや我慢比べのようになっていた。

「ねえ」

 先に口を開いたのは彼女のほうだった。

「クイズでもする?」

 てっきり彼女が折れたと思ったのに、意外な提案に私は笑ってしまう。

「なんでこんなときにクイズ?」

 言った後、こんなときってどんなときだろうと思う。私たち二人にとっては長い間あたためていた家出計画の実行日に他ならないが、何も知らない他の人たちにしてみれば、ただいつもより少し帰りが遅い日でしかないのかもしれなかった。そこから何事もなかったようにあたたかい家に帰るのか、刻一刻と家族の不安を募らせていくのか、そろそろ決めなければならない。

 気を紛らわせようとしていたらしい彼女はもちろん気を悪くした。

「もういいよ」

 そう言ってそっぽを向き、土管の外を眺める。

 彼女の小さな後頭部の向こうに土管の出口が丸く立ちはだかっている。なんだか巨大な何かに彼女が吸い込まれそうに見えた。

「ごめん、やっぱりなぞなぞやろう。問題出して」

 私が引き止めるように言うと彼女はゆっくり振り返る。しぶしぶといった様子だった。

「じゃあ問題」

 もったいぶる彼女の呼吸の間に雨が降りしきる。


「あなたは今、雲の上にいます。目の前には二つ扉があって、一つの扉は天国へ、もう一つの扉は地獄へ続いています。

 扉の前には門番が一人ずつ立っています。一人は必ず正直なことを言う天使の門番で、もう一人は嘘ばかりつく悪魔の門番です。門番は同じ見た目で、どちらが天使か悪魔かはわかりません。

 あなたは一人の門番に一回だけ、質問をすることができます。質問は『はい』か『いいえ』で答えられる質問でなければなりません。天国に行きたいあなたは、なんて質問すればいいでしょうか」

 難解な設定を聞きながら、私は途中から上の空だった。静まり返った公園で、この世の行き止まりのような土管の中で、天国や地獄や、天使や悪魔は恐ろしげな響きを持って土管の中に小さく響く。私はなんだか途方もなくなって、すぐに考えるのをやめてしまった。

「わかんない。ギブアップ」

「えー、もう降参?」彼女は誇らしげに笑う。

「正解はね、『この地獄の扉は天国に続いていますか』って聞けばいいんだよ。天使ならいいえっていうし、悪魔ならはいっていうでしょ」

 地獄の扉が天国に。なんだかそれは私たちの家出の真似事とどこか重なりそうで、やっぱり何にも重ならないような気がした。

 家出ではなくて冒険がしたかったのかもしれない、と私は思う。今度はこんな暗い家出ではなくて、楽しい大冒険をしたいと思う。土曜授業の後や日曜日に待ち合わせをして、どこか遠くへ。

「だって、地獄の扉が天国に続いてるわけないからさ。こっちから嘘の質問をするの」

 彼女は得意そうに解説してくれる。

 彼女の声は土管の中に心細く反響して、すぐ雨の音に打ち消される。雨は春の匂いがする。少し弱まってきたけれど、また強くなりそうだ。


*


◆She Brings The Rain - CAN

 CAN(カン)は1968年に西ドイツで結成されたバンド。楽曲には聴けば聴くほど深みにはまるような味わいがあります。

 半世紀以上のキャリアを持つ彼らの音楽的な功績については到底書ききれませんし、プロの方々がたくさん論じているので省略します。クラウトロック、オルタナティヴ、サイケデリック、ニューウェーヴ……あらゆる文脈で彼らの音楽が語られますが、ずぶの素人である私は彼らの楽曲を聴いてしみじみと「良い!!」と思うことしかできません。ですので、「良い!!」という感動を貧しい語彙なりに語ったのが上の物語になります。


 CANとの出会いは中学生のころ。何かの音楽誌で坂本慎太郎(そのころはまだゆらゆら帝国)のインタビューを読んでいたのですが、そこで彼がCANについて言及していました。日本で唯一無二のサイケデリックロックバンドであるゆらゆら帝国と、なんだかとてもかっこよさそうな異国のバンドCANがそこで初めて繋がりました。

 今あらためて聴いてみると、晩年のゆらゆら帝国はCANの世界観とかなり近いところにいるように思います。


 2010年にゆらゆら帝国が解散したときの衝撃は今でも忘れられません。

 解散の理由は「完全にできあがってしまった」から。今書いていても痺れるような言葉です。

 当時高校生だった私は、その理由にどうしても納得いきませんでした。『発行体』や『ズックにロック』、『すべるバー』。ここではないどこかへ向かっているような疾走感、そこにもたらされる焦燥を伴ったような恍惚感。ロックを聴き始めたばかりの私は、ゆらゆら帝国の楽曲が大好きでした。

 2007年、そこから大幅に方向転換して名盤『空洞です』のリリース。疾走感のあるギターサウンドを封印し、音数を極限までそぎ落とした濃密なアルバムです。

 最初に聴いたときには正直、物足りなさを感じてしまったことを覚えています。なんだか寂しい感じで盛り上がりに欠ける曲たち……これのどこが「完全にできあがって」いるんだろう? 若かりし日の私はいつまでも不可解でした。


 CANを聴くようになった今、その言葉の意味が自分なりにわかったように思います。「できあがる」ということは「すべての音が”正解”の場所でする」ことなのかなと思います。ギターの音色ひとつとっても「この場所以外でこの音がすることはありえない」という追究の積み重ねのような。うねりながら上昇していくのと同時に、ものすごい勢いで下降していくみたいな。それらを積み重ね、突き詰めていくことによってやがて一つの場所に到達し、それを「完全にできあがって」しまうというのではないでしょうか。

 ずぶの素人の知恵を総動員して上の結論にたどり着きましたが、書きながらみるみる自信がなくなってきました。いずれにしても、彼らの生み出す緊張によって研ぎ澄まされたグルーヴが私は大好きです。


 話がそれてしまいました。さて、表題曲のテーマは「雨」です。

 気だるげな、鉛のようなベースの音が印象的な楽曲です。ぽつぽつと小さく、しかし重たく降る雨と、そこから波紋のように広がる不安が想起させられます。

 この楽曲がフォーカスしているのはもちろん「雨」ですが、同時に「雨の周辺物」も自然に頭に浮かんでくるように思います。

 この楽曲から浮かんでくる周辺物はどんなものでしょう。暗い空、湿った空気、淀んだ部屋の中、……次々に浮かんでくる情景を書きとめたい気持ちに駆られます。

 こういう周辺物って、個人的にものすごくグッとくる要素です。

 周辺物はそれ固有で存在するのではなく、それを取り巻く世界との関係性によって成り立っています。世界の見え方は人それぞれ固有のものですが、その固有を突き詰めて考えたときに一つの普遍性が見出せるのではないかと思います。

 フィクション(小説)を書くことと読むことには、まさにその固有と普遍の関係が当てはまるのではないかと考えます。フィクションを書くということは、固有を描きながら一つの普遍を忍び込ませるという働きで、フィクションを読むということは、読者がその普遍を発見してそれぞれの固有に落とし込むという働きがあるのかなと思います。

 たとえば小説を読んでいると、懐かしい匂いがわき立ったり昔の風景を突然思い出すことがあります。そういうときには勝手に、上のような普遍と固有のことを思ってしみじみしています。そして、そういう読み方ができる小説は素敵な小説だと思います。


 ところで、坂本慎太郎はCANについて、最近のインタビュー(2021年)で「いろんな切り口で聴き直す要素があるのがカンだと思う」と述べています。

 すなわち、それほどに彼らの音楽の懐が広く深く、聴く人それぞれの固有に落とし込める普遍性を持っていると言えるのではないかと思います。そして、そのような聴き方ができる楽曲そのものの強度にただ感服するばかりです。

「強度」と書いていたとき、一本の柱のイメージが思い浮かびました。それは、派手な装飾や奇抜なデザインを施した建造物と対極にあるものだと思います。そしてCANもゆらゆら帝国も、私の中では無駄を極限までそぎ落とした「柱」というイメージです。

 長いこと雨風を浴び続け、それでも決して倒れることのない、曠野の中にただ屹立する一本の柱。そのモチーフは時代や環境によって様々な見方ができると思います。あるときは不変の象徴として、あるときは不自由さの象徴として、あるときは抽象的な不安として、あるときは未知の物体として。

 傷だらけの柱は、そこにあるだけでかっこいいなと思います。


 と、思ったよりとても長くなってしまいました。執筆の息抜きに書いていたつもりが、執筆のほうがまったく手につかなくなり本末が転倒してしまいました。今回は以上です。


(She Brings The Rain とあわせて聴きたい)

◆Dancing in the Moonlight - King Harvest

 雨が上がったあと、月明かりの下で踊りたくなったときに聴きたい一曲。

 上の物語の二人が家路に着くころにも雨が上がって、踊りながら帰れたらいいですね。

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