真夜中サマ

こざくら研究会

真夜中サマ

 あやねえは、山の中で一度、行方不明になった事がある。警察にも連絡が行き大事になった。だけれど、翌日、ひょっこり戻って来た。何でも神サマが助けてくれたらしい。

 神サマは、それ以来あやねえを助けてくれるそうで、山では絶対に迷わないと言っていた。


 あやねえは僕より二、三歳年上で、母親の伯母おばと一緒に祖母の家に住んでいる。ちょっと変わっていたが僕にはとても優しかった。

 近くに住んでいた事もあり、良く遊びに行き、一緒に野山を駆け回った。

 あやねえは何時も言っていた。

しょうはずっとわたしと居てね。お嫁さんになってあげる」



 僕は祖母の家で苦手なものがあった。それは夜だ。

 山の中の古い家、電気を消せば真っ暗だ。それに、外で風が吹くと、建付けの悪い戸や窓がガタガタと震えた。

 祖母の家に泊まった時、長い廊下の先にある、トイレに行くのがとても怖かった。

 だから僕は、横で寝ているあやねえを揺り起こし一緒に付いて来て貰うのが常だった。

 怖がりだなぁ、と言われたが、あやねえは怖くないのか聞いてみた時があった。

 あやねえも、小さい頃は、怖かったと言う。だが例の神サマと会ってからは、深夜になると話しかけてくれ、また、夢の中で一緒に遊んでくれるようになって、今は夜は怖くないと言う。

 その神サマを、あやねえは真夜中にしか会えないので、真夜中サマと呼んでいるのだそうだ。



 僕が小学校に上がる頃、あやねえは病気になった。入退院を繰り返すようになる。

 あやねえは、白い肌と長い黒髪もあいまって、黙って布団の上で寝ていると、人形のように見えた。かつての日焼けした姿はもうどこにもなかった。

 それでも僕は遊びに行った。一緒に本を読んだり、テレビを見たりして過ごした。また、僕を自身の布団の中に招き入れ、本を読んでくれた。

 この頃のあやねえは本当の姉のようだった。

 祖母や伯母おばからは、あやは何時も喜んでいる。来てくれる人も少いから、これからもよろしくねと言われた。

 実際そうだったのだろう。僕が通い続けられたのは、あやねえの事が大好きだったからだと思う。



 だが、僕も歳を重ねると、学校での友達も増えた。また、女の子の家に足繁く通う事に恥ずかしさを覚えた。結果、疎遠になった。

 それでも長期の休みには、必ず顔を出すようにはしていた。



 小学六年の春、両親に、転勤の為、遠くに引っ越ししなくてはいけないと聞かされた。

 布団の上から力ない笑顔を向けるあやねえの顔が真っ先に思い浮かんだ。

 だけれど僕は、あやねえにどう話したらいいのかわからず、祖母の家に行ったのは、引っ越し前の、最後の土曜日であった。

 久し振りによく来たねぇと、祖母や伯母おばが喜んでくれる。

 あやねえの部屋に行くと、より細く、白くなったように思えて、何だか悲しくなって、泣き出してしまった。

 あやねえが布団から這い出ると、僕の頭を抱きしめて、泣き止むまで撫でてくれた。

 それから、今日は最後だから、昔みたいに一緒の布団で寝よっか、と言った。

 僕はあやねえの笑顔に甘える事にした。

 そうして、ご飯も一緒、お風呂は僕が拒んだ。寝るのも一緒。

 寝る時、また悲しくなった。

 そんな時、起きてる? 行こうと声がかかった。

「どこへ?」

「真夜中サマの所」

 僕はその名前をずっと忘れていた。トイレの帰り道を思い出す。

 夢の中でしか会えないんじゃないかと聞くと、本人でなくその神社に行くと言う。


 僕達は足音を忍ばせて、家を出た。

 あやねえは、隠し持っていた懐中電灯を点けると、僕の手を引いて深い谷へと向かった。大人から絶対近付くなと言われていた所だ。

 不安がる僕に、安全な道を真夜中サマに夢の中で聞いたから大丈夫、と言った。

 谷の傾斜に足を踏み出し、腐葉土の上を滑り落ちないように慎重に歩く。着いた先は、巨大な岩の前。そこには地下へと続く黒い穴が口を開けていた。

「ねぇ、止めようよ」

 そう言うが、あやねえは平気と言い、懐中電灯の光を頼りに、その深淵に足を踏み入れる。

 あやねえだけを行かせる訳にはいかないと思い、繋がれた手を強く握り返すと後に続いた。

 そこは、まるで玄室のようだった。黒いごつごつした岩で作られた小さな部屋。中央には、平べったい石があり、その上には花冠が二つ、置かれていた。

「ほら、あった」

 何がほらだかわからないが、あやねえは得意そうに言った。

「ここで、どうするの?」

 僕がそう言うと、あやねえは、僕に振り向き首をすくめた。

「誓いは、神様の前じゃないとダメだから」

 僕は何の事かわからず首をかしげた。

「ずっと、一緒に居てくれるって言ったでしょ」

 あやねえは僕をじっと見つめて聞いて来る。

 僕は、ずっとわたしと居てねの言葉に、頷いていた事は憶えていた。でも、もうすぐ引っ越しをするのだ。

「ずっと一緒にわたしと居たい?」

 恐る恐る聞いて来たその言葉に、僕は正直に、うんと答えた。

 あやねえは心底喜んでいるような笑顔を浮かべてくれた。

「じゃ、もう一つの約束、結婚しよ」

 僕は戸惑った。結婚って何をするんだと。以前、させられたおままごとを思い出し、指輪を交換すればいいのかな、なんて思っていた。

 あやねえは石の上から花冠を持ち上げると、一つを僕に差し出した。

「お互いにお花の冠をかけあうの。そうして永遠の愛を誓うのよ。いいでしょ?」

 僕は結婚についてよく知らなかったので、あやねえの言葉に黙って従った。

 花冠を手に取り、互いの頭にかけあった。

 そうしてあやねえは屈むと、僕の唇に自身の唇をくっつけた。つるんとして、唾液が少し唇に触れあって冷たかった。

「これで何があってもずっと一緒」




 僕が、中学に上がり二年の夏、あやねえは失踪した。今度は翌日に発見される事もなかった。

 そして、入れ替わるように手紙が来た。差出人は不明。そこには、崩れた文字で、早く来て。真夜中サマが焼きもち焼いてる。アイツが来ないなら、俺が貰っていくぞって言ってる。だから早く来て、と。

 僕は学校を休んだ。何も手が、つけられなくなった。



 月日が過ぎ、どうにか入った高校で、二年になった夏、ずっと両親から誘われても行かなかった、祖母の家に行く日がやって来た。祖母が、亡くなったのだ。

 両親は僕の事を心配し、辛ければ来なくてもいいと言ったが、行くと言った。


 父の車に乗って、祖母の家に着くと、伯母おばが僕の姿を見付け、よく来たねと言ってくれた。かなりやつれていて、頭髪も白いものが多くなっていた。


 葬式が終わり、伯母おばと両親とで、祖母の家に戻った。一泊し、翌日帰る事となる。

 伯母おばに、何時も寝ていた部屋で寝るかと聞かれ、頷いた。

 あやねえの部屋に行くと、あやねえの布団が敷かれていた。その布団に潜り込んだが、あやねえの息遣いも感触も、何も感じられなかった。


 僕は何時の間にか眠っていたようだ。目を醒ます。

 トイレに行きたくなって、あの木製の廊下に踏み出した。廊下の灯りを点ける。黄色い豆電球の光が灯る。

 用を済まし帰る時、風が戸を叩く音が聞こえた。そしてその音に混じって、小さな笑い声が聞こえた気がした。

 耳を澄ます。また小さな笑い声。

 僕は以前この廊下で、聞いた真夜中サマの話を思い出した。

 そして三度みたび、今度はふふっと、はっきり声がした。外からだ。

 僕は恐ろしいと思うより、あやねえが帰って来てくれたのだと思った。そして、この機会を逃したら、二度とはない。そんな予感があった。

 慌てて玄関に向かうと靴を履き、パジャマ姿のまま飛び出した。

 月は、照っている。木々の合間を、走り抜ける影を見た気がした。その先は深い谷。あそこだと思った。僕と、あやねえの約束の場所。

 駆ける。足場の悪い腐葉土の地面を、その感触が、木々の中にいる環境が、すべてあの時を思い起こさせた。あやねえに追い付かなきゃ。追い付いて、もうどこにも行かせないようにしよう。

 そうして岩の見える所まで来た時、白いものが、岩陰にさっと引っ込んだのを認めた。

あやねえ!」

 僕は叫んだ。だが返事はない。

 黒い穴の所まで行く。

 そして僕は聞いた。すすり泣く、声を。その声は、とても懐かしい響きを持っていた。

 黒い空間の中で明りがつく。何時か見た懐中電灯の光。懐かしいパジャマ。長い髪、小さな細い背中。

 僕はその空間に入り、中央にいるそのか細い背中に手を伸ばした。

あやねえ、今、迎えに来たよ」

 そう言って、その肩に触れるか触れないかの時に、あやねえは、突如振り返った。


 灰色に歪んだ皮膚。口はばか見たいに溶け落ちて大きく開いていた。目も、鼻も大きく大きく黒い穴が開いているだけで、その穴や口には、ミルク色の小さな蛆虫たちの塊が詰まって蠢いていた。伸ばした僕の手がつかまれた。すると、ソレの腕の、肉の部分が崩れ落ち、中から筋や血管と一緒に蛆虫たちが零れ落ちた。

 おあああああああ、そんな声だったと思う。洞窟の中を強風が通り過ぎ、音を鳴らすようなそれは、その歪んで顔の半分程の長さに縦に広がった口から発せられた。

 引っ張られる。ソレの背後には何処までも続く深淵があり、ソレはそこに落ち、腕を掴まれた僕も、


「何をやっているの!!」


 大きな叫び、僕は胸に腕を回され、後ろに引き倒された。

 懐中電灯で照らして来る人物は伯母おばだった。

 僕は呆然としていた。何が起こったのかわからない。

「追って来て良かった。こんな所で、何をしているの」

 伯母おばの言葉に、僕はただ、あやねえが、とだけしか言えなかった。

 伯母おばは僕の言葉に一瞬ぎょっとした表情を見せるが、うつむく。

「ここは捜索隊の人に下りて探して貰ったわ。人の隠れられる所はどこにもないわよ」

 そんなはずはないと這うようにして穴に近付き、覗き込むと、伯母おばは懐中電灯で穴の中を照らしてくれた。

 そこは落ちたら、ただでは済まなそうな、ゴツゴツとした岩だらけの底だった。だが底は浅く、横道はどこにも見当たらない。

 呆然とする僕の肩に、伯母おばは優しく手を置いた。

「さ、帰ろう。しょうくん。それともう、ここには帰って来ない方がいいかも知れない。あの子と、仲が良すぎたから」




 僕はあれから田舎には帰っていない。あやねえも見付かっていない。だけれど真夜中、耳を澄ますと、時折、小さな笑い声が聞こえる気がするんだ。

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