復讐の先に光はあるか
小石原淳
夜歩く
出発の準備を整えた男は、時計を見た。午前0時ちょうど。
(いい頃合いだ。あの場所――奴の家まで徒歩で十五分もかからないと思うが、念のため、早めに発つとしよう)
家を出た途端、男は身震いをした。無意識の内に首をすくめ、黒いアスファルト道に視線を落とすと、鼻の頭をこする。
(うー、寒い。この地に越してきて一年と……九十九日か。まだここの環境に慣れたとは言えないな)
心中で独りごち、しばらく考える。やがて首を横に振った。
(今のように寒さを感じて、もう少し着込んだ方がいいと判断して、一枚羽織ると、いつの間にか汗を掻くほど暑いなんてこと、ざらにあった。
それにこのあと控えている“仕事”を考えると、現時点では寒いくらいの方がいいだろう。“仕事”――復讐を果たしたとき、きっと興奮で全身がかっかしているに違いないのだから)
そう、男は復讐を果たすために、こんな真夜中に家を出るのだ。空に月も雲もないが、風が少々吹いていた。復讐への道の険しさは、この程度で済むだろうか。人目についてはいけない。夜道を静かに進む必要がある。もちろん、灯りなんて持たずに。今の時間帯、どの建物にも灯りは点いていないし、財政の都合で数少ない外灯も同様だ。
男は慎重に歩を進めながら計画のおさらいを始めた。
復讐には凶器が必要である。なので本来なら予め用意しておき、目的を達成した後に速やかに処分するのがよい。男も分かってはいるのだが、実際には凶器を携帯してはいない。それ以上に、他人に見られる可能性に注意を払わねばならないからだ。万が一にも誰かと出くわし、興味本位であろうと何であろうと持ち物を調べられるようなことになれば、そこで終わる。
考えた末に男が執った手段は、家を出るときは手ぶら、凶器は犯行を予定している現場のすぐ近くに、前もって保管しておく、というもの。凶器を持ち帰ることはできないので、現場か帰途で処分せねばならないが、その辺りも考えてある。食べられる凶器にしたのである。
(ウミスズメの冷凍肉……僕の口には合わないが、腹を空かせておいたから大丈夫だ。むしろ気を付けるべきは、カットする時間だな。かけ過ぎないように練習を重ねてきたが、本番ではどうなるか。この気温なら何とかなると信じるしかない。いざとなれば、奴の家の火を使って……)
午前0時10分。目的地まであと少し。白い息を吐き、男は自然と急ぎ足になっていた。風はさらに強まった。しかも向かい風。男はやや俯いた。と、そのとき、視界に入った物があった。
(あ、あれは――なんて不吉な)
男の注意を否応なしに引いたのは、彼の国では伝統的に、不吉な物事の象徴とされている漆黒色の小さな四つ穴ボタンだった。
男は半ば呆然として立ち止まり、夜の黒いアスファルト道に落ちていた真っ黒なボタンに恐る恐る手を伸ばした。小さなボタンにあいた小さな四つの穴に魅入られ、吸い込まれそうな心地になるのを堪えて、手のひらに載せる。
不吉な物だが、見てしまったからには放置できない。放置すればより強い不吉な物事が当人を襲うとされている。
(ああ……これを見付けてしまったということは、復讐をやめろというお告げか? 無念だ。少なくとも今晩の決行は中止せざるを得ない)
男は改めてつまみ上げたボタンを見つめ、ため息をついた。白くなった息が、きつい寒風に、あっという間に吹き流された。
(それでも、本当に無念だ)
男は立ち止まったまま、天を仰いだ。
目を細める。
太陽が眩しかった。
白夜の太陽が。
了
復讐の先に光はあるか 小石原淳 @koIshiara-Jun
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