3333段の石段の先に、願いを叶えてくれる猫がいるらしい

霜弐谷鴇

第 話

 3333段続く石段の第一段目が、懐中電灯の灯りに照らされて光っている。



「深夜二時、ひとりきりで3333段の石段を登り切った先に、一匹の猫が待っているらしいよ」


 誰が言い始めたか、そんな噂が耳に入った。


「その猫は、たった一つだけ、なんでも願いを叶えてくれるらしい」


 なんとも都合のいいことだ。


「深夜三時にはいなくなってしまうから、急いで登らないといけない」


 どうやら深夜二時から登り始めて、深夜三時には登り切らないといけないらしい。


「だけど気をつけなきゃいけないよ。登り切るまでの間、猫が手を貸そうかと声をかけてくるらしいんだけど、決してその猫の手を借りてはいけないらしいんだ」


 なぜなのか、何が起こるのかは誰も教えてはくれなかった。



 時計を見ると、ちょうど深夜二時をまわったところだった。私は第一歩を石段の乗せると、そこからテンポ良く登り始めた。


 リミットは深夜三時までの一時間。なんとかして叶えたい願いがあった。馬鹿みたいだと言われるかもしれないが本気だ。


 夜の闇に包まれながら、手に持つ懐中電灯の灯りを頼りに一歩ずつ踏み締める。心が折れないよう、段数を心の中で数えた。


 最初の1000段は、意外にもあっという間に過ぎた。時間にして15分。これなら大丈夫そうだと安心したのも束の間、傾斜が厳しくなった。


 息が上がり太ももが悲鳴を上げ始めた。しかしペースを緩めるわけにはいかなかった。そんな折、石段を一歩外れると広がる真っ暗な闇の中に、小さな光が2つ浮かび上がった。


 猫だ。


『やぁ、辛そうだね。お手を貸そうか?』


 猫が喋った。だが、不思議とおかしいことだとは思わなかった。噂通りに猫が話しかけてきたなと思っただけだった。


 この誘いに乗ってはいけない、と無視を決め込み石段の黙々と登った。


『きっと、後悔するよ』


 後ろから猫がそう言うのが聞こえたが、やはり無視をした。


 厳しい勾配を抜け、少し緩やかになった頃には、段数は2000段を超えていた。時間にして35分が経っていた。ペースは落ちたが、まだ間に合いそうだ。


『足の疲れ、とりましょうか?』


 また別の猫が脇道から声をかけてきた。太ももはパンパンで、ふくらはぎと脛が痛んだ。足を交換してしまいたいくらいだった。


『私のお手を借りてくださらないのでしたら、脚をお貸ししましょうか?』


 願ってもない提案だった。猫の脚だ、さぞかし軽やかに進めることだろう。そう思い、猫の方を見る。ぞわり、と鳥肌がたった。猫の2つの目が光って浮かんではいたが、体が闇に溶けて見えない。なんだか、ひどく恐ろしい生き物に見えた。


 魅力的な提案だったが、私は無視して進むことにした。よくよく考えれば、猫の手とは前脚のことなのだ。脚を借りるということは、手を借りることになってしまう。


 それからも、何度も何度も別の猫が代わる代わる声をかけてきた。


『お兄さん、一休みしなよ。お茶を出してあげるからさ』

『肩を揉んであげようか?』

『この手を取ってくれたら、願いを叶えてあげる』


 様々な性別の声で、何度も何度も誘われる。しかし段数を数えることで頭をいっぱいにして、ただただ登った。なんとしても、登り切った先で願いを叶えてもらうために。


 どこまで正確に数えられていたかはわからないが、おおよそ3000は間違いなく超えたところで、石段がなくなり、広い空間に出た。登り切ったのだ。時刻は深夜の二時五十分、間に合った。


 辺りをキョロキョロと見回す。


 猫はどこだ。どこにいる。


『やぁ、お疲れ様。よぉく登ってきたね、よく頑張ったね。さぁ、願いを教えて?』


 猫はひどく優しい柔らかな声で問うてきた。俺は整わない息のままに願いを口にする。


「妻に、妻にもう一度会いたい。喧嘩なんてしなきゃよかった、あの時引き留めておけばよかった。会えなくなるなんて、どうやったら想像できるっていうんだ」


『うん、うん』


「いつも弁当ありがとうって言いたい。お前がどれだけ家を綺麗にしてくれていたか、やっとわかったよって。やり直したい。妻に会いたい」


『それが君の、願いかい?』


「あぁ、そうだ。願いを叶えてくれるんだろ?」


『もちろんだよ。さぁ、この手を取って』


 猫は前脚を片方上げ、前に突き出してきた。藁にもすがる想いでその手を取る。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「あれ? そういえばあの人しばらく見ないな」

「あぁ、なんかやめたらしいよ、会社」

「へぇ、なんかあったのかね」

「知らない。けど、なんか退職の電話が変だったって」

「変?」

「後ろから、ずぅーっと猫の鳴き声がしてたんだって」

「うぇぇ、こぉわ」


 喫煙室での他愛ない雑談が聞こえてくる。


「そういやさ、この前話してた、あの噂」

「あぁ、3333段の石段の話?」

「そうそう、あれさ」


 今日もまた、噂が誰かの耳に入る。


「3323段でひらけたところに出るんだけど、そこから少し歩いた先に最後の10段があって、お寺があるみたいなんだよね」


 そのお寺に着くまでは、絶対に猫の手を借りたらダメだよ。


 


 



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3333段の石段の先に、願いを叶えてくれる猫がいるらしい 霜弐谷鴇 @toki_shimoniya

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