占破物語−呪い子、白猫に主の守を頼みたること−

安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!

 トトトッという軽い足音に振り返れば、ちょうど御簾の下をくぐり抜けて白猫が入ってきた所だった。金色の鈴が通された赤い首輪をした白猫はしゃなり、しゃなりと室の中を進むと敦時あつときの数歩先でストンと腰をおろす。


 そんな白猫に笑みかけた敦時は、手にしていた筆を筆置きに戻すと白猫に向き直った。


「お疲れさま、りん。手間をかけたね」

『かまへんよぉ、困った時はお互い様さね』


 敦時が声をかければ、白猫から言葉が返った。臈長ろうたけた女性の声で言葉を紡いだ白猫は、次いで忍び笑いをこぼす。


『それにしても、童子どうじの主は面白いお人やねぇ。片っ端から厄介事にぶつかりに行っては、正面から全部木っ端微塵にしてくんやもの。いっそ爽快やったわぁ』

「うわぁぁ……やっぱりそうなったかぁ……!」


 白猫の言葉に敦時は思わず頭を抱えた。そんな敦時に白猫はさらに笑い声を上げる。


 敦時の主である久木宮ひさきのみや時臣ときおみは、一言で言ってしまうと破茶滅茶に破天荒な人間だ。どれくらい破天荒かと言われれば、今上帝と今は亡き中宮の間に産まれた御嫡男でありながら、『言動に難あり』という理由で廃太子にされたくらいに破天荒だ。そうでありながら滅茶苦茶に有能な御仁でもあるので、まつりごとの中枢にいる臣下達に臣籍降下を恐れられ、中途半端にいまだに皇族に列せられているという立場にもある。


 それに加えて本人はせんを始めとした慣習やら何やらを『己の運命は己で切り開く』と言い張って信じていないくせに、その実皇孫の先祖返りとして破格の霊力を身に宿している。そして本人がそれらのことに一切無頓着であるのがまた厄介なのだ。


「……一応、訊いてもいいかな?」

『何をやね?』

「彼、今日の宴で、一体何をやらかしてたの……?」


 そんな時臣に命を救われ、後に彼専属の蔵人所くろうとどころの陰陽師となったのが敦時である。


 敦時の使命は、陰陽師として時臣を支え、守ること……なのだが、どうにも最近は目付というか、お守りというか、……とにかく破天荒すぎる時臣の引き止め役として宮中では認識されているらしい。時臣も時臣で心置きなく話ができる敦時が傍にいると気が休まるようで、私的な宴や呼び出しには随伴として敦時を連れていくことも多い。


 だが本日の宴は、敦時が随伴するには敷居がいかにも高すぎた。


 何せ時臣を招いたのは現在の後宮の女主人で、集まるのは帝の御前で直に口をきくことを許されるような貴族ばかり……つまり時臣からしてみると、厄介な身内ばかりが揃った宴だったのである。


『貴族連中が振ってくるしょーもない噂話を「興味ない」の一言で片っ端からぶった切ってたやろぉ?』


 ──あぁ、いかにもやりそう……


『そうでありながら、事実と違う噂を聞きつけると「それは違う」と片っ端から訂正するやろぉ?』


 ──絶対やってる……


『で、最後には「そんなにしょうもない噂話にかまけてるくらいなら真面目に仕事の話でもしたらどうだ!?」やて。カタブツもあそこまでいくと面白いなぁ』


 ──ああぁぁぁぁ……!


 思わず敦時は頭を抱えてしまった。


 生まれも育ちもあまり良くはない敦時では宴の現場には入り込めない。だが時臣の様子は気になるし、何よりあんな魔物の巣窟に時臣を無防備なまま送り込むことは避けたい。


 悩みに悩んだ敦時は、苦肉の策として自分の代理を宴の現場に送り込むことにした。それがこの白猫姿のあやかし、鈴である。猫ならば宴の現場に潜り込んでも『あぁ、誰かの飼い猫が紛れ込んだのか』というだけで済まされるだろうと踏んでの選択だ。文字通り敦時は『猫の手を借りた』のであり。


『そんなんやから、童子が心配するような展開にはならんかったよ』


 鈴の臈長ろうたけた声に敦時は顔を上げる。そんな敦時の前で白猫はニヤリと不穏に笑った。


『それでもの話をゴリ押ししようとしてきた人間は、あてが衣に爪を立てたり、料理の器やら酒が入った杯やらをひっくり返したって、蹴散らしといたしなぁ』


 その言葉に、敦時の顔から表情が抜け落ちた。


 今上帝の第一皇子でありながら、時臣はいまだに妃を娶っていない。外に通う女がいるわけでもなければ、一度でも寵を得た女性がいたという話も聞かない。


 高位貴族の男児ともなれば、元服と同時に北の方を得るものだから、これは異常なことだとも言える。そしてその異常の理由を、敦時は知っている。


「……そう」


 時臣は、元服する前から決めていたのだ。


 生涯、妻は持たない。己の血は残さない、と。


「助かったよ、鈴」


 時臣は、後宮の女の争いのせいで早くに母を亡くした。その争いの中で揉まれて育った時臣は、その争いの醜さを知っている。そして長じて政に携わるようになった今は、皇位継承でも血の争いが起きることを知った。


 今の東宮は時臣の同腹の弟だ。時臣自身は今上帝とも東宮とも関係は良好だが、その良好な関係が下の代まで続くとは限らない。


 だから時臣は己の血から大切な人達との争いが起きぬよう、己の血を絶やすことを幼い頃から決めていた。


 だが周囲は、そんな時臣を許そうとはしない。時臣の心の内を知ったところで、己の内にある野心を隠そうとはしない。


だけは、場に出させちゃいけないからね」


 だから、敦時は決めていた。


 敦時だけは、何があっても、時臣の願いを守ってやろうと。


『あんさんも、大変やねぇ』


 敦時の顔から表情が消えた真の理由を知っている白猫は、ニヤリと笑った顔に別の感情をにじませた。


 それが憐れみか、嘲笑か、それとも別の何かだったのかは、敦時にも分からない。


『せいぜいその本心、気付かれないように頑張りや』


 そんな白猫の言葉に、敦時はゆるく瞳を閉じた。


 ……時臣から『妃は取らない』と告げられた時、敦時はこう思ったのだ。


 自分は男で良かった、と。男である自分は、生涯時臣の傍にいることができるのだ、と。


「……そんなんじゃ、ないから」


 そんなどす黒い感情を今日も綺麗にしまい込んで、敦時は白猫に答えた。白猫は笑みを浮かべたまま微かに首を傾げ、鈴の音とともに腰を上げる。


『また何かあったら頼ってや。童子がくれる魚は、いつも美味しいからねぇ』

「うん、ありがとう」


 敦時が答えると同時に、遠くから濡縁が踏み鳴らされる音が聞こえてきた。その音に敦時よりも先に気付いていたであろう白猫はヒラリと身を翻して姿を消す。


「敦時っ!!」


 騒々しい声が、今日また敦時を呼ぶ。


 敦時を、呼んでくれる。


「敦時! いるんだろうっ!? 出かけるぞっ!!」


 そのことに湧き上がる感情を瞬きひとつの間に綺麗に押し隠して、敦時は白猫が消えた御簾を上げて濡縁に顔を出した。


「時臣、君、さっきまで宮中での宴に呼ばれてたんじゃなかったっけ?」

「その宴で聞いた話なんだ! これはお前と俺の領分だ。だから……」

「いや、事件に勝手に首を突っ込むの、やめてもらえません?」




 宮を出迎えた陰陽師は、宮の肩に軽々抱き上げられると米俵よろしく易々と連れ去られていく。


 その光景を庭先から眺めていた白猫が、瞳を笑みの形に細めてミャウと一声鳴いていた。




【了】

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