最終話 煙と消える

 パトカーに乗せられる子どもの姿を、三人の魔法使い達が路地の奥から眺めていた。


「良かったのか? あれで」

「お前が引き取りたいなら好きにすればいいさ。ギル」

「……そうは言ってないけどさ」


 イーサンは煙草に火を付けると、ふーと煙を吐き出し、去っていくパトカーを見送る。


「あの子を連れていくなんて無理だ。そんな厄介事は引き受けられない」

「冷たいもんだな。あんなに懐いてたのに」

「僕らは悪い魔法使いだからね。今さら良い顔する必要なんてない」

「それは確かにな」


 ギルバートは壁に凭れているエリシャへと目を向ける。彼の瞳の色は、今や赤味が消え、黒く色落ちていた。


「お前は、どうするんだ? 魔力はもうないんだろ?」

「……そうだな。各地を回って、これからやる事を探そうと思う」

「本当の名前、返してあげようか? ここにあるから」


 とんとん、とイーサンが自分のこめかみを指で叩く。それを見て、ギルバートはにやりと笑った。


「タダじゃないだろ?」

「そりゃあ、ね?」


 イーサンも意地の悪い笑みを浮かべ、二人してニヤニヤと悪い魔法使い然とした顔をして、エリシャの方へと目を向ける。しかしエリシャは、そんな二人を冷たい視線で見返した。


「……いや、いい」

「あ、そう?」


 そんな素っ気ない返事に、イーサンは少しばかりがっかりした。借りを作るチャンスだったというのに。

 しかし当の本人はそこに何の未練もないようだった。


「この人生はエリシャに貰ったものだ。彼と共に、生きていきたい」


 それだけを望んでいたんだ、とエリシャは呟くように言った。

 イーサンはギルバートとちらと視線を交わし合うと、持っている煙草を傾けた。


「ギルは?」

「ボクも、どこか住める場所を探そうと思ってるよ。飢えるのはごめんだからね。それには、人の血が必要だ。何も知らない人間が、一番都合が良い」

「随分と開き直ったな」

「人間をたぶらかせばいいんだろ? なら、前とやってる事は変わらないさ」


 言ってギルが快活に笑うと、隙間から鋭く尖った犬歯が覗いた。でもその笑顔はすぐになりを潜め、彼の青い瞳に影が落ちる。


「……正直、先生に言われた言葉がなかなかに効いててね。ちょっとセンチメンタルな気分なんだ」


 彼の口から、完全に笑みが消える。


「先生の事は許せないけど、でもきっとあれは、ボクの本心でもあった。……解放された、って思ってる自分もいるんだ。……ちょっとだけ、ほっとしてる自分が」


 次の瞬間、ぱっと顔を上げた彼の顔には、またいつもの眩しい笑顔が張り付いていた。


「イーサン、お前はこれからどうするんだ?」


 イーサンは咥えていた煙草を放し、煙を吐き出してから言う。


「先生の呪いを解く方法を探すよ。この街は出る。かけられた呪いについて、何か情報を得られそうな人物を見つけないと」

「じゃあ、皆ここでお別れってわけだな。寂しくなるか? イーサン」

「冗談。狭苦しい生活が終わって、むしろ清々しいよ」

「はは、確かに」


 じゃあ、とギルバートとエリシャは手を上げ、それぞれ別の方向へと歩き去っていく。長い年月を共に過ごしたくせに、あまりに素っ気ない、しかしそれがとても二人らしく、しっくりきた。まぁ、こんなものだ。

 イーサンは深く息を吸い込み、雪がちらつく灰色の空へと煙を吐き出す。


 マーリンがイーサンに寄越したのは、不死の魔法ではなかった。これは呪いだ。

 "死ねない呪い"。

 流れこんできた魔女の記憶の中には、断片的な映像しか残されていなかった。

 呪ってやる、そう男とも女とも分からない声が響いている。

 暗い洞窟の穴の中で、呪ってやる、と反響した声が這い出してくるのだ。


「お前に死ねない呪いを与えてやろう。生まれてきた事を後悔するように。幾年も、幾年も、一人孤独に苛まれるように。どれだけ体が老いて腐っても、お前が救われる事がないように」


 穴の中から、ぬっと大きな鼻先が覗く。牙と、光を放つ目玉もある。鼻先は硬い鱗で覆われて、その巨大な体の全容は捉えられない。

 呪ってやる。

 洞窟に巣食う化け物は、喉を鳴らしてそう言った。そしていきなり襲いかかってきたかと思うと、凶悪な牙がこちらの体を切り裂いた。

 記憶は、それだけの事しか分からなかった。そこから先の記憶はさらに支離滅裂で、事の整合性など取れようもない。鏡に映った女の顔を見ていたかと思ったら、瞬きの間に全くの別人の顔になっていたり、深い森の中の風景が映ったかと思いきや、次の瞬間には枯れた荒野のただ中にいたりした。側にいる者達の顔も、目まぐるしく変わっていく。おそらく彼らや彼女らも、マーリンが今までに集めて従わせてきた弟子達なのだろう。

 だから結局のところ、イーサンでなければならない理由など、本当はなかったのだ。ただたまたま、自分を超えられたのが彼だけだった。


 イーサンはまた一口、煙を吸う。

 想いを馳せるのは、自分の記憶だ。魔女から取り戻した、かつての記憶。


「おいで、イーサン」


 あの人が手を差し伸べて、彼の名を呼ぶ。呼ばれた少年は素直にそれに従うと、おずおずと差しだされた手を握った。

 温かいその手の感触を、今でははっきりと思い出せる。何故ならその人と手を繋いだ事も、そんなふうに優しく彼の名を呼んでくれた事も、あまりに珍しい事だったからだ。


「母さん、今日は仕事で遅くなるの。それまで大人しく待っててくれる?」

「うん、待ってるよ」


 イーサンは聞き分けがいい良い子ね、とその人は笑う。まるで頭を撫でられたみたいに嬉しかった事を覚えている。


「ちゃんと待ってられるなら、何でも好きな物を買ってあげるわよ。但し、ちゃんと待ってるって約束するならね。出来る?」

「出来る」

「良い子ね。何が欲しい?」


 うーんと少年は考える。何か食べ物がいい。食べたいと思ってて、でも本当に言っても怒られない物を、しっかりと選んでから口にした。


「白パン。白パンが食べたい」

「いいわよ。じゃあ、白パンを買ってあげましょう」


 その代わり、ちゃんと待ってるのよ。

 その人は少年の手を引きながら、何度も言った。その言葉に、うん、うん、と少年も何度も頷く。

 そのあまりにちっぽけな幸福の記憶に、イーサンはふっと息を吐き出した。


「しょうもな」


 ぽとりと、道端に落ちた煙草が煙をくゆらせる。ふわりと風が吹いて揺れ、落ちてきた雪片がほのかな炎の灯火をかき消してしまった。

 そうして雪降る道に、男の姿は、もうない。







―― 完 ――

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Egoist ぽち @po-chi

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