第七章 

第三十九話 上階の魔法使い

 ローズが目を覚ますと、またイーサンの部屋のベッドで横になっていた。昨日置きっぱなしにしてそのままだったヤギのぬいぐるみは、枕元に置かれている。ローズはのそのそとベッドから這い出すと、ヤギのぬいぐるみを抱きかかえて部屋を出た。


「お、ようやく起きてきたね」


 リビングで、朝食の準備をしているイーサンの姿を発見する。


「おいで、ケーキがあるよ」


 ケーキという言葉につられて行けば、確かにテーブルの上には切り分けられたホールケーキが乗っていた。

 夜のうちに帰ってきたのか、テーブルにはギルバートとエリシャも座っている。イーサンがホットミルクを作ってくれ、ホールケーキの一切れをローズの皿へとよそった。

 ローズはケーキの置かれた席へと座る。イーサンは空の皿とケーキサーバーを手に、今度はギルバートへと視線を投げた。


「ギルは?」

「いや、ボクはいい。お腹いっぱいだから」

「エリシャは?」

「甘い物は食わん。それよりも、今は肉が食べたい。……いや、嘘だ。肉も嫌だ。魚が食べたい」

「ないよ。買ってこないと」

「マーリンの分は?」


 ローズが尋ねると、イーサンは一瞬だけ手を止める。


「先生は出かけてるんだ。待っている必要はないよ」


 そうしてイーサンは自分の分のケーキを取り分け、ローズの隣へと座った。

 ローズは三人の顔を、ちらりと見やる。エリシャはなんだか顔色が優れないようだった。いつもより瞳の色も暗く、でもいつものように眉間に皺を寄せてコーヒーを啜っている。ギルバートの方は逆に肌がツヤツヤとして調子が良さそうで、くるくると自分の髪を指に巻きつけて遊んでいる。横に座ったイーサンを横目で見上げると、彼はショートケーキを口に運び、ふーんと小さく頷いていた。

 いつもと変わらない。でもなんだか、この家の何もかもが変わってしまったような気もした。マーリンも帰ってこないし。

 それでも、目が覚めた時に皆がそばにいて、その願いが叶った事に対する大きな安心と喜びをローズは感じていた。


「メリークリスマス!」


 声を上げると、三人が一様にローズの方を見つめる。


「クリスマスにはこう言うのよ!」


 得意げに言うと、魔法使い達は顔を見合わせ、そしてまたローズの方へと向き直る。うっすら笑って、三人がそれぞれにローズへと声をかけた。


「メリークリスマス」

「メリークリスマス」

「メリークリスマス」


 ローズはにっこり笑って、ケーキを食べ始めた。


「わぁ、ローズ。そんなに溢して……」


 向かいの席に座ったギルバートが、ひきつり笑いをしながら言う。


「もっと綺麗に食べられないか?」

「カトラリーの使い方をもっとしっかり覚えろ。食事の取り方はマナーの基本だ」


 エリシャがその隣から、ぐちぐちとお小言を言ってくる。


「わたし、イーサンたちといっしょにすみたい」


 ローズは唐突に、そう言った。いや、本当はいきなりではない。父親がもう迎えには来ないと理解した時から、ずっとそう考えていた。


「イーサンたちとかぞくになりたいわ」


 この家で、不思議な事と、ちょっと性格に問題があるが世話焼きな魔法使い達と、一緒に暮らしていきたい。パパともういられないのなら、一緒にいる人は自分で選びたい。それならこの人達がいい。それがローズの正直な気持ちだった。

 イーサンは笑って、ポケットからハンカチを取りだした。


「君は何も心配しなくていい」


 そう言って、ローズの汚れた口を拭う。その返事に満足し、ローズはにこっと笑ってまたケーキを食べ始めた。

 そういえば、とギルバートがふと思いついたように人差し指を立てる。


「今朝から雪が降ってたから、外は積もってるかもしれないな」

「ほんとう!?」


 ローズは目をキラキラさせて、椅子の上で弾んだ。


「みんなで雪だるまつくる!?」

「その前に、僕ら大人だけで話がしたいから、ローズは少しだけ外で待っててくれるかな?」

「いいわ!」


 ローズは急いでケーキを食べ終わると、ミルクを飲み干して上着を着込み、玄関へと走っていった。

 言っていたとおり、外は一面真っ白だった。アパート前の道路は雪かきがされ、押しのけた雪が道端に積み上がっている。ローズは喜んで、その雪山の上へと登りにいった。まだ足跡の付いていない場所を踏み荒らしに行ったり、その後は雪だるまを三個作って、アパートの階段に並べたりもした。

 そうしてしこたま遊んで、三人が来るのを軒下で待っていると、アパートの前に一台のパトカーが止まる。中から男女の警官が降りてきた。

 恰幅の良い男の警官が、ローズの前で立ち止まる。


「お嬢ちゃん、お家の人は?」


 ローズはむっつりと口を閉ざした。何故なら、知らない大人と口をきいてはいけないからだ。


「ママかパパはいる?」


 でも生来おしゃべりな気質のローズは、今回も黙ってはおれなかった。


「……死んじゃったわ、どっちも」


 言うと、大人二人は悲しげに眉を寄せる。男の警官がローズの目線に合わせ、その場にしゃがみ込んだ。


「ご近所の人が教えてくれたよ。君はここにはいられないんだ。分かるだろう?」


 ローズは、この人は何を言っているんだろう?と思った。到底、そんな話に頷く事はできない。


「……わからないわ」

「おじさん達と一緒に行こう」

「イヤよ、かぞくならいるもの。おかしな人たちだけど、あたまもよくて子どもも好きよ」

「……君は新しい家族と一緒に暮らすんだよ。お友達もいっぱいいるし、寂しくないさ」


 まるで話にならない。男の後ろにいる女警官も、ただ人の好さそうな笑顔を浮かべて頷いているだけだ。


「イヤよ! あたらしい家にはいかないわ! わたしの家はここよ!」

「ここにはもう住めないんだよ」

「イヤだったら!」


 ローズはくるりと身を翻し、大急ぎで階段を駆けあがった。待ちなさい!と男の声がするが、構わずローズは走る。一気に最上階まで。ドアノブに飛びつくと、ガチャリと捻って中へと飛びこんだ。


「イーサン! おじさんがへんなこと――!」


 でもそこには、がらんどうな倉庫があるだけだった。埃っぽいその部屋の中央に、ヤギのぬいぐるみだけがぽつんと置かれている。

 階段をひいひい言いながら上がってきた男警官が、倉庫の中で呆然と立ち尽くしているローズを見つけ、どうしたんだい?と首を傾げた。


「……ここにはへやがあったのよ。そこに悪い魔法使いたちが住んでて……」


 そこまで言って、ローズはパチンと自分の口を叩く。

 かけられていたまじないが、ない。

 ローズの小さな背中がぶるぶると震えだす。女警官が追いついてきて、ローズが泣いていると思ったのか、その背中を撫でてやろうとした。しかし覗きこんだ子どもの顔は、激しい怒りに歪んでいた。


「イーサンの、バカ――!!!」


 彼女の怒りの咆哮に、ぶわりと部屋の埃が舞い上がった。

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