春は私のヒーローと共に

澁澤 初飴

私にも、春


 春休みに登校している生徒は少ない。

 私、沼路美子ぬまじ みこは図書委員の当番を終え、とぼとぼと校門へ向かった。


 だいぶ暖かくなってきたが、日陰にはまだ雪が残る。しかし校庭では待っていましたとばかりに屋外の運動部が活動を始め、楽しげに叫んでいる。


 私にはない青春だ。


 こんなことを言うと、母は今からでもいいから運動部でもやってみなさいと言うけれど、この4月から三年生の本ばかり読んでいる私が運動部に入るのは、やっぱり遅過ぎる。

 本を読むのだって青春だ。そうも思うけれど、春になるとやっぱり、同い年の子たちの弾む若さがうらやましくなる。同い年だけど私は春より冬枯れが似合う。


 例えば、あそこで立ち話に興じている、バスケ部の三人の女の子たち。

 部活が終わった後なのだろう。そろいのジャージで、何がそんなに楽しいのか、輝くように笑っている。あそこだけ春が先に来ている。

 私は眩しさを直視できず、反対側の隅を縫うようにして校門を抜けようとした。

「おー、ぬまっち!」

 突然呼ばれ、私はたじろいだ。

「図書室の当番?おつかれ!」

「私らは部活終わったとこ」

「ぬまっち、お腹空かない?」

 同じクラスの子と、一年の時同じクラスだった子。屈託のない笑顔を向けられ、私は思わずうん、とうなずいた。

「帰り、メフドナルド寄ってこうって話してたの。今バゴォーンコラボシェイクやってるでしょ」

「ああ、わかめスープ入りの」

 私が答えると、女の子たちは顔を見合わせた。何かおかしなことを言ってしまったか。

「ぬまっち、詳しいね!」

 私は動揺しながら、いつも見ているドラマのCMで知ったことを話した。女の子たちはきゃー、と甲高い声をあげる。

「ぬまっちもドラマ見るんだ!」

「私も毎週見てるよ、ゴジローさん可愛いよね!」

 私は華やかな舞台に加わる権利を与えられて、戸惑いながらも高揚した。でしゃばり過ぎないように気をつけつつも、ゴジローさんの名シーンで盛り上がる。


 私、今青春してる!


「ねえ、ぬまっちもメッフ行こうよ」

「うん、でも邪魔じゃないかな」

「そんなことない、行こうよ!」

 私はお彼岸にお小遣いをくれた美代おばさんに心から感謝した。マンガの単行本を一気買いしないで良かった。私は行きたい、と答えた。

「ぬまっち、コラボシェイク食べる?」

「どうしよう、でも今だけだし」

「私と半分ずつにしない?」

「みんなでひとつにしようよ」

 絶対ヤバいもん、と女の子たちが笑う。そのみんなの中に私も含まれるなんて。私の人生の春は、今日が全てかもしれない。


「男子も来るけど、いいよね。同じクラスの奴だから」

 とんでもない後出しが出た。男子。

 思わず尻込みしたのが伝わったのか、女の子たちは口々に大丈夫だよと言ってくれた。彼女たちには私が男子が苦手な奥手な女の子に見えるのだろう。

 それは間違いない。でも、私だって乙女だ。

 同じクラスの、バスケ部の男子。長井白鷹ながい しらたかくん。

 バスケ部なのに物静かで、一学期は美化委員で、ずっと教室に花を絶やさなかった人。背が高くて、私が社会の資料を図書室に戻すように先生に言われた時、黙って手を貸してくれた人。

 彼も来るのだろうか。

 聞けばいいのに、こんな時私は何も言えなくなってしまう。

「大丈夫だよ、ぬまっち。ぬまっち面白いし」

 固まっていると、いいように解釈してくれた女の子たちは謎の励ましをくれた。励ましだろう。笑顔だし。罵倒ではない、はず、だ。


国分こくぶんは絶対コラボシェイク食べるよね」

「2つ頼んで、絶対残す」

 女の子たちはすぐに次の興味に移る。国分くんも同じクラスのバスケ部の子で、小柄だが明るく、クラスでもキラキラ組の男子だ。もちろんこの女の子たちもキラキラ組だ。

「ねえ、今日は青葉あおば弘前ひろさき来るかな」

 ああそうか。彼女たちのお目当てはキラキラ組を超越した絶対王政、いや絶対王子政。明るく背が高く勉強もできて紳士、しかもイケメンの青葉くんと弘前くんか。彼らと私が同席するなんて恐れ多すぎて裸足で逃げ出したくなる。

 国分がうまく誘ってくれたらね、女子で国分の分は奢ることになってるんだけど、とまたまた後出しがあった。なるほど、私はワリカン要員か。しかしその方が気兼ねしなくていい。

 その後は青葉派と弘前派にわかれカッコよさをひそひそ語った。私は断然長井派なのだが、この場は少数派の青葉くんにちょっぴり肩入れしておく。


 そんな風におしゃべりしていると、念願の男子たちがやってきた。

 ものすごく得意そうな国分くんを先頭にして、青葉、弘前の揃い踏みだ。おまけのような長井くんは少し霞んで、しかし私には輝くように見えた。

「きゃー、えらい国分!」

 女の子たちは華やかな嬌声をあげた。私はあげたふりをして何とか笑顔を作った。この瞬発力はこの短時間ではまだ会得できない。


 自然と男子も女子も3対1になった。華やかな前のグループを眺めながら、あぶれて私の横を歩く長井くんがぼそりと言う。

「あんなにしてるけど、本当は小川も水谷も国分のことが好きなんだぜ」

「えっ」

 私は驚いて長井くんを見上げた。長井くんも背が高いが、青葉くんや弘前くんとは少しバランスが違っていて、背が高いと言うよりも長い感じがする。長井くんは目だけでちらりと私を見た。

「誰にも言うなよ、沼路は言わなさそうだから言ったんだ」

 長井くん、ただのクラスメイトの私の名前を覚えていてくれた。その上、長井くんとの秘密。私はなるべく自然を装ってうなずいたが、きっと真っ赤になっている。

「珍しいよな、沼路があいつらといるなんて」

「うん、帰りに偶然会って」


「どうせ頭数にされてんだろ」

 私は前を向いたまま、心臓を鷲掴みにされたような気がした。

 図星だよ。そうでなければ私なんか、こんな華やかなところにいられる訳がない。

 長井くん、私にそれを長井くんの前でそうだよって言わせるの。

 私は唇を噛んだ。が、一瞬だった。こんな恥ずかしさ、笑ってもらったらいい。どうせ私は部活もしてない、図書委員の地味子だ。

「俺もそうなんだ」

 私が口を開く寸前、長井くんが言った。

「青葉と弘前の分、俺と国分でおごるんだ」

 私は気合いをそがれ、そう、としか言えなかった。

「いいよな、あいつら。家はでかいし、頭はいいし、2年からレギュラーだし。彼女もいるんだぜ」

 長井くんは女子テニス部の部長と、バスケ部の一年生女子マネージャーの名前をあげた。マンガみたいだ。

「良く知ってるんだね」

「人のことばっかり見てるから。俺、気が小さいから」

 私も相当小さいと思うが、そんな相関図は全く見えない。

「気配りができるからだよ。だから色々見えるんだと思うよ」

 長井くんがふと足を止めた。私も立ち止まり、長井くんを見上げた。


 しかし長井くんが何か言う前に、前のグループがメッフに着いてしまった。大声で呼ばれて、私たちは走って店に入った。

 店内は混んでいた。レジには人が並んでいる。お昼時だから当然か。6人がけの席ひとつしか空いていない。カウンターはまだ座れるだろうか。

 6人と2人になるなら、長井くんと話せるかな。でもみんなの前では少し恥ずかしい。

「どれにしよう!」

 女の子たちがはしゃぐ。いつもなら一番腹持ちがいいものを選ぶのだろうが、もちろん私もそうだ、しかし今日は少しは可愛らしいものを選びたいのだろう。


 そこで私は突然思い出した。

 私はピクルスが食べられない。いつもは混雑する時間を避けて来店するので、ぼそぼそとピクルス抜きを注文するのだが、今日はそうはいかなそうだ。ちゃんと大きな声で、テキパキ注文しないと。

 私は猛烈に緊張してきた。ピクルス。入っていたら避けて食べるだけなんだけど、無駄にするのは嫌だ。でも食べたくない。ちゃんと注文する時に言わないと。

 ピクルス、ピクルスと口の中で練習していたら、

「ぬまっちは何にするの?」

 話しかけられて全て吹っ飛んだ。

「あああ」

 ここまで積み上げたなけなしの青春を全て更地に戻すコミュ障っぷりを発揮してしまい、私はますます挙動不審になる。

「お待たせしました、ご注文をどうぞ」

 更に畳みかけられ、私は完全に機能停止した。

 

 泣き出したい私の前に、長い人影が割り込む。

「ビッグメッフのセットで、ポテトとコーラ、両方Lで。ピクルスは抜いてください」

「私も」

 私は素早く乗っかった。

「ビッグメッフのセット、ポテトとコーラがL、ピクルス抜きがおふたつですね。店内でお召し上がりですか?」

「テイクアウトにしてください」

 私は目の前の長い背中の人を見上げた。

 長井くんはいつものように飄々としているように見えた。

 長井くんが2人分のお金を支払い、品物が来るのを待つ短い間、他の子たちは少し呆気に取られて私たちを見ていた。しかし言葉を交わす間もなく品物は準備され、紙袋に入れられて差し出される。

「お待たせしましたー」

「じゃ、俺たち外で食うから。また明日」

 長井くんが紙袋をひとつ私に渡してみんなに挨拶し、店を出た。私も慌てて後を追う。


「そこの庁舎の庭に池があって、鴨がいるんだ」

 長井くんはすぐそこの役所の庭に入り込んだ。ちょっとした公園になっている。知らなかった。

 食べ物や飲み物を渡し合って、池を見る。確かに水鳥が浮かんでいる。

「……みんな、びっくりしてたよ」

 おう、と長井くんは答えた。

「こんなことして、明日部活で何か言われない?」

「別にいい」

 長井くんはハンバーガーにかぶりついた。私もかぶりつく。

「沼路ともっと話がしたいから」

「私も」

 私は素早く乗っかった。長井くんが少し私を見て、笑う。

「やっぱりピクルスはなくてもいいよな」

「うん」

 長井くんはそこでふと手を止めた。

「コラボシェイク、頼んでみたら良かった」

「今度また食べに行こうよ。でも、ふたりでひとつで十分かも、きっとヤバいから」

 長井くんが少ししてからコーラを吹く。真っ赤だ。私は笑う。


 まさか私にも春が来るとは。

 私は話したいことが溢れ出さないように、コーラをぐっと飲みこんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

春は私のヒーローと共に 澁澤 初飴 @azbora

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ