ユグドー、回想の中のユリカゴ編

 ヴォラントの冒険記に曰く。


 イストワール王国歴866年。この日、イストワール王国に二人の尊き命が生まれた。


 一人は、イストワール王国の悪名王ルロワの一人娘ルーナ。


 もう一人は、リテリュスの武門の誉れであるベトフォン家のアンベール・ベトフォンである。


 運命とは、アンベール。宿命とは、ルーナのことを指す。二人の命が、古都ジェモーに生まれる。これこそが、悪名王ルロワの狙いだったのだ。


 儀式魔術とは、人類が到達し得る最高峰の魔術だ。発動には、いくつもの前提条件がある。


 どこで、いつ、だれか、なにをした。この四つが、儀式魔術には重要なのだ。今回の儀式魔術は『創生召喚』と呼ばれる古文書にしか記述のない神域魔術だ。


 神域魔術とは……。いや、話が長くなるのでやめておこう。要は、物凄い魔術を発動させるための二人の子供が生まれた日ということだ。


 このことは、後の世で公開された『ルロワの大罪』に記載された内容である。



✢✢✢



「アンベール……良い響きですわね。この名前、この子にとって生涯の宝となるでしょうね」


 マリエル夫人の手におさまるアンベールは、控えめな泣き声を発する。まるで、マリエル夫人の意見に賛同するようであった。


 ユグドーには、アンベールが生まれたばかりであるのに聡明であり、他人の心を読み取り共感できる人物であると感じたのだ


 そう思いたいだけなのかもしれない。それにしても、アンベールという名前は、どこから思いついたのであろうか。


 ユグドーが、考えていた名前とは全く別の思考の外から来た名前だ。このように言えば、まるで神のお告げのようだが、実際にその通りなのである。


「自信がなかった割に良い名前じゃねぇか? ユグドー、由来とかあるのか?」


 ディアークの最もな問いかけにユグドーは、言い淀む。どう返答すれば良いのか分からないのだ。


 まさか、神からの啓示が……とか。悪魔からの提案と誤魔化すのはもっての外だろう。


 悪魔からの名付けなんて誰もが嫌がるだろうし、実際に悪魔からの働きかけはなかった。


「ただ、思いついただけだよ」


 ユグドーが思いつく一番マシな言い訳だった。三人の反応も悪くはない。ただ、ノルベールだけは眉をしかめていた。


 ユグドーは、ノルベールの顔を伺ったのだが、嫌悪感はなく、思案顔のような感じがする。


「どこかで聞いた名前だな。思い出せないが、良い名前だ。まるで、神話にでてくる英雄のような……。ありがとう。ユグドー」


 ノルベールは、思案顔を崩して破顔する。ユグドーは、その様子に安堵した。せっかくの名付けだ。マリエル夫人とノルベールには、納得して祝福してもらいたい。


「アンベール、今日から貴方は、アンベールよ。その名に恥じない勇気と正義をつらぬいてね」


 マリエル夫人は、アンベールを抱き寄せると涙を流した。旅の途中で見た母子像を思い出す。


 とても、柔らかで暖かい雰囲気の像だったが、目の前にいるマリエル夫人とアンベールには遠く及ばない。


 これぞ、本物の愛情なのだろう。


「ねえ、ユグドーさん。アンベールを抱いてみてくださらない?」


 マリエル夫人の声は、ココロの中に沈み込むように染み渡る。遠慮もせずに思わず手を伸ばしていた。


「アンベール……大丈夫よ。貴方の名付け親ユグドーさん。とても優しくて親切で……正義感を大切にする方よ」


 ユグドーは、存外な称賛に気恥ずかしくなる。これほどまでに褒められて嬉しかったのは、初めての経験である。


 マリエル夫人から、アンベールを抱っこさせてもらう。ユグドー腕の中で生命が息づいている。


 重たい、それが感想だった。そして、怖いとも感じる。今、ユグドーの手中にあるのは小さな、本当に小さな命の鼓動だ。


 ユグドーが、その生命を握っているのだ。人の幸せも不幸も背負っている。重たさが増していく。


「マリエル様、この子は男の子?」


 ユグドーは、耐えられなくなり、性別の話で気を紛らわせようとした。


「女の子ですわ。きっと、ユグドーさんに名付けられたので、強くて誠実な優しい人になるでしょうね……」


 マリエル夫人は、そう言うと微笑んだ。まるで、白百合が咲いたような──そんな笑顔であった。


 ユグドーは、少し気まずい気分になる。性別を間違えたこともそうだが、ユグドーへの評価が高すぎるのもある。


 安心しきったアンベールの顔を見ていると、何かが心の中をかきむしる。子供の頃、ユグドーに対して、母親はどうだったのか。このように愛してくれたのだろうか。


 甘く柔らかなアンベールの匂いが、ユグドーの心の奥底に沈められた記憶を呼び起こした。



 知らない女の人が、顔を覗き込んでくる。しかしながら、その顔は霧がかったようでハッキリとは見えない。


 この女の人は、笑顔なのだろうか、憎悪を向けているのだろうか。


 手を伸ばしてみる。何かが、伸ばした腕に触れた。振り払われたのか、掴まれたのか。


 何もかも分からないのだ。頬に触れた感覚。これは、なんだろうか。声が聞こえる。声が?


 優しさ? 憎しみ? 諦め? 励まし? 怒り? 哀れみ?


 歌も聞こえる。体が揺れている。怨嗟の声、何処かからか落とされる感覚がある。


 ユグドーには、何も見えない。聞こえない。感じられない。


 ただただ、霧の奥に見えるアンベールの翡翠の瞳に吸い込まれそうな感覚と愛おしさだけが、全身を震わせるのであった…… 


 【回想の中のユリカゴ編】完。

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ユグドーの求道譚 SSS(隠れ里) @shu4816

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