ユグドー、運命の日のアンベール編
ヴォラントのメモ【光り輝き闇を払う剣】
ユグドーは、大霊殿へと一歩を踏み出した。ふんわり心が和らぐような匂いを感じて足を止める。経験のある香りであり、直接触れられた記憶まであるのだ。
ニ階から小さな生命力の力強い泣き声が聞こえてくる。周囲の魔術師たちが、驚きにも似たような喜びや雄叫びを上げていた。絶叫に薄ら寒さを感じるユグドー。中には、鼻水混じりの涙を流しているものさえもいる。
「この声は、二人ともか……。なるほど神話の再現なのか。しかし、こいつらは……」
ノルベールは、忌々しそうに踊り狂う魔術師たちを睨みつけていた。ユグドーは、拳を握りしめる。魔術師たちが、喜んでいるのは、生命の誕生ではないと確信できたからだ。
「狂気だな。まるで、隠れ宗教の祭事みたいな光景だぜ」
ディアークも、気色悪い形状の魔物を見るかのような表情だった。嫌悪感を向けられても、魔術師たちが気付くことはない。完全に自分たちの世界に入り込んでいる。
ノルベールは、『神話の再現』と言った。それと、この魔術師たちの狂乱は関係しているのだろうか。
「おおっ、ノルベール。来たか、これほど喜ばしい日はないぞ。ベトフォン夫人にも子供が生まれた。我が子と同じタイミングだ。わっはははは」
赤いフルプレートに身を包んだ騎士たちに護衛された太った男が、下品な笑い声を響かせる。特別製のフルプレートに護衛されるのは、この国では一人しかいない。
ルロワ国王だ。良い噂を聞くことのない男で、様々な種族に火種を散らしている。目が弛んでいて口元は緩みきっている。腹の肉を揺らしながら、ノルベールに近づいて来た。
「ほら、見よ。ノルベール。余が求めていた十二支石の一つ。
ユグドーの視界が広くなる。稲妻のような衝撃が、全身に伝わる。呼吸が荒くなる。手の震えが止まらない。足の裏の感覚がない。まるで、浮遊してるかのようだ。
ルロワ国王の手に求め続けた十二支石がある。悪魔が封印されている腹部が熱い。殺してでも奪い取りたい衝動に駆られてしまう。
「これも、協力してくれた。ノルベールとベトフォン夫人のおかげぞ。夫人には、よくよく労いの言葉を贈ってくれ」
ディアークが、片膝をついたのが横目に見える。しかし、ユグドーの興味は、十二支石にしかない。足を踏み出そうとして、踏みとどまった。わずかに残った理性が足首を掴んだのである。
「そこの下民、陛下の御前ぞっ!!」
耳の中に鐘を鳴らされたかと思うほどの衝撃。ユグドーの体は、地面に叩きつけられ、肋骨に鈍い痛みが走る。ユグドーは、体をイモムシのように丸めながら咳き込む。
「我の恩人に何をするかっ!! 下郎っ!!」
ユグドーの頭上でノルベールの怒号が、聞こえた。同時に金属音が部屋全体を揺らす。痛みよりも渇望が、ユグドーを支配していた。手を伸ばして、十二支石を求める。声にならない声が、ユグドーの耳にも聞こえた。
「ユグドー大丈夫か?」
ディアークの声が近づくと、十二支石を求め伸ばしてた手を握りしめてきた。ユグドーはそれでもルロワ国王の持つ探し求めていた垂涎の物のことしか考えられない。
十二支石のための人生だった。そのための旅だった。助けたいもの、変えたいもの、全てを掴むための力が眼の前にある。
欲しい、欲しい、欲しい。ディアークの手を振り払って今すぐルロワ国王を殺してでも……
「わっはははは。よいよい、今日は歴史に残る良き日である。無礼は、全て許す。ガハハ、この石と宿命と運命の二人があれば……かの教国様さえもイストワールの玉座となろうな? くっくくくくくくくくく」
ルロワ国王は、醜い腹回りを派手に揺らしながら天井を見て目を細めるようにして笑う。そのまま、護衛を引き連れて大霊殿を出ようとする。ノルベールの肩に手をおいて「そなたの子の顔を見てやれ。我が娘と兄妹のような関係となろうぞ?」と言って去っていく。
ユグドーは、動けなかった。痛みのせいではなく、草原を焼き払うような感情のせいだ。あまりにも、求めすぎるがゆえに起き上がることも、歩くことも考えることができないのである。
「うぅ……僕は、どうすれば……」
ユグドーは、握りこぶしに力を込めた。その時、ユグドーの体が浮き上がった。見上げると、ノルベールがユグドーに微笑みかけている。
ノルベールが、ユグドーを起こしてくれたのだ。
「マリエルに会って、子供の顔を見てあげて欲しい」
ユグドーは、腹の底から燃え上がるような怒りがさざなみのように静まっていくのを感じた。
「僕は、マリエル様に会っておめでとうを言うために……。すみません。そう。僕は、冷静さを欠いていたんだ。迷惑と心配をおかけしてごめんなさい」
ディアークが、微笑んだ。ノルベールもまるで怪我人を介抱するようにニ階へと導こうとする。十二支石のことは、後回しにしよう。今は、仕方がない。ルロワ国王は、逃げたりしないはずだ。
ノルベールとディアークの後を追ってニ階へと登っていく。やはり、十二支石のことが気になるものの、マリエル夫人から感謝の言葉をもらえることが、とても嬉しい。
赤子の声は、生まれたばかりの灯火のように一歩を踏みしめるたび勢いを増していく。生きたい、生きたい、生きたい。欲求が、ユグドーに伝わってくるのだ。
赤子が求めるのは、母の愛でも父の優しさでもない。生きることへの渇望だ。ユグドーは、孤独な旅人から聞いたことがある。泣き声を聞いていたら、その言葉も分かる気がしてきた。
ニ階へと登り切ると、赤いフルプレートの騎士が、敬礼をしていた。右の握りこぶしを左肩に添えて背筋を伸ばし「ベトフォン家に栄光あれっ!!」とフルプレートから見える目を輝かせながら返答をした。
さきほどの国王付きとは、比べ物にならないくらいの力強く忠誠心に溢れた態度だ。ユグドーたちを見ても不審な顔ひとつしない。ただ、ノルベールを見据えている。
「大公妃殿下が、こちらで御到着を心待ちにしておられます。どうぞ」
赤いフルプレートの騎士が、ドアを開ける。騎士からは中が見えないが、ユグドーたちからは見えるようになっていて、マリエル夫人が白い布に包まれた赤子を抱いていた。数人のメイドが、頭を垂れる。
ユグドーは、マリエル夫人の部屋から風に乗ってただよってくる心が安らかになる匂いに涙が出そうになった。
赤子を抱いたマリエル夫人からは、何かとてつもなく大切な宝物をオロル残から吹き下ろされる嵐や大きな龍の吐く炎から守れるくらいの気持ちを感じ取った。
きっと、あれこそが母親の愛というモノなのだろう。でも、ユグドーは母に捨てられた。村を追放されたのだ。
ノルベールの案内で、ディアークが部屋の中に入る。ユグドーは、立ち止まりお腹をおさえる。絞られるような痛みが踏み出す足をためらわせた。
「ユグドーさん……こちらへ。この子の顔を見て下さい」
マリエル夫人が、笑顔でユグドーを呼ぶ。その声は、どこかで聞いたことのあるような気もするし、そうではない気もする。いずれにしても、踏み出したくなるような響きだった。
「ぼ、僕は、その……」
喉の奥が、詰まる感じがして声が声にならない。言いたいことがあるのに、言えない。すぐそこにあって掴めそうなのに掴めない。ルロワ国王の手中にある十二支石と一緒だ。
ユグドーの手をノルベールが引く。心臓が早鐘を打つ。直ぐ側にマリエル夫人がいる。赤子は、翡翠の瞳でユグドーを見つめている。まだ、視点が定まっていないはずなのにユグドーを見据えているのだ。
(凄い……。強い目だ。この子は、僕らとは違う。ルロワ国王が言ってた。神話の再現って……この子のことなのかな)
「ありがとう。ユグドーさん。貴方のおかげですわ。こんなに立派な産屋を用意してくださって……」
マリエル夫人の声は、届いているが返事ができない。生まれたばかりの赤子から目が離せないのだ。
「ユグドー。名前をつけて欲しい。マリエルの願いだ。無論、我の願いでもある」
「アンベール……」
ほぼ無意識にその名を口にした。由来など分かるはずもない。どこの言葉なのかも分からない。
ただ、なんとなくそう名付けさせられたのだ。
【ユグドー、運命の日のアンベール】完。
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