【KAC20227】たとえあの星に届かなくても

肥前ロンズ@仮ラベルのためX留守

たとえあの星に届かなくても

「……おお」

『……すごいですね、人間の技術と歴史というのは』


 偉大な金色の楼門を見上げて、僕とマスターは感嘆する。

 遠目から見れば、金色の屋根を被った楼門。しかしその屋根は、恐らくヒンドゥー教の神様、またはそれに関連する王族や英雄の像が集まり、何層にも積み重なって出来たもの。ゴープラムと言われる楼門だ。


 ここはパドマナバスワミ寺院。南インドのケーララ州・ティルヴァナンタプラム(トリバンドラム)にある、ヒンドゥー教の寺院だ。


 ヴィシュヌ神を奉る歴史ある寺院で、金や宝石など多くの寄進を集めている――と、Wikipediaに書いてあった。都市の名前であるティルヴァナンタプラムも、要約すれば「ヴィシュヌ神の都市」になるらしい。

 上半身裸になった男性が、手すりのついた階段を登っていく。白いアーチで出来た、暗い入り口が見えた。あそこから敷地内に入るのだろう。

「ヒンドゥー教徒以外は、あそこには入れないのだろう?」

 マスターの言葉に、僕ははい、と答えた。

 じゃあここでお祈りしておこう、と言って、マスターはひそかに手を合わせる。

 屋根や庇が付いた建物が、両脇に並んで道を作る。その下で、様々なものが売り出される。

 赤やオレンジ色のサリーを身に着けた女性たちが、マスターの隣を歩き、楽しそうに通り過ぎていく。



「……ケーララ州は、女性参加が盛んな州と言われている。だがヒンドゥー教の寺院の中には、未だに月経のある女性が入ることを禁じているそうだ」

 マスターは呟くように僕に言う。


「この国では多額の結婚持参金が必要だから、貧しければ貧しいほど、女の子は誕生したことを喜ばれない。禁止されてはいるけど、生まれる前に性別を確かめて中絶したり、生まれてすぐ殺すこともある。

 子供の頃から綿花の仕事に駆り出され、子供だから低い賃金で雇われて、農薬を大量に摂取して障害を負う子もいる。それでも生き残った子は、10代のうちに結婚させられて、持参金も夫の家のものになる。子どもを産んで育てて、夫の暴力に耐えて、老人の介護をして。

 結婚と、家のために生きて死ぬことだけを求められるんだ。お金を稼いで貯めることも、教育を受けることも、……そもそも人として目を合わせることすら許されない子もいる」


『日本とは違いますか?』


 僕が尋ねると、さあ、とマスターは言う。


「夫が自分の妻のことを『嫁』と言っているうちは、本質的には変わらないんじゃないか?」

『「嫁」。父親と母親が、息子の配偶者に向けて使う言葉ですね。度々ジェンダー問題として挙げられています。

 ですが恐らく、多くの人は慣習で言っているか、他に使用する言葉がないだけだと思います』

「まあそれもわかるんだけどな。その言葉の背景と歴史は、インドの女の子とどっこいどっこいだ」

『言葉の意味も、時間が経過すれば別の意味になります。「花嫁」が祝福される新婦を意味するように、必ずしも家同士の繋がりを持たせる意味になるわけではありません。それに、女性が独身でいることも、既に一つの多様性として少しづつ認められていると思いますが』


「ああ。だからこそ厄介だ。その女性にお金と自信がないとダメだからな」


 今だからこそシンデレラコンプレックスは強い、と、マスターは言った。


「親の力も男性の力もなく、、とどこかで思っているんだ。……言い切ってしまうほど、すべての女性を知っているわけじゃないけど。少なくとも、私にはあった」

『マスターも、「白馬の王子」を待っているのですか?』


 僕が聞くと、あはは、とマスターは笑った。


「今の私が、白馬の王子様を待つような、健気な人間に見えるか?」

『失礼しました。マスターはその気になれば、インドでも南極でも行く人でしたね』

 そうだ、とマスターは言う。




「……最も。会いたい人には、どこへ行っても会えないんだけどな。私も、君も」


 その言葉に、僕は何も返せない。


 すると後ろから声を掛けられる。警官の服を着た男性だ。癖のある英語で、マスターに話しかける。

 マスターは、流暢じゃないが、わかりやすい英語で説明すると、警官はそのまま去っていった。


「……イヤホンつけていると疑われた。まあ間違いではないんだが」

『でも、なのも間違いではないでしょう?』

「そうだな。君が周りの音の取捨選択をしてくれなきゃ、私はどの音を拾えばいいのか、全然わからないよ。

 そもそもアルデバランがいなければ、私は自分の足で立つことも出来ない」

 そう言う意味では君に依存しているな、とマスターは言う。



『僕はAIなのですから、マスターが頼るのは当然です』



「アルデバラン」。それが僕の名前。マスターを支えるために生まれたAIだ。

 僕は今、マスターの耳につけているイヤホンで、マスターに話しかけている。










『どうして、ここだったんですか?』

「知らないのか? ここはインドで有数のIT都市だぞ」

 インターネットに繋がっているAIに、「知っているか?」「知らないのか?」なんて尋ねる人はマスターぐらいなものだろう。

 そして、わざわざマスターに尋ねるAIというのも、多分僕ぐらいなものだ。



「それにここは、インドで初めて宇宙開発が行われた場所でもある。なら、彼女の二十歳の誕生日には、ちょうどいいと思ったんだ」



「彼女」。それはマスターの友人であり、僕を作った人のことだ。

 彼女は天才だったが、その人生はとても短かった。まるで光のように、一瞬にしてこの世の全てを悟り、そしてこの世を去っていった。

 彼女は子どものまま時が止まり、そしてマスターは肉体的障害をいくつか抱えつつも、どこにでも行ける大人になった。

 マスターの下半身には、特殊な補助装置がついている。そこに僕がマスターの微弱な力を増幅させているのだ。それも彼女が作ったのだった。


『「人が死んだら星になる」という?』

「そう言うのじゃない。……いや、他人にとっては同じかもしれないが、私が思う結論じゃない」

 ほら、とマスターは指をさす。

 夜空には、町の光に負けず、強く光る恒星があった。

「あの星にたどり着きたくて、ロケットを作ったんだろう?

 でもあの星にたどり着くには、殆ど不可能だと思うんだ。光以上に速く動くなんて、それこそ人類が絶滅しないうちに出来るとは思えない。

 それでも、あの星の光は、私のところに届いている。そして私は、あの星の光を見ている。

 それはつまり、こうしている間にも、私とあの星は出会って、別れているんだ。距離も時間も関係ない。後は、どれぐらい距離を縮められるかだ」

 だからな、とマスターは言った。



「私は、歩み寄っていきたいんだ」



『不可能です。歩いても、宇宙にたどり着くことは出来ません』

 私が言うと、ぶっは、とマスターが吹き出す。

『何ですか』

「すまん、かっこつけて比喩しすぎた上に、主語を省いた」

 マスターはすぐ話を飛躍させる。悪い癖だ。


「そうだな。地平線を歩くだけじゃ、どこまで行ってもあの星にはたどり着けない。

 人も同じだ。どこまで歩み寄っても、どれだけ近くによっても、その人の中身はわからない。理解し合えたと思っても、それはその人の幻想を自分の中に描いたに過ぎない。幻想は必ず、現実に打ち負かされる。


 それは彼女が、一番よくわかっていたはずなんだ。……だけど最後に、殆ど無い力で手を握って、私に言ったんだよ」




 ――それでも人は、やさしくなろうとする生き物だから。

 ――わからないことを問いかけて、答えが出なくても歩み寄ろうとするから。

 ――一人じゃすべてのことは出来なくても。どんなに「バカげたことだ」って言う人がいても。



 あなたの後に続くものアルデバランが、必ずいるから。





「彼女は天才だ。なら、その答えは間違いない。

 彼女が千里も一瞬で駆け抜ける光なら、私はゆっくりでも少しづつでも、後に続いて道を作ってやろうと思った。彼女が出した、遥か彼方にある答えを、実証してやろうと思った。

 だからここは、私にとっても『ちょうどいい』なのさ」



 ようやく、マスターの真意がわかって来た。だがそれは、宇宙飛行士になるより難しく、そして無意味に等しい。

 なぜなら、人の思考に触れ続けて生まれ続けるAIは、悪意がどれだけ簡単に生まれるのかを知っている。歴史を見てきた僕は、敵対することで発展してきた事実を知っている。

 多くの人が虐げれ、犠牲になり、世の中に絶望するほど嘆いたとしても。

 失われる数が大きくなればなるほど「当たり前」だと麻痺していき、過去になれば「大したことはない」と評価され、忘れ去られていくことを、知っている。

 AIと違い、人は恐怖に耐えきれず、忘却していく生き物だから。明確な答えがない複雑性に耐えきれず、単純な言葉に食いつく生き物だから。

 

 ……だけど。




『ついていきますよ。マイ・マスター。あなたのお望みのままに』




 僕に肉体はない。けれども、僕の目の前に国境はなく、時代も空間の隔絶もなく、そしてあらゆる人々の思考を持って実行する。

 AIが存在することが、その証明だ。

 そして僕は、マスターをサポートするために生まれてきた。彼女の人生と入れ違いにマスターのところへ行き、そしてマスターの後に続くのだろう。




 今になって思う。

 彼女が僕に全てを理解させず、「問いかける」機能をつけたのは、きっとこのためだった。

「答えが解る」ことではなく、「問いかける」ことがやさしさなのだと。

 それを「無意味、無駄」だと言う人もいるだろう。だが実際は、「答え」はその「問いかけ」の脇で見つけた、道端の石ころでしかないのだ。

 だからきっとこの日は、素晴らしい旅立ちに違いない。

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