終章「旅の始まり」
扉を開けると、甘ったるい
「いらっしゃい。お客さん、ご予約は?」
胸の開いたナイトドレスを着た獣人が、気怠げに煙管を噴かしながら訊ねてくる。
髪型や化粧が違うので別人に見えるが、この獣人の正体を知る男にとって、この娼館に居る女は全て紛い物の人形だった。
「
それまで人の良さそうな人間の男だった姿を真の姿に戻し、その男――〝放浪王〟ガロードは女に吐き捨てた。
その姿に気圧されながらも「少々お待ちください」と告げ、女は奥へと下がる。
「ナターシャ様からのご伝言です。『いつもの部屋にいる』と」
「……」
女の言葉に何も返さず、ガロードは店の奥へと歩を進めた。
下卑たパープルピンクの灯火と、汚臭を隠す香の匂いが一層濃くなる。
ずらりと並んだドアからは、悲鳴じみた女の嬌声がそこかしこから漏れてくる。
一見して何もない壁の前で、ガロードは止まった。
教えられたブロックに手を伸ばすと、その手は石壁をすり抜け、見えない扉のドアノブを掴んだ。
ガチャン、と重たい音を響かせて石壁に見せかけられた鉄扉が開く。
汗、愛液、唾液……果てた女が醸し出す独特の匂いと熱が、
部屋の中央に鎮座するキングサイズのベッドの上――そこには齢十を満たさぬ幼子から二十代後半ほどの女まで、総勢十人ほどの同じ顔をした女が熱い吐息を漏らして果てていた。
「久しぶりだねぇガロード。元気だったかい?」
全てをさらけ出した肌を隠そうともせず、煙管を
「分身を弄ぶとは、相変わらずいい趣味をしているな、ナターシャ」
「これくらいしか、楽しみが無いんだよ」
そう言いながら女――ナターシャは、自嘲するように口端を歪める。
「それで、ムーランはどうだった?」
煙をフッと吹き出し、ナターシャはガロードに訊ねた。
「お前、あの娘と引き合わせるために、
「ご明察。ついでに言うと、ちょっと追い詰めて覚醒させてみてほしかったんだがね。そこまではいけなかったか」
これと言った興味も感じぬ口調でそう言いながら、ナターシャは隣で倒れ伏す
「盗み見か。本当にいい趣味だ」
「見てないよ。今回はね。
ムーランに残してきた子、死んだでしょ? その子の記憶を引き継いだだけ」
ナターシャの大いなる力【
『
『
現在ナターシャはとある目的のため、この上位分身を世界の至る所に配置しているらしい。
そして『
「それで、あんたの眼には、あの娘はどう映った?」
訊ねられ、ガロードはアーシャのことを思い返した。
「あの魔を祓う光……最初は
【光翼】を使わずして、あの娘は魔人と化した上位分身を元に戻した。
「まず当たりとみて間違いないだろう。
お前が拾ったあの娘は“王”の再臨の可能性が高い」
「そう、やっぱり、そうかね」
ガロードの言葉に、ナターシャは一瞬だけ目を伏せた。
「己れはアレを手に入れるぞ。完全なる“王”の力、何としてもほしい」
「おや〝強欲にして無欲〟と謳われたアンタが執着を見せるなんざ、珍しいじゃないか」
「当然だ。“王”は世界の地平を超える唯一の存在。
この世でたった一つしかないモノなら、それ即ち己れのモノだ」
「本当に、ブレないねぇ」
だらしなく笑いながら、ナターシャは煙を口から吐き出した。
「ねぇ、この子達じゃ物足りなかったんだ。久々に、抱かせてあげるよ」
ナターシャが指を鳴らすと、ベッドの上の上位分身達が消えた。
〝放浪王〟ガロードはその口にいつもの三日月の笑みを湛え、
「ふん、吠え面かかせてやるわ」
〝不滅の魔女〟ナターシャに、その体を重ねた。
◆◇◆
天幕をくぐると、そこには今まで見たことのないような美女がいた。
いつもの砂色の胸当てとハーレムパンツではなくて、砂漠の夜を思わせる紺色のドレスとベール。ドレス全体に遇われた金色のスパンコールは、精霊のように煌びやかに輝いている。
元から美しい顔立ちをしているが、化粧をするといつもの子供っぽさが失せ、ぐっと大人の魅力が迫ってくる。
いつもとは別人のような相棒――アーシャの姿を見詰め、俺はその場に佇んだ。
「なんだロア、来てたのか」
いつもは自分で編んでいるという三つ編みを丁寧に編んでもらいながら、目敏く俺を見付けたアーシャが声を掛けてくる。
「チャロモの爺さんにもオルガにも、っていうか、すれ違う奴ら全員から酒をたんまり飲まされてな。ちょっと隠れさせてくれ」
そう言って照れ隠しをしながら適当な木箱に座り、人心地つく。
さすがに飲み過ぎた。勝手に頭がふらふらと揺れて、姿勢を維持できない。
そんな俺の様子を見て、催しの準備をしていた女性達はクスクスと笑った。
「そりゃあ、この砂漠を救った英雄だもの。みんな
アーシャの髪を結っていた赤髪の獣人がおかしそうに相槌を打つ。
「やめてくれよムラ、柄じゃない」
苦笑混じりにそう答えると、さらに女性達はクスクスと笑った。
〝アルマトロスの亡霊〟との戦いから、今日でちょうど二年が過ぎた。
あれから何度かガルドアからの襲撃があったが、そこには〝アルマトロスの亡霊〟の影はなく、屈強なムーランの獣人達はその都度ガルドア軍を追い返した。
一年が経つ頃にはガルドアの襲撃はナリを潜め、俺達はムーランの復興に従事することができた。
復興と言っても、元々旅の中で生きる獣人達にとって、
ただし、中にはどうしてもその物々交換に加われない困窮を極めた者達も居て、俺とアーシャは
他にも破壊されたオルンの鉄扉を直たり、各
この砂漠の復興が落ち着いたらどうするか、俺とアーシャは既に決めている。
その準備や軍資金としてある程度まとまった金は必要だったが、持ち運べないほどの財宝は正直邪魔でしかない。
なので、パァーっと使うことにした。
今回の一件で疲弊し傷付いた獣人達を労るために。
悲しくも奪われた多くの命を弔うために。
生き残った獣人達が、また未来に向かって歩き出せるように。
俺達は今、隊商都市アーレンの北側にできた巨大なオアシスにいる。
獣人達は今日この日を戦いで失った多くの命を弔う記念日として定め、その象徴となったこのオアシスで、鎮魂式とバザーを行うことにした。
俺達はこの催しの運営費として、残りの財宝を全て寄付した。
どんなに少なく見積もっても、あと五~六年は、今年と同規模の催しが行えるのではないか。
祭典には、大勢の獣人達が訪れた。
みな思い思いの場所にアグラ荷車を停め、タープを張り、飲み食いしながら商いに精を出し、この催しを心から楽しんでいるようだ。
そうして活気と興奮が覚めやらぬまま日が傾きかけた頃。
青々と芝が生い茂るオアシスの中央で、弦楽器のチューニング音が鳴り始めた。
その音を皮切りに、太鼓や笛、その他諸々の音が鳴り響き、皆の注目を集める。
天幕から着飾った女性達が一斉に現れ、各々の配置について舞いの構えを取った。
「
腹底に響き渡るような低く美しい歌声で歌い出したのは、オルガだ。
その歌声に引っ張られるように楽器が旋律を奏で、ポツリ、ポツリと観衆からも歌声が漏れ始める。
しっとりとした弦楽器の旋律を鈴と太鼓の音が彩る。
風や波を彷彿とさせる女性達の流麗な舞いが旋律と重なる。
先ほどまでの喧噪が嘘のように静まり、皆しんみりとした心持ちで演舞に酔い痴れた。
間奏が流れ始めたところで、雪のような燐が空から降り始めた。
不思議に思った観客が、黄昏時の空を見上げる。
ちらちらと星が瞬き始めた空を背に、光の翼を生やした乙女が大空を滑るように踊っていた。
アーシャだ。
紺色のドレスで着飾り、頭と口元をベールで隠し、まるで衣装の一部のように渦巻く炎を纏って。
母から託された半月刀“
【光翼】から舞い散る燐が地に触れる度、精霊が何かを語りたそうに舞い上がる。
あちらでもこちらでも、昼の活気に吸い寄せられたものとは別の精霊が、オアシスを満たしていく。
もしやと思い、俺はあの時ナターシャキャラバンに贈った鎮魂の詞を
旅路を終えた我が子らよ
安らかに眠り給う
真なる姿へと還り
新たな旅路へ
歩み出すまで
束の間の暇に身を委ね
安らかに眠り給う
詞が風に乗って、舞い上がる精霊を震わせ――またもや奇跡を起こした。
詞を浴びた精霊が寄り集まって魂となり、一人、また一人と生前の姿を取り戻していく。
姿を取り戻した魂は、生き残った縁者へと飛んでいき、彼らに思い思いの言葉を投げかけた。
生者全員にその姿が見えているかは分からない。
だが皆、その隣に寄り添う故人を想い涙しているのは確かだ。
魂達もその姿を見て涙している。
――ロア。
背後から呼ばれた気がして、振り返る。
そこに立っている人物の姿に、俺は思わず眼を見開いた。
「父さん……母さん……!」
あの頃と変わらぬ姿で、父と母がそこにいた。
二人とも優しい笑みを浮かべ、俺のことをじっと見詰めている。
――俺達は、いつも見守っているぞ。
――イリスのこと、お願いね。
そう一言だけ残して、二人はすぐに消えてしまった。
故郷を離れて十二年、こんなことは初めてだった。
きっと、この奇跡はいろいろなことが重なって起こったものなのだろう。
俺の心が純真を取り戻し、精霊の存在をまた強く感じることができるようになったから起こった奇跡。
だが、それを手繰り寄せ、皆にこの奇跡を届けたのは他でもない。
俺は、夜空を見上げた。
アーシャは一人、光翼を羽ばたかせて踊り続けていた。
その傍らに、彼女が今最も恋い焦がれる者の姿はない。
しかし、彼女は踊り続ける。
その紺碧の瞳に涙を流しながら。
少女は、踊り続ける。
生者と魂の歌声が、オアシスに木霊する。
歌が終わると、魂は元の精霊の姿に戻り、夜風に流れて消えていった。
静まり返ったオアシスに、故人を偲び、すすり泣く声が残る。
そうしてしんみりと時間が流れること、しばし。
獣人達は思い思いに楽器を奏で、歌い出し、演者も観客も関係なく皆が手に手を取って踊り出した。
つい先ほどまでの物悲しい雰囲気が嘘のように……いや、故人に心配かけまいと、悲しみの上に重ね塗るように、獣人達は陽気な音楽を奏で、歌い始めた。
いったいいつの間に組まれたのか、その中央には櫓が置かれ、空から舞い降りたアーシャが火を点けると盛大なキャンプファイヤーが始まる。
こうなればもう獣人達は止まらない。
飲めや歌えやの大宴会は夜明けまで続き。
朝露に濡れる芝生の上で。
皆、大の字になって、高いびきかいて眠った。
――数日後。
オルガを始めとする獣人達に見送られ、俺とアーシャは旅立ちの日を迎えた。
「本当に、世話になった」
「いや、俺にもっと力があれば、いろいろもっと上手くやれたかもしれない。
すまなかった」
差し出された右手を握り、俺はそうオルガに返した。
「何を言う。お前とアーシャがいなければ、俺達はとうに滅ぼされていた。
今俺達がこうして生きていられるのは、お前達のおかげだ」
「そう言ってもらえると、幾分か気持ちが楽になるよ」
苦笑いでそう返すと、オルガも太く笑って見せた。
「〝アルマトロスの亡霊〟を追って、ガルドアへ向かうんだったか」
「あぁ。本物のナターシャを探しながらな」
オルガの問いに、荷車に乗り込んだアーシャが答える。
ナターシャの
「本物のナターシャは、この世界のどこかで生きている」
それは、悲しみにくれるアーシャに希望を持たせるための言葉だったのだろう。
だがそれだけではなく、上位分身は「本物を探せ」と言っているようにも感じ取れたと、アーシャは口にしていた。
「分身に本物の振りをさせて、私とキャラバンのみんなと、この砂漠から離れなきゃいけない理由が、ナターシャにはあったんだ。誰にも告げず、たった一人で。
そんなの、何かあったに決まってるじゃないか。私はナターシャを、助けに行かなきゃいけない」
そう話すアーシャの決意は固かった。
そして俺も、いつまでもこの砂漠に留まるわけにはいかない。
2年前のあの日、姉と約束したから。「必ず助ける」と。
姉だけではなく、数日前の夜に両親にも誓ったばかりだ。
だから、俺達は二人でキャラバンを組んだ。
互いの目的のために協力し合い、世界中を旅するために。
朝焼けに照り返る真新しい荷車。
違和感があるのか、飼い慣らしたばかりのアグラはぶるぶると鼻息を立てながら体を震わせる。
「おいロア、あの日の約束、覚えとるか?」
唐突にチャロモ老に問われ、俺はしばし考えた。
「わりぃ、チャロモ爺。何だっけ?」
俺が訊ねると、チャロモ老は呆れ顔で煙管の煙を吐き出した。
「私は覚えてるぞ!
私とナターシャとロアの三人で、じーじに踊りを見せるんだ!」
荷車を渡って馭者席に顔を出したアーシャが答える。
「さすがはアーシャじゃ。ロア、お前さんもちっとは見習わんかい」
「いや、覚えてたよ。からかっただけだ」
ジト眼で睨むチャロモ老に、俺は下手くそな愛想笑いで答えた。
それにもう一度チャロモ老はため息を吐き、
「必ずここへ帰ってこい。お前さんらは、この砂漠の英雄で、ワシら全員の家族じゃ。良いか、旅というのはな、帰る場所があって始めて成り立つんじゃぞ」
煙が
「お、チャロモ老、名言ですな」
チャロモ老の言葉にオルガが感嘆を漏らす。
獣人は旅の中で生き、旅を住処とする種族である。
旅から旅の根無し草と思われがちの彼らだが、旅の中で生きるからこそ、その心には帰る場所がしっかりと根付いている。
大切な人、忘れがたい景色、特別な思い出……そういったものを俺達以上に大切にして、彼らは他者と強い絆を結ぶ。
互いが互いの「帰る場所」となるために。
「あぁ、分かったよ。必ず帰る」
俺が頷くと、チャロモ老もオルガも深く頷いた。
「それでは、達者でな。お前さんらに、善き風の導きがあらんことを」
「あぁ、じーじ達も、みんな元気で!」
チャロモ老の言葉に涙ぐむアーシャを横目に、俺はアグラに鞭を入れた。
アグラが砂を掻く音と同時に、ゆっくりと車輪が動き出す。
アーシャは荷車の後ろ側から顔を出し、皆の姿が見えなくなるまで、何度も声を張り上げ手を振り続けた。
「……ロア」
荷車の幌に背を預け、小さくなっていく
「今度こそ絶対に、二人を助けよう」
アーシャは静かに宣誓した。
「あぁ、当然だ」
故郷を滅ぼされてから、一人で世界を彷徨った十年間を思い出す。
世界の厳しさと人の邪悪さに、己を殺して一人で立ち向かい続けた。
あの頃無理矢理封じ込めた恐怖も悲しみも、今はもうない。
俺はもう、一人じゃないから。
俺にまた生きる力を、運命に抗う力を与えてくれた希望の翼が、隣にいる。
この翼がある限り、俺は――俺達はどんな絶望の中でも飛んでいける。
愛する者を救う俺達の旅は、ここから、始まる。
第一譚 ―完―
光翼のアーシャ 滝山童子 @TKYM-DJ
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