第四章「希望」④
山の斜面を切り拓いて整地された土地に、様々な様式の家が立ち並ぶ。
若草色の段々畑に風車。
それをぐるりと囲む木々、遠くにそびえる山々。
ここの景色は、何度見ても苦手だ。
あまりにも故郷と似過ぎているから。
幸せだった時の思い出と、地獄に突き落とされた時の思い出が蘇るから。
ナーザ大陸の南北を分断するエルマス山脈――私の生まれ故郷だった名も無き小さな村があった場所――から更に南。
ハーピィとバードマンが住むハールムの岩山と、リザードマンが住むヒス渓谷に挟まれた秘境に、〝アルマトロスの亡霊〟の拠点はあった。
ここにはおよそ四千人ほどの魔導師が暮らしているが、ほとんどが非戦闘員で、組織の実働部隊はほぼ出ずっぱりで各地を飛び回っている。
私もここへ足を踏み入れたのは、組織に入ってから片手で数えられるほどしかない。
村を滅ぼされた傷を癒し、組織に入ると決めるまではこの場所で寝起きを繰り返していたけれど、やはり、あまりにも故郷と似すぎているこの場所を、私は避け続けていた。
そんな私がここにいるのは他でもない。私が指揮を執っていたムーラン鉱脈奪還作戦の失敗を、あの御方に報告するため。
重い足を引きずるようにして進み、私はあの御方がいらっしゃる場所へと辿り着いた。
学校だ。
長屋を更に大きくしたような建物に、精霊の循環を現す円を重ね合わせたオブジェが建て付けられている。
建物の中からは大勢の子ども達の歌声が響き、外では成人前の志願者が戦闘訓練をしている。
そう。この場所に連れてこられたからと言って、全てが組織の実働部隊として働く義務はない。
学問に勤しんだり、農作業をしたり、針仕事をしたり、ここを出て行くことだって許される。
だけど、ここを出て行く者はほとんどいない。
あんなひどい目に遭って連れてこられた同郷の人達ですら、ここでの暮らしに満足している。
それほどに、ここでの暮らしは居心地が良いのだ。
「こんにちは」
「あら! あらあらあらあら! まぁまぁまぁまぁ‼」
木戸を開いて中に入ると、それまで子ども達に歌の指導をしていた恰幅のいい女性が慌ててこちらへと駆けてきた。
「イリス! まぁー、しばらく見ない間に別嬪さんになって‼ ちゃんと美味しいもの食べてる? 無茶してない?」
「えぇ、ネイダ。元気にやらせてもらってるわ」
この学校の校長を務めているネイダ。今でこそこんな体になってはいるが、昔は組織の中でもトップクラスの実力者だったらしい。
彼女はここに来てから私を養ってくれた養母でもある。
「ところでネイダ……」
「アリア様なら畜舎にいるわよ。産気づいてる馬がちょうどいてね」
そう言って、彼女は下手くそなウィンクをして見せた。
どうやら、今日私がここに来ることは周知のことらしい。
「ありがとう」
曖昧に笑いながら、私は踵を返した。
裏の畜舎に向かうと、少々慌ただしい様子だった。
どうやら御産が始まったようだが、それにしたって少々慌ただしすぎる。
「おぉイリス、帰ってたのか」
初老のリザードマンが私を抜き去り、声をかけてきた。
槍術と歴史の講師をしているワロロ先生だ。
「ご無沙汰しています、ワロロ先生。難産ですか?」
「あぁそうだ。人手が足りん。お前も来い」
「え、ですが……」
これでも私は組織の中でそれなりの地位にいるのだ。
組織の装束を汚すのは気が引ける。
「装束なら新しいものをもらえば良かろう」
尻尾でビタビタと地面を叩きながら、ワロロ先生は有無を言わさず私を引っ張った。
畜舎に入ると、馬房の一画に人集りができていた。
大人達のかけ声と子ども達の声援が響き渡り、たくさんの精霊が渦巻いている。
仔馬の脚にはロープがくくりつけられており、自然学講師のウォード先生が母馬と仔馬の様子を注視している。その後ろに、不安げにロープを握るアリア様の姿があった。
真っ白な髪と真っ赤な眼。透き通る肌を更に青白くしながら、ウォード先生が指示を出すのを待っている。
私とワロロ先生も柵を跳び越えてそれに加わった。
先頭でウォード先生が子馬の位置を調整しながら、母馬が息むタイミングに合わせて引っ張る。
「がんばれ……がんばれ……!」
アリア様のか細い声が大人達のかけ声に交じってよく響いた。
子ども達も固唾を飲んで見守る。
繰り返すこと、数度。
ずるり、と子馬の半身が露わになった。
精霊がまるで祝福するように畜舎の中に溢れ、煌々と輝きながら踊る。
子ども達の歓声が畜舎中に響き渡った。
その声に、ウォード先生が人差し指を立てて「しーっ」と注意を促す。
ここまで来ればもう大丈夫。あとはウォード先生と母馬に任せるべきだ。
柵を出ようとしたときに異変に気付く。アリア様の姿がない。
だがその理由を、ここにいる全員はよく心得ていた。
「私、アリア様見てきますね」
私がそう切り出すと、講師達は苦笑交じりに頷いた。
馬房から一番近い出口を抜け、辺りを見渡す。
「オロロロロロロロ……ッ‼」
細すぎて似合っていない繋ぎ姿が、片隅で這いつくばって震えている。
小さくため息を漏らし、私はその震える背中をさすった。
「うぅ……ありがとう、イリス」
ぽろぽろと涙をこぼし口端を吐瀉物で汚しながら、アリア様は青ざめた顔で礼を述べた。
いつもはピンとそり立つ浮き毛も、今は心なしかしおれているように見える。
「無理しないでください。お体に障ります」
水の真言を唱えて水珠を差し出すと、アリア様は顔を洗って口を濯いだ。
「ありがとう。でも、精霊が騒ぎ出すと居ても立ってもいられなくて」
苦笑交じりにアリア様はそう言って、畜舎の壁に背を預けた。
「手を貸してくれる? もう少ししたら、もう一波来そうだから」
ああ、仔馬が立つのか。
そう私は得心して、アリア様の体を立たせた。
アリア様は、誰よりも鋭敏に精霊の声を聞くことができる。
それどころか、生物から放出される魔力を見る事によって、その感情を読み取ることができるのだ。
なので、ああいう大量の魔力と精霊が渦巻く場所にいると、それに当てられて今のような有様になってしまう。
アリア様は、自分のお体のことをよく分かっている。
よく分かっている上で、こうしてその身を精霊の元へと晒したがる。
馬の出産から、果ては、戦場まで。
祝福される命の喜びも、淘汰される命の悲しみも、決して美しいものだけではない感情も、一身に刻み込もうとする。
その誰よりも鋭敏な心と体で。
「ガルドアへの支援を打ち切ることにしたわ。組織はガルドアから手を引くことにします」
「え……?」
畜舎からアリア様のお部屋へと向かう道すがら、まるで今晩の夕ご飯について話すような気軽さで、彼女は告げた。
「そんな、私のせいで……」
ガルドアは、先代から時間を掛けてやっと掴んだ大きな後ろ盾の一つ。
私達がこれから戦う相手のことを考えれば、軽々に手放すべきではないはず。
「あなたのせいじゃないわよ。
志が違ったわ。あの王は、己の利益のことしか考えていない。
遅かれ早かれ裏切って、あちら側に私達を売るつもりだったみたい。
だから、気にしちゃダメよ」
そう言って、朗らかに笑った。
作戦失敗の報告を受けた後、アリア様御自らガルドアへと足を運んだことは私の耳にも届いている。
そこでどういう経緯があったかは与り知らぬが、アリア様の中でそう判断するに至った何かをガルドア側から感じ取ったらしい。
古代より、この世界は異世界からの侵略を受けている。
我々が歴史として時を記録する以前より、突如として現れた異空間――
それをこの世界に送り込んできた、何者かの手によって。
遙か昔、まだ全ての種族が平和に共生していた頃、この世界には“王”がいた。
この“王”は支配せず、統治せず、それぞれの種族が豊かに暮らせるよう、精霊の恩恵を全ての者に平等に与え続けた。
しかしある日“王”は殺された。
最初の
これによって、世界は一気に『あちら側』に支配されるかと思われた。
しかし、死の間際“王”が力を分け与えた者達が覇龍アージダハークを打ち破り、侵略は免れた。
世界を侵略の危機から救ったまでは良かったが、“王”の不在によって世界の均衡は崩された。
それぞれの種族が互いの領分を主張するようになり、“王”の力を持つ者達も、己の種族のためにその力を使い争うようになった。
そして争いが絶えなくなった世界に再び
迷宮で大いなる力を手に入れた
その折に「英雄」達は“王”の力を持つ者と、それに従う私達の祖先を「魔導師」と呼んで迫害した。自分達に唯一対抗しうる力を抹殺するために。
大いなる力は使えば使うほど宿主の精神を蝕み、果ては宿った魔人がその肉体を乗っ取ると言われている。
「英雄」はその強大な力のあまり、民衆に渇望され、あるいは利己のため、力を振るい続け、やがて魔人に支配される。
そうしてこの世界で肉体を得た者達が民衆を動かし、世界を回している。
これが、今の世界の有様だ。
私達「アルマトロスの亡霊」は、彼らによって奪われた世界を取り戻すため、世界の裏側に潜みながら活動している。
未だ迷宮覇者の力を持たぬ国を「援助」する代わりに、組織の後ろ盾や隠れ蓑んいなってもらう。そういう契約を結びながら。
そしてアリア様は、この世界で唯一“王”の力を継承する者だった。
「でも珍しいわね、イリスが失敗して帰って来るなんて。
ガルドア王が気に食わなかった? それとも、ガロードの邪魔が大変だった?」
「いえ……」
言ってしまえば、その両方だ。
だが本当は、報告書にも伏せた理由が最も大きかった。
「弟と、出会いました。もう二度と会えないと思っていた、生き別れの……」
この人の前では隠し事はできない。
私はここまで誰にも言わなかった胸の内を打ち明けた。
「とても立派になっていました。独学で真詩に到達するほどに。
幼い頃から才覚の塊だった彼なら当然なのかもしれないけど。
私は弟を殺したくなかった。それが、唯一にして最大の敗因です」
私の目を離さないアリア様の瞳を見返して、私は答えた。
その紅い眼に一筋の涙を流し、アリア様は「そう」と頷いた。
私の感情を読み取ったようだ。
「それだけ素晴らしい素質があるなら、ぜひ招き入れたいわね」
「いえ、残念ながら断られました。彼は獣人側に居たので。
それに私達は、巷では悪逆非道の殺人集団ですし」
苦笑して答えると、アリア様は悲痛に顔を歪ませ、
「ごめんなさいね。私達のせいで」
と陳謝した。
「いえ、弟が生きていることが分かっただけで良かったです。それに……」
あの暴走した魔人に真っ向から立ち向かう弟の勇姿が、脳裏を過った。
「またどこかで会える気がします。
私達の運命と彼の運命は、どこかでまた交わる。そんな気がするんです」
私の言葉に、アリア様は優しく微笑み、
「あなたがそう思っているなら、きっとそうなるわ」
と頷いてくれた。
「また、会えたらいいわね」
そう言って私の手を取るアリア様に「はい」と答え、私は顔を綻ばせた。
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